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福田さんの写真館

2007年パレスチナ撮影と旅先だより

旅先だより
 (注:下記、表題の日付けは日本でのメール受信日です。また、ローマ字受信文章のため上野が変更及び主旨を変えない範囲内で補足していますので、その点ご了承願います)

帰国
 皆様 帰国の連絡が遅くなりました。(2007年)11月29日に無事帰宅いたしました。
 
スエズから2007年11月21日
皆様 連絡遅くなり、すみません。元気にしています。スエズに戻りました。パレスチナは、変革期です。方向性の定まった今月末には帰国予定です。

ナブルスから2007年11月4日
 皆様  元気にしています。ナブルス近郊の町を撮影しています。週末にはエルサレムへ移り、その周辺を撮影します。添付の写真(注6)は、16日の衝突で負傷した戦士が先日死亡し葬儀がおこなわれた模様です。16日以降ナブルスでは衝突もなく平穏です。ですが、連夜イスラエル軍がやってきて照明弾や空砲を放ち目が覚めます。

(上野注6:4枚の写真を受信しました。棺まわりに大勢の方々が葬儀に参列されている写真などです)

ナブルスから2007年10月25日
  (一部内容省略) 写真のもう1枚(注4)はミミと言って上野ログログハウス(注5)にも掲載して頂いている私が写真を手にし、その子とノゥルが写っている子です。この子も毎回撮影しています。こちらは、昼は暑いです。皆半袖で過ごしています。私は風邪のため長袖も着ています。もうそろそろ、ぐーんと、冷え込むはずです。夕方には雲が現れ雪の兆しです。

(上野注4:下記の10月22日メールで送られてきた写真説明のことです)

(上野注5:「上野ログハウス」とは私のホームページ名称のことで、『福田さんの写真館』ページのことを指して、ミミちゃんは「平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ (その5) 」 ページ掲載写真の左側に写っている女の子と思われます)

ナブルスから2007年10月22日
 (一部内容省略) 日本を離れて2週間が過ぎました。毎日コンスタントに写真撮れています。こちらのPC ウィンドウズXPは日本語が読めないのですね。何軒かネットカフェを歩き、日本語のソフトを持っている所を探し、インストールしてもらいました。そのまま日本語で書いてもらって読めますので大丈夫です。 とりあえず。(注3)

(上野注3:上記メールとは別に3枚の写真が送られてきました。下記の10月20日付けメールでも紹介していますが、この3枚の写真の中には体調を崩しておられる「アムラハビさん」、以前、福田さんが何回も撮られた「ノゥルちゃん」と思われる写真でした。「アムラハビさん」と「ノゥルちゃん」は、昨年撮影されたものながら『2006年 エジプト、パレスチナ写真 (その10) 』ページに掲載しています)

ナブルスから2007年10月20日
 皆様  メール遅くなりました。11日に難ありましが入国できました。先に言うと次回は入国できないと通告されました。現在ナブルス(注1)にいます。会いたかった人々にも会えました。アムラハビ(注2)は体調を崩していました。16日にナブルスで小規模の衝突がありました。2人死にました。元気でやっています。心配なさらないよう。

(上野注1:ナブルスはヨルダン川西岸地区の町で人口は10万人以上のようです。福田さんは、ここには以前から何回も行っておられます。主な紹介ページとして次の『平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ (その3) 』をご覧下さい)

(上野注2:ナブルスの「アムラハビさん」は、福田さんがアルバイトなどで、お世話になったことがあるコーヒーショップの”親父さん”のことと思われます。『平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ (その3)』(このページ写真奥の横向き姿)と『2006年 エジプト、パレスチナ写真 (その10) 』<このページ写真(2)、
左側の正面を向いた人)に写っておられる親父さんのことと推測しています) 「アムラハビさん」の紹介文章は、『平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ (その4) 』ページ下段に数行掲載中です。

スエズから2007年10月8日
 皆様、エジプト、スエズの町にきています。イスラム世界はラマダン中で、公けには日中何も口にすることができません。でも、皆隠れて食べています。ラマダン明け13日急いでパレスチナ西岸に入り、ラマダン明けの状況を撮影したいと思います。このPCは日本語が書けないので、これくらいに・・・・。 

「旅先だより」初回掲載:2007年10月12日
 


2007年パレスチナ撮影目的など
パレスチナ
   福田雅宏さんが2007年10月6日パレスチナ撮影のために日本から出発しました。その前の9月25日、福田さんの部屋で今回のパレスチナ取材目的などを聞く機会がありました。

 なお、今回このページ、既に掲載中の前回『2006年パレスチナ撮影について』(このページは、ここからクリックして、ご覧下さい)と、入国するルートや撮影場所などは前回と同様と思われたので、私からの質問も少なめにしたものです。

旅先だよりについて
 福田さんからの(パレスチナその他からの)『旅先だより』は、あちらのパソコン(ホテルの備え付けPCか、インターネットカフェのPCと想像)が日本語入力対応ではないため、ローマ字入力です。そのため、受信時ローマ字表示の文章を上野が日本語に直しています。

 できるだけ、ローマ字受信メールの趣旨を変えないように翻訳していますが、もしも違っていましたら、その点は、ご了承願います。このページ、上の方にメール受信しだい掲載していきたいと思っています。

Q1:今回(2007年)の出発日と日本からパレスチナに入るルートは?
A1:前回と同様、今回も(2007年)10月6日福岡空港からマレーシア航空で出発する。ルートは前と同じように福岡空港→マレーシア経由クアラルンプール→エジプトのカイロ空港着となるだろう。その後、スエズへ移動する。それから、状況を見てガザに向かう予定だ。

Q2:今回の取材目的は? 
A2:
(ほぼ、前回と同様ではあるが)現在のファタハとハマスの人々の状況を撮りたい。ガザはハマスが多いが、そこの庶民の生活の日常などを取材したい。

Q3:パレスチナには福田さんの知り合いも多くいる(例えばカフェの親父さんやノーダちゃんなど)が、今回、会う機会は?
A3:会いたいが、まだ何とも決めていない。現地に行って考えたい。

Q4:今回のパレスチナでの滞在期間は?
A4:期間は決めていないが、最低でも3カ月くらいいて、(もしかしたら)半年くらいになるかもしれない。

Q5:撮影用フィルムケースが、ここにあるが、この数と内訳は?
A5:白黒フィルムが250本、カラーフィルムが100本で、あとビデオが15本ある。

Q6:今回は、ビデオ撮影もするの?
A6:ビデオも持って行き、機会あれば撮りたいと思っている。

初回掲載日:2007年10月11日


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