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高松ケントス

<オープン当初のチラシについて>(ここをクリック) 

残念、讃岐うどんと高松ケントス

下記二つの画像は、松山のYさんからの提供です。(2004年10月5日掲載)
店の名刺
ボトルカード

この店は、私が行く前に閉店してしまったので行けませんでした。

 私は、この店のオープン当初の頃までは、まだ、大阪在住でしたから、行こうと言う気になればいけたと思います。

ただ、この『全国ケントス巡り』の浜松ケントスのページにも全く同じことを書いていますが、1990年当時、ケントス全店制覇の後に、ここはオープンした店でした。それで「何がなんでも、行くぞ」と言う気合がなかったのも、その原因のひとつでした。

 高松と言えば、(この高松ケントスが出来る前に)3回ほど空港だけですが、仕事その他の都合で行きました。その内の1回は、高知空港のジェット化に伴い一時期滑走路の閉鎖がありました。

 それで、大阪空港での仕事終了後の夜、大阪からフェリーで高知港に向かい、早朝到着後、高知市内や空港で用事を済ませ、夕方その足でそのままJRで高松に向かいました。

 その後、今度は高松空港から大阪空港に戻るパターンもしました。(今、考えるとと「けっこう強行軍だったなあ、ようやっていたなあ」との思いもあります)

 ですから、高松と言えば空港を利用しただけの記憶しかありません。まだ、高松ケントスが続いていれば、金毘羅さんなども見学し、市内では讃岐うどんを食べ、その夜には店の方にも行けたのでしょうが、かえすがえすも残念でした。(記:2002年7月1日)

 <オープン当初のチラシについて>
 このページ掲載内容の元となった(既に閉店した)高松ケントスのチラシは、松山のYさんからの提供です。右の画像は、オープン前後頃の宣伝チラシの一部です。(画像がメモリーの関係上、荒くて見えにくいですが、高松の文字もあります)

 このチラシの文章が、当時の状況を良く表していますので、下記にご紹介します。「 」内が引用文です。原文は改行なしですが、上野がホームページ上、数行おきにしました。

  OLDIES LIVE HOUSE 東京、六本木。そのエキサイティングな街でオールディーズ、ライブハウスの老舗として人気ナンバーワンの、『ケントス』は、北は北海道から南は九州、ハワイまで広範囲に渡って活躍している。

 アーリーアメリカン調の店内は30歳代から50歳代の人達が童心に戻って、また20歳代の人達にはちょっぴり背伸びした大人の遊び場として展開されていく。エルヴィス・プレスリー、コニー・フランシス・・・。あのアメリカが一番輝いていた'50〜'60年代のサウンドを『ハートビーツ』というレギュラーバンドに加えゲストバンドが毎夜6回(日、祝は5回)のステージを披露している。

 髪型はリーゼント、ポニーテール、衣装も当時のものと本格的。料理はボトルキープ5,000円、ソフトドリンク500円〜。フードはチーフの作る自慢料理からその他、約40種類とメニューも豊富。また、忘年会、新年会・結婚式の二次会等の歓送迎会など貸切パーティー、少人数のパーティーも受け付けており、カップルから団体様までより良い空間を提供し、楽しんでいただけるのが、ここ『高松ケントス』だっ!  

 高松ケントスは、鎌倉のSさんの情報や私の資料などによりますと、(何月何日と書けないのですが)オープンは1993年で、閉店は1997年頃と思われます。

 この文章中で、「30歳代から50歳代の人達が童心に戻って」、 「髪型はリーゼント、ポニーテール、衣装も当時のもの」、「フードはチーフの作る自慢料理から」、「より良い空間を提供し」などの表現は、なかなかいいですね。今でも、当時の店の雰囲気と高松人の人柄の良さが伝わってきます。

 私はこのような文章を見ると、なんか閉店していなければ直ぐにでも行って、オールディズだけでなく、「チーフの作る自慢料理」も食べたく(笑い)なります。(追加掲載日:2004年10月18日)

高松ケントスのデータ(閉店) (インターネット調べ)
バンド名 ハートビーツ(ハウスバンド)
所在地 高松松市
電話番号 (省略)
高松ケントスへのリンク なし
特記事項、その他 オープンは、1993年、 閉店は、1997年頃。

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