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広島ケントス

若さとエネルギッシュなバンド

 私が、安芸の宮島、平和公園などをウロウロしたのは、1989年8月22日、23日でした。その前に、当時同僚の奥さんの実家(新見市)に、その家族と一緒に遊びに行きました。その後、自然の石橋などで有名な帝釈峡などを見てから、広島市内に入りました。

 最初に行きたかったのは、お好み村でした。(後で新しくなったと聞きましたが)当時は、そう広くない場所に何軒あるのか数えませんでしたが、同じような鉄板焼きがある店ばかりでした。食べたのは、当然のごとく野菜いっぱいのお好みで、満足しました。

 次に寝るところは、当時在職中の会社共済会の契約で安くなるため、広島全日空ホテルに決めていました。まず、部屋でしたのが、暑い日に動きまわったので、汗流しのための風呂と、”本番”(笑い)にそなえた仮眠でした。

 日中の暑さもほんの少しやわらぎ、今度は、居酒屋(清酒と同じ名前の)『酔心』本店で、思い切りビールを飲みました。せっかく本店に来たのに、銘酒酔心は、冷えたのを1杯だけ(笑い)でした。

  広島ケントスに入ったのは、もう9時もまわりかけのころで、急ぎ足となっていました。店内に入り、いつものボトルカードやリクエストカードを早目に書き終え、店内誌など見ていました。

 しばらくすると、スタッフの方に頼んでいたこの店オリジナルのチラシを頂き、それを見ながら、ステージの方を見ているとバンドの皆さん、大ベテランと言うよりは、マダけっこう、お若い感じがしました。特に、女性の方は20歳前に見えました。

 それはそうで、この店オープン当初(全国共通の店内誌には)「バンド『ムーンバード』の平均年齢22.6歳、全国で2番目に若い」と書かれていました。それから、2年経って、落ち着きとエネルギッシュさが、加わられたのでしょうか、聴き応えがありました。

 私は、この時も旅行専用の手帳=別名「ケントスサイン帳」(笑い)を持っていました。ステージの合間に女性ボーカルの方が近くに来られたので、お願いしたところ、「ハイ、分りました」と言って、楽屋に一旦持って行かれました。

 その後、手帳を受け取りながら、「全国たくさんまわっておられるのですね」「ありがとう。ええ、そうです。皆さん、パワフルですね」みたいな話しをしました。この方含めバンドの皆さん、仲が良さそうな、親しみを覚える方々でした。

 けっこう夜も更けた時間となり、ホテルに帰りかけましたが道には、いくつかの若い人のグループいて、漏れ伝わってくる話しはどうもこれからお好みを食べに行こうみたいなことのようでした。「お好みは、別腹」(笑い)と言う広島のことばを思い出しました。 (記:2002年7月1日)

広島ケントスの写真について

 下記の写真3枚は、松山のYさんから2010年3月に画像を送って頂きました。まだ、この店に行ったことがない方へ、念のため写真説明致します。広島ケントスは、地下1階にあるため、左側写真から中央写真の通り降りて行くと、店の玄関前になります。

 右側写真はステージで、背面にある絵はジェームス・ディーンでしょうか。青地にこの絵は、いつみても、なかなか、いいですね。この絵やステージを見ただけで、私なんか頑張っておられるバンドの皆さんの表情も、歌っておられるオールディズの曲も聴こえてくるような、そんな想像さえします。(記:2010年4月3日)

降り口へ
玄関への降り口
ステージ
広島ケントスのデータ (下記は、1989年8月当時、追加2010年6月現在)
バンド名 当時:ムーンバード(ハウスバンド)
現在:マジックトーンズ(ハウスバンド)
所在地 広島市中区新天地6-10本州会館B1
電話番号 -
広島ケントスへのリンク(下記クリック)
http://www.hirokoshi.co.jp/tenpo/kentos/
特記事項、その他 オープンは、1987年4月。2010年5月末にケントスしては閉店。
2010年6月より 「ライブハウス・メモリーズ」 となった。


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