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郡山ケントス

ラーメンや温泉の話しも

 郡山は、(1993年に福島空港が開港されるまで)大阪空港から、なかなか行きにくい所でした。東京か仙台出張時、新幹線で移動し、必ず1泊しなければできない位置にありました。それでも、私は、この郡山ケントスに3回行く機会がありました。

 初回は、1990年5月31日に行きました。あと、2回目(1991年10月13日)と3回目(1992年1月10日)には、知り合いの女性リードボーカル(大阪梅田ケントス出身のそのみちゃん)もいたので、色々話しできるのが、楽しみでした。

 そのみちゃんは、梅田ケントスのオープン(1987年3月27日)当初のバンド「ファンキーズ」のリードボーカルを勤めていました。当時から明るくて可愛らしく、歌もうまくて人気がありました。

 私も、梅田でも郡山ケントスでも、「夢のデート」、「カラーに口紅」、「この世の果てまで」などを、良くリクエストして、しっかり歌ってもらっていました。男性ファンだけではなく、女性ファンも多い方でした。

  また、この店のバンド名は、レイダーズで(写真でもお分かりの通り、メンバーの交代はありましたが)確かオープン当初から、閉店まで同じ名前だったと思っています。

 私は、各地のケントスに行く時(酒飲んで置き忘れたらいけないと思って)カメラは持っていったことは、ほとんどありませんが、ここの店だけは持って行き、バンドの皆さんの写真も10枚くらい撮りました。

 私が、90年5月に行った時、次の日喜多方、会津若松に向かう予定だったので、店長に喜多方でラーメンの美味しい店の紹介を頼みました。

 すると、「喜多方のラーメン店は、朝早くからやっていて、澄んだスープが美味しい。あべ食堂は、朝からやっていて、味もまあまあと思いますよ」と、地図まで書いて頂きした。その後も、しばし、札幌や博多のケントス店の話題とともに、ラーメン談義にも花が咲きました。

 また、91年10月には、「明日は、二本松のお城にでも行ってみます」と言うと、「今、(全国的にも有名な)菊人形展をやっている最中だと思いますよ」など、教えて頂きました。

 さらに、92年1月には、来店する前に、郡山市内にある磐梯熱海温泉、「郡山湯ラックス熱海」(郡山市が建てた大規模の温泉総合施設。あれだけの施設なのに入湯料金310円は安く感じました。念のため、ただし、温泉情緒漂うと言う施設ではありません)に行ってきました。

 それで、「あの磐梯熱海温泉は、福島県にあるのに、なぜ、”熱海”と言う名前が付いているのでしょうかね?」などの話しも聞きました。

 詳細な理由はスタッフの方も、分からなかったみたいですが、どうも「熱海のようにお湯が豊富に湧く所」と言う意味で名づけられたみたいでした。

 私は、全国どこに行っても、そこにしかない郷土料理みたいなものを居酒屋などで注文していました。ここの郡山ケントスは、駅にも繁華街にも近かったで、どこかそのような店はないのか、私なりに探したのですが、探し方が悪かったのか、見つけきれませんでした。

 もう1回行ければと思っていたのですが、その内に私の帰郷やこの店の閉店などもあり、少し残念なことでした。 (記:2001年11月6日)

郡山ケントスのデータ(閉店のため、1992年1月当時のもの)
バンド名 レイダース
所在地 郡山市
電話番号 (省略)
郡山ケントスへのリンク なし
特記事項、その他 オープンは1988年 、 閉店は 年
 
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