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聞いた言葉・第76回目、家は雨露がしのげる程度で良い

 
家は雨露がしのげる程度で良い

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」の名文章で有名な方丈記(作者、鴨長明)の一節に(現代語訳で)立派な家や大きな家が見えるが何代もずっと続いた家は少ないとか、大家から小家に変わったところもあるみたいな主旨が書かれてあります。

 この原作者の鴨長明は平安時代末期、京都下鴨神社の宮司の息子として生まれ才能豊かな人なのに晩年過ごした家が、方丈(約3メートル四方、5畳半位の広さ)の広さだったそうです。(これほどの人ですから大きい家を建てる気があれば可能だったのかもしれませんが)生活していく上で、必要最小限の家だったようです

 今回の「家は雨露がしのげる程度で良い」という言葉について、私は亡くなった父から生前何回か聞きました。私の(小学校の頃まで)実家は農家でしたので本宅も藁葺き(わらぶき)屋根の家でした。この頃の冬の暖房といえば囲炉裏で、何も言わなくても家族はそこに集まっていたのを鮮明に覚えています。また、何年かに1回は家族総出で藁のふき替えをしていました。1964(昭和39)年の東京オリンピックの頃でしょうか、父は藁葺き屋根から瓦屋根への建替え(ほぼ全面改築)工事をしました。

 農家の造りと言えば、その当時どこの家でも冠婚葬祭まで自宅で出来るようになっていました。それで私の実家も町内の家の規模からすれば大きくないのですが、一応8畳二間、6畳二間、3畳一間、台所10数畳、土間20畳近くと風呂場があったと思います。

 つまり、障子やふすまを全部はずせば、ちょっとした冠婚葬祭の出来るくらいありました。あと農家では、本宅(土間や台所など)、小屋、庭も含めて農作業に必要なスペースでしたから、当然地下足袋(土足)でも行き来できるようなっていました。

 土間は米などの貯蔵庫でしたし、冬場屋内で例えば縄を編むとかの作業場にもなっていました。また、台所は、日常の食事を作るだけでなく、例えば年末に正月用の餅あるいは自家製の味噌や醤油を作る場所でもありました。

 今にして思うと、家全体がかなり機能的に出来ていたのだなあと思い直します。本宅に土間や台所の地面があった分、夏は涼しい感じもしました。犬も良く心得たもので、暑い日には涼しい地面にゴロンと寝転がっていたのを思い出します。

 話はやや違った方向までいってしまいましたが、つまり(当時の)実家は単に生活空間だけではなく、農作業やその他色々な事柄に使っていて、一見何も使っていないように見えていた場所も通年で見れば無駄のない造りだったと言うことです。そのような家を建てた父が、さらに「家の大きさは、雨露がしのげる程度で良い」と言っていたのですから、もっと狭くてもいいと言いたかったのでしょう。

  現在は、テレビやパソコンも一家に一台ではなく数台か一人に一台も珍しくありません。その分、鴨長明が過ごした方丈の家の広さでは家族では足りないのかもしれません。ただ、家は広ければ広い分、日常の掃除なども大変で、時が経てばメンテナンスも各所でしないといけないでしょう。夏冬の冷暖房費用、その他の財政面の負担比較も大きいかもしれません。

 また、子どものためと思って部屋数を増やして造っても、いずれ大人になり独立して別の家を建ててしまえば、もう使い道のない部屋も出てくるかもしれません。室数が多くて家は大きければいいだけではないようです。この言葉を聞いた当時(私の学生の頃)は、このようなことは思いもしませんでしたが、色んな意味があったのだなあと考えています。
 
(記:2007年5月5日)

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