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聞いた言葉・第97回目、『住民もやるから行政も』

 

住民もやるから行政も

 今回のこの言葉、2007年度に地域在住の市議会議員の方々から何回となく聞きました。私は近年町内及び地区の役員をしています。その関係から、町内及び地区の住民の要望その他をまとめ、多くの方々と話し合ってます。また、年度ごと、あるいは水害などあれば、その都度まとめて行政などに要望や改善の申し入れをおこなっています。

 このような時に聞いたのが、今回の言葉で実際はもう少し長く、「地域や住民の持つ色々な要望や要請事項は、昔も今も変わらないだろう」、「でも、全国の自治体どこも昔に比べ予算が少なく、例え地域から要望出されても応えたくてもこたえきれいないのも多い」、「住んでいる周辺の美化活動や河川敷などの草取りなど出来る範囲内で地域住民もやるから行政も応えて欲しいと言うやり方が、むしろ行政に訴える力が強い」とお聞きしました。

 あと、この言葉とほぼ同趣旨のことを既に私は2004年頃に、そのことを実践しておられる二つの町内会の方々に聞いていました。それは長崎県大村市内を流れている郡川(こおりがわ、長さ約16km、県内第4位の2級河川)の河川愛護団体(寿古町、沖田町)の住民の方からです。「今まで住民の要求・要望は、ほぼ全部行政側にやって下さいと言うやり方だった。県や市の予算の関係もあるが 今からは私たちからお願いばかりするのではなく、地元で出来ることはやるから行政もやってもらいたい」と言う考えで行動しているとのことでした。

  話が前後してしまいますが、この川や河川敷愛護団体の件は経過説明をいたします。 この郡川は川から離れている私自身も40年ほど前の小学校の頃、水泳や川遊びなどをしたくらいですから、河口付近の寿古町や沖田町の方々は、それこそ日常不断に子供さんたちから大人まで親しんでこられたと思います。しかし、様々な要因で2002年以前頃までは、人の背丈くらいの草木や竹藪なってしまい、川に親しむような環境では なかったと聞きました。

  そのような状況を憂い、かつてのように郡川で泳いだり、川原で遊んだりして親しみやすい川を取り戻すために何回となく、行政側に要望されたそうです。 その結果、2002年頃から川の両岸に生い茂っていた草木、竹藪を刈られたそうです。その後、放置していたら、成長の速い草木が、また、元のように戻ってしまうので、これ以降は地元住民で手入れしていくとの考えで郡川愛護団体を作られ現在も、その活動を継続してこられました。

 夏草はなかなか強く、町内会や老人会で草を取っても直ぐに生えてきて、また草取りと言う繰り返しだったそうです。花の種をまき、花畑にすると、また、その所の草取りがずっと続いたと言うことです。(収入を得る仕事ではなくボランティアの住民活動の苦労話は、他にもあるのですが省略します)

 いずれにしても、このような地域住民の河川愛護活動により、現在は郡川両岸の河川敷は季節によって色々な花畑になり、子供たちから大人まで親しめる川になりました。この件、ご参考までに、『福重ホームページ』の「(寿古町から)郡川河川敷にお花畑を」、、「(沖田町から)河川愛護団体・ボランティア活動」、「2006 沖田町触れ合いイベント写真」などを、ご覧願います。

 また、このページ掲載中の写真は、郡川の両岸の河川敷で、この時季まわりの風景も含めて、この菜の花が咲いている景色は見事と言うほどです。テレビ局やアマチュアカメラマンも写しに来ておられます。この菜の花の風景しか知っておられない方なら、ここがかつて草木や竹藪が生い茂る所だったと想像もされないことと思われます。

 これらのことは、今回の言葉「地域住民もやるから行政も応えて欲しい」を実践しておられる例だと、私は思います。ただし、同時にこのようなことが全ての地域で総ての分野・事項に当てはまると思ってはいません。事柄によっては、行政側に100%要望して対応してもらうこともあろうかと思います。いずれにしても、このような「言うこともいうけど、やることもキッチリやっているぞ」との住民の姿勢は、行政含めて他の方々の心に響くものがあると思われます。

 あと、住民活動と一口で簡単に言えても実際の行動となると様々な問題もない訳ではありません。同じ住んでいる町なのに、顔も見たことない、挨拶はするけど話はしたことがない状況も現在では稀ではありません。そのような状況で、皆で力を合わせてやる諸活動は、最初からうまく出来なくても繰り返し行うことにより段々親しくなっていくことも可能なような気がします。

 また、地域全体が大きな家族みたいになれば子どもさんたちを守る目も増えますし、火事、地震や風水害の時にもお互いの対応も素早くなると思われます。地域住民の自発的な諸活動は何かの強制で出来るはずはなく、結局のところ繰り返しの話し込みも大切だなあと個人的には思っています。

(記:2008年4月13日)

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