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聞いた言葉・第60回目、昔の人は器用だった

 
昔の人は器用だった

 この言葉は、大阪時代の元同僚からたまに聞きました。彼が言うには「現代人は昔の機械を幼稚だとか単純だとか馬鹿にしている人もいるけど、むしろ昔の人が器用だった。今の人は、その機械がなければ何にも出来ないし、修理も自分ではできない」と。

 現在は(表現が抽象的で分かりにくいかもしれませんが)日常普段に使うものから、かなりのプロが使うような機械に至るまでワンタッチとか、一度プログラムを入力すればOKとかの器機にあふれていると思います。

 それに対して、まだまだ昔と言うほどではないのですが、分かりやすいので例えばカメラについていえば、35mmフィルムが主流になる以前は裏紙の付いた60mm幅のロールフィルム(ブロニーフィルム)か、さらに大型の印画紙を使っていました。

 これらのフィルムは慣れていても、カメラに装填するのにそれなりの時間(最低数分間)はかかっていました。果たして現代人は10人中何名、数分以内でブロニーフィルムをカメラに納めてマニュアルのピント合わせと絞り設定で満足する写真が撮れるでしょうか。

 また、腕時計や柱時計(壁掛け時計)についても、電池式や電気式が出るずっと以前はゼンマイ式でした。当然、日数がくれば手動で巻き直して使用していました。

 鉛筆削り器が出来る前は、大人も子供も小刀で切って使っていました。小刀は切れなくなれば砥石(といし)を使い自分で研いでいました。現代人は全ての人が、果たしてナイフで鉛筆らしく削って使えるでしょうか。その他日常使うもので、いくらでも手動式はありました。

 昔の人は誰でも、ほぼ全て機械類・小道具類は手動で、さらには出来るところは自ら調整や修理もしながら使っていました。また、使いやすいように自ら工夫するので様々な知恵が湧いてくるし、使っている器材器具にもそれぞれ愛着が出てきて、大事にされていました。改修やリサイクル可能なモノも多く、自分の代だけではなく、子や孫の代まで使っていけるものも多くありました。

 話の角度を変えて「便利か、どうか」の基準だけで言えば、それは文句なく現代のものが使いやすいと思います。しかし、極端な例かもしれませんが(私自身も阪神大震災を経験した者ですから)例えば地震の時、その便利なものが使えるかと言うと、そうではありませんでした。ライフラインとも呼ばれている電気、水道、ガスも止まりました。また、電気を使う製品は電池式を除き、全て使用不可でした。

 幸い私のアパートの場合、数日間でほぼ全て復旧しましたが、その間は自宅で文明の利器と言えば電池式のラジオだけで、あとは着替えて寝る場所のみでした。食事、風呂、トイレなどは、会社内や開いている店で済ませていました。被害甚大な地域の方は、それこそ衣食住の全てにわたって長期間大変な苦労をされたと思います。

 地震の例を出すまでもなく、現代の生活周辺や機械類は、いくら便利でも何かことあれば全て使えなくなることを私なりに経験しました。だからと言って(2006年の現在)「昔に戻って、昔のようにそれらをやってみたら」と言われて果たしてできるでしょうか。たぶんに誰もかれもできると言うことではないと思います。

 しかし、天変地異だけではなく(起きて欲しくないと願っても)現代は何が起こるか分からない時代だと思います。便利なモノも何らかの理由で手放すことは、今後全然ないとは断言できないような気がします。

 また、壊れたら修理もリサイクルも出来なくて全て新品に買い換えるような、こんなやり方が果たして省エネルギーや地球資源の節約にもなっているのでしょうか。 私は、昔の人の器用さや昔の機器が全ていいとは思いませんが、何か学ぶ点も多いなあとも感じています。
(記:2006年2月20日)

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