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聞いた言葉・第193回目、いつの日か人として向き合える

 

お互い嫌いでも相手を認め合えば、きっと、いつの日にか人として向き合える

 今回の言葉は、後で紹介します映画『タイタンズを忘れない』の日本語字幕「お互い嫌いでも相手を認め合えば、きっと、いつの日か人として向き合える」からです。この和訳は、次の英語字幕の一節(一部分訳)からと思われます。 I don't care if you like each other of not, but you will respect each other. And maybe... I don't know, maybe we'll learn to play this game like men.

 映画『タイタンズを忘れない』(原題:Remember The Titans、2000年のアメリカ映画)は、ヤフー映画紹介によりますと、監督はボアズ・イェーキン、配役はハーマン・ブーン(ヘッドコーチ、日本流に言えば監督。以降このページでは監督と書く)役のデンゼル・ワシントン、ビル・ヨースト(コーチ)役のウィル・パットンなどです。あらすじは、次の<>内通りです。なお、下記の国語辞典の大辞泉内容も関係していますので、参照願います。

 < 1970年代初頭、まだ人種差別が大きな問題となっていたアメリカで実際にあったエピソードを基にしたスポーツ・ヒューマン・ドラマ。1971年、バージニア州。とある町で白人の高校と黒人の高校が統合されることになる。その結果、両校にそれぞれあったフットボール・チームも1つに統合されることとなった。人種差別が根強い地元住民が反発するなか、アメリカ初の人種混成チームが誕生、さまざまな苦難を乗り越え、チームはひとつにまとまっていく……。 >

・タイタン=ギリシャ神話の巨人神族ティタンの英語名。
・ゲティスバーグ=米国ペンシルベニア州南部の町。南北戦争の激戦地で、国立墓地や戦跡記念公園がある。リンカーンが「人民の、人民による、人民のための政治」の演説をした地。

・ゲティスバーグ演説=人民の人民による人民のための政治<government of the people, by the people, for the people>米国大統領リンカーンが1863年11月、ペンシルベニア州のゲティスバーグで行った演説のなかの言葉で、民主主義政治の原則を示したもの。

・南北戦争=1861〜1865年に起こった米国の内戦。黒人奴隷を使用して自由貿易を主張する南部と、国内市場の統一、保護貿易を主張する北部との対立が、奴隷制不拡大を掲げるリンカーンの大統領当選を機に、戦争へ発展したもの。劣勢であった北部が奴隷解放宣言ののち攻勢に転じ、南部の降伏で終結。この結果、奴隷制度は廃止され、独立以来、対立を続けた南部・北部は事実上統一された。

・公民権運動=米国の黒人が、人種差別の撤廃と、憲法で保障された諸権利の適用を求めて展開した運動。キング牧師が活躍。1954年に最高裁で、公立学校の人種分離教育への違憲判決が下されたのを機に高まりを見せ、1964年から翌年にかけて公民権諸法が制定された。


 上記のあらすじにも一部書いてありますが、口論などが絶えなかった高校生のアメリカンフットボールチームが、合宿に出かけます。その合宿先でも様々な言い争いが起きます。そして、監督が、たまりかねて生徒たちに早朝ランニングを命じて、アメリカ南北戦争の激戦地ゲティスバーグにチームを連れていきます。

 そこに到着後、ヘトヘトになりながらも、この監督は南北戦争のことにふれながら、長い演説をします。その中の一部に今回の言葉(日本語字幕で)「お互い嫌いでも相手を認め合えば、きっと、いつの日にか人として向き合える」がありました。

 これ以外にも、この長い話しの中には、取り上げたいような興味深い内容も多くありました。この映画は、1970年代初頭にあった実話をもとに制作されたようです。ですから、実社会では、人種差別や様々な偏見などがあったようです。そして、それらは映画の各シーンで何回となく登場してきます。これらを見ますと、同じ人間同士なのに、「えっ、まさか?」、「そんなことまで言うのか!、やるのか?」など、実体験のない日本人の私は思うのかもしれません。

 しかし、アメリカは先の国語辞典にある通り、南北戦争それ自体が奴隷制度解放だったのですから、この種の問題は、長年の歴史があります。また、そうした中で、どちらの立場の人であっても様々で複雑な感情があったのは確かでしょう。ただ、リンカーン大統領が、その南北戦争に勝利した約100年後、あの公民権運動で有名なキング牧師の頃まで、人種差別は公然と残っていたのも歴史的事実です。

 あと、アメリカの状況と全く内容や性質が異なりますが、日本国内でも例えば明治維新の戊辰戦争で「勝てば官軍負ければ賊軍」(=戦いに勝ったほうが正義になり、負けたほうが不義となる。道理はどうあれ強い者が正義者となるというたとえ。大辞泉より)の言葉があります。

 また、その戊辰戦争の120年後の1986年に、山口県の萩市から友好都市提携の申し入れに対し、福島県の会津若松市民の間から「我々は(戊辰戦争の)恨みを忘れていない」との返答があったようです。(Wikipediaより) (ただし、両市はこれ以降、交流は進められているようです)

 百何十年も前の国内の戦争でさえ、先のような感情が残っているのです。ましてや先の大戦から70年後ですから、まだまだ東南アジア諸国と日本間では、戦後生まれの私ではなかなか理解しがたい複雑多岐に横たわる難しい感情などが互いにあることも事実でしょう。つまり、アメリカでも日本でも東南アジアでも、それぞれの歴史的内容も経過も全く違ってはいても、人の持つ感情それ自体は、簡単に「右向け右!、左向け左!」みたいに変わらないということです。

 このような人同士の複雑な感情は、なにも戦争や人種差別などの大きい問題だけでなく、例えば地域間、会社間、親戚間なども含めて、大は大なりに、小は小なりに様々あるのではないでしょうか。この種の問題が起こった場合、「理想と現実は違う」みたいにして切り捨てれば、全ては終わりで何の解決にもならないでしょう。

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 しかし、人同士の生活が将来もある以上、大きくは国家間でも小さくは会社・町内・親戚内外など、どうしてもお互いに協力し、支え合っていく状況があります。その努力がないかぎり現実の問題可決にもならないし、将来も危ういものだとも思われます。だからこそ、映画『タイタンズを忘れない』で監督が語った言葉「お互い嫌いでも相手を認め合えば、きっと、いつの日にか人として向き合える」が、印象深く聞こえたことも確かです。


(記:2015年7月6日)

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