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聞いた言葉・第111回目、『首相辞任のキーワード=国民との矛盾』

首相辞任のキーワード=国民との矛盾

 学校の授業でも習う通り日本の総理大臣は、1885年12月スタートの伊東博文総理が初代で20008年8月段階で91代続いています。首相の辞任や内閣の総辞職は戦前も戦後も色々な形でありました。今回『首相官邸ホームページ』で調べてみると、個人的なことながら私が生まれた当時は第48代吉田茂内閣時代ですから、そこから数えたとしても、もう43代の内閣があったことが分かりました。

 当然、同じ人は何代も続けられたこともあるし、わずか数か月で交代された例もありました。さらに国語辞典の大辞泉で改めて総理大臣について調べてみると次の<>内のことが書いてありました。  内閣の首長である国務大臣。国会議員の中から国会の議決によって指名され、天皇により任命される。内閣を組織し、閣議の主宰、行政各部の指揮・監督を行うほか、内閣府の長として所管の事務を担当する。首相。総理大臣。総理。  

 また、総理のことを宰相と呼ぶ場合もあります。総理大臣と言う職務は事典では上記の通りですが、普通一般には「日本における行政の最高権力者」、「日本国のリーダー」とか、全国民が乗っている船にたとえて「日本国丸の船長」とか、その時の場面によって、形容詞は違っている場合もありますが、いずれにしても行政の最高権力者であることは間違いないことだと思います。

 この言葉通り、日本国民の立場で国民をリードしていけば多くの国民から支持されますし、政権も長続きします。しかし、逆の場合なら、選挙で負けたり、内閣支持率は低くなり、最悪辞任に追い込まれるのはこれまで何十回となく繰り返されてきました。

 あと、辞任するにも突然だったり、あるいは国民にとって訳の分からない場合もあり、その時には「一国の宰相なのに無責任」とか「国民無視の政権投げ出し総理」などと報道される場合もあります。その辞任理由の中には「自分が思うように行かなかった」などの主旨を述べて、まるで自分の責任は棚に上げて他に責任転嫁する人もいます。

 しかし、いつの時代でも楽な平々凡々な道が日本の総理大臣と言う職にあるのでしょうか。また、日本の最高権力者であると言うことは、逆に全ての分野や多くの国民から注視され批判されるのは、就任前から分かっていることです。そのような批判に応えきれなければ最初から総理にならなければいいと一般国民なら誰でも思っていることです。

 ただし、与野党とも国会議員、その中でも現役の大臣始め副大臣、元大臣、「大臣心待ち」、「大臣心づもり」の人たちを中心になりたくて仕方ない人も多いと聞きます。そのような中で国民だけでなく同じ国会議員の中でも分かりづらい”首相辞任劇”があった場合、なかなか真実の理由が明かにされず様々な理由が乱れ飛ぶ状況もあります。何年後か何十年後かに議員を引退し、「・・・元首相回顧録」みたいなもので、やっと本当のことが分かる場合もあります。

 また、多くのマスコミで様々な”首相辞任劇”の理由を解説しているものの真実が見えてこない場合もありますし、意図的に隠しているのではと思う時もあります。そんな状況下で思い出す言葉が、今回の国民との矛盾です。戦後の首相辞任理由の謎解きキーワードは程度の差はあれ、ほぼ全て国民との矛盾でしょう。日本の現与党は、憲法の定めに従い本来ならば主権者の国民のための政治をおこなうべきであり、それは当然のことです。

 しかし、戦後一貫して主に行われてきたのが、アメリカ追従奉仕の政治大企業奉仕の政治でした。分かりやすい例として、たとえ国民の多くが反対してもアメリカの言いなりでイラク戦争に加担したり、最初から国民のためにならないのにマスコミの大応援も得て「改革、カイカク」と絶叫調にも似たことをやった結果が「格差社会」、「不安定雇用者の増大」、「ワーキングプア」、「ネットカフェ難民」、「医療制度の不安」などを始めとして、さらに「年金不安」、「過労死」、 「年間自殺者3万人」とかの言葉で象徴されている日本の状況にもつながってきています。

 つまり、戦後ずっと総理大臣などの顔ぶれは変わってきたが、この間おこなわれてきた国民生活との対極にあるアメリカ追従と大企業奉仕の政治は全く変わらないどころか、より一層ヒドクなったと言うことです。それでも、これだけ長く現政権が続いたのは、主権者の意思が反映しずらい現選挙制度、企業献金、政党助成金のおかげにプラスして世論誘導操作に近いマスコミの”与党向け応援団報道”の効果もあったと思われます。

 また、経済の流れでそのことの是非は別としても高度成長期、安定成長、輸出好調、(実感のともなわない)「長期の好景気」状況も、国民生活との関係では分かりづらかったとも考えれます。現政治の根本は、アメリカ追従と大企業奉仕の政治なのに、国民にはそのことが実感として、なかなか感じられなかった=騙されていることが分からなかったとも言えます。

 しかし、もう国民生活そのものが追い詰められている状況の中で、「なぜ、世界第二位の経済大国なのに、こんなに働いても、なぜ苦しめられるのか」との自問自答の中から今の与党政治が国民の対極にあることを気づきかけていると思われます。

 また、辞任劇を繰り返す側も、「国民生活がどんなことになってもアメリカ追従と大企業奉仕の政治は絶対続けなければならない。でも、そのようなことをやればやるほど選挙が怖い。野党へ転落、自党の崩壊も覚悟しなければならない」と言う中での行き詰まりの状況だと考えられます。つまり、アメリカ追従・大企業奉仕の政治と国民との矛盾と思われます。このような国民との矛盾を含む根本原因が報道されず、またぞろ、「次は誰になる?」みたいなことばかりを一気集中していくのは、結局は同じことの繰り返しとも思われます。

  日本国憲法には主権者の国民に選挙権はありますが、アメリカや大企業には選挙権がないことは誰でも分かりきったことです。しかし、戦後政治は程度の差はあれ、まるでアメリカや大企業が主権者のごとく大事にされ、国民は事実上長年だまされ、さらには犠牲者ともなってきたと言えます。(これはどこか国の新興宗教で「信者が圧倒的シロ色を願っていても、教祖様がクロ色でないと駄目だと言って結果、教祖様だけのために信者が嫌でもその方向に向かっていく」やり方に似ているような気がします)

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 また、国民の側も昔からの言葉として「見ザル言わザル聞かザル」とか「長いものには巻かれろ、お金には頭を下げ」、「政治は誰がやっても同じ」と言うようなことを大なり小なりおこなってきたのではないでしょうか。そのようにして選んだ結果のツケが、長年続いた国民の対極にあるような現政治状況と思われます。

  今度こそ、ここをどう転換するか、国民も問われているし、変わることの勇気も試されているような気がします。アメリカや大企業も、このような国民の状況は先刻承知で現与党政権がたとえ終わっても基本の政治は変えさせないために、企業献金その他をもって、次の政党や政治状況に”保険を掛けて”います。その意味から、なかなか一口で「国民のための政治」と言っても、その道程は簡単に行かないのではないでしょうか。

 これから、毎回繰り返されるマスコミの一気集中した目先だけの「次は誰がなる?」とか、”政権応援団”みたいな、「木を見て森を見ず」の報道ばかりにとらわれることなく、長年の戦後政治と国民との矛盾政治そのものを見定めることも必要と思われます。

 私はこのシリーズで何回も書いてきましたが、日本人は明日の天気を変えるほどの力はないかもしれませんが、国民との矛盾政治や国民の願いと対極にあるような政治は、国民の澄んだ眼力と少しの投票行動で変えていける展望があると考えています。

(記:2008年9月3日)

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