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オルセー美術館、凱旋門など
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オルセー美術館
1996年9月3日その
オルセー美術館
 ベルサイユ駅から地下鉄に乗って13時50分頃には、オルセー駅に着きました。オルセー美術館は、以前は駅舎兼ホテルでした。1900年のパリ万国博覧会にあわせてオルレアン鉄道によって建設されたものでした。鉄道の営業廃止後、様々な転用があったようですが1986年にオルセー美術館としてオープンしました。

 実は、1986年と言えば私が初めて海外旅行(ヨーロッパ3空港調査旅行記)した年で、この時までは、まだ、印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)と言う名の美術館が確かに存在していました。残念ながら、この時(1986年2月)は、この印象派美術館は休館で、皆で「ちょっと残念だ」なあ」と言いながら近くにあったオランジュリ美術館(モネの睡蓮の大作がある)に行ったのを覚えていました。

 その印象派美術館にあった作品が、ここオルセー美術館に収蔵されていました。この美術館は時代的な作品別として古代からの美術工芸品や絵画の多いルーブル美術館と近代現代作品の多いポンピドゥー・センター(ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター)の中間位置だそうです。

 そのような表現よりむしろ私にはゴッホ、ゴーギャン、モネ、マネ、ルノワール、クールベなどの絵が飾ってある美術館と言った方が分かりやすかったです。ただ、この美術館は、ルーブルとともに超人気スポットで入館するのも時間がかかるし、有名な絵にだどりつくのもなかなかで、前回(1993年のスイス・パリ旅行記)に来た時も、満足に見れませんでした。

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コルドヴィルの藁ぶき屋根の家
ゴッホの絵、コルドヴィルの藁ぶき屋根の家
 今回は少し作戦を変えて、とにかく「ゴッホの絵を見よう」と言うことで、まずはそこを目指して行きました。皆で探して、「あー、あったあった、ここのコーナーよ」言いながら、色々な絵を見ました。ゴッホの絵で有名なのは、オヴェールの教会、アルルの女、アルルの寝室などと思います。

 私が、今回中型カメラで撮影したのは、右写真の『コルドヴィルの藁葺き屋根の家(コルドヴィルの藁ぶき家)』です。この絵のタイトルのフランス語読みは長くて、日本語名でどう呼ばれているのか、帰国してから結構苦労しました。あと、タカちゃんが、オヴェールの教会と自画像などを撮ってくれました。

 この絵は1890年の作品のようで、中央に藁ぶき屋根の農家があり、その後方に林があり、その上には夏の空と白い雲があります。いずれもかなり、うねったような描き方です。太陽光線が真上からか影がなく、スッキリはっきりした夏を思わせるタッチです。

 私の実家は、こんな大きな家ではありませんでしたが、実は小学生の頃改築するまで藁葺きの農家でした。それで、この絵に何か興味引かれる感じでした。その当時、家族総出で藁の張替えを何年かごとにやった経験もあるのですが、夏涼しく冬暖かい、この藁葺きの家は、ある種の郷愁が私にはありました。

 あと、印象派の有名な絵をそぞろ見ながら、屋上のカフェテリアに行きました。ここは、なかなかのお薦めスポットで、真下方向にはセーヌ川、対岸にはルーブル美術館、さらにはパリ市街も望めました。私は、喉が渇いたので、ここで混じりけなしの100%オレンジジュースを飲んだのですが、思わず「うまいなあ」と声が出ました。

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凱旋門
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写真中央:モンマルトルの丘
凱旋門
 オルセー美術館を出た後、歩いて対岸のオランジュリ美術館に行きました。しかし、あいにく休館日でした。それで、コンコルド広場方面まで歩き、そこから地下鉄でエトワル駅まで行きました。地上に出て、放射線状に沢山ある通り一つの真ん中に進み、凱旋門を何枚か撮りました。

 凱旋門の下にあるエトワル広場に行きたかったのですが、なかなか行き先が分からず迷いながら、なんとかいけました。無名戦士の墓、
リュドの彫刻ラ・マルセーズ」などを見ました。この凱旋門は、ナポレオンを讃えて1806年から1836年にかけてハイフィリップスによって建築されたものです。高さが約50m、幅が約45mで世界最大の凱旋門です。

 今度は「さあー、上に行こうか」とエレベターで上がろうと思ったのですが、運悪く故障中でした。タカちゃんの足の調子がまだ悪かったので、ヨーコちゃんと二人を残して、にいさんと20分間くらいかけて階段で屋上まで登り、なんとか16時前に着きました。

 この日、パリは最高の青空と見晴らしが良く、ゼイゼイ言いながら登った苦労を忘れさすような天気でした。近くはシャンゼリゼなど放射状に伸びる大通り、遠くはモンマルトルの丘やモンパルナスタワーなど知っている建物などが、はっきりと見えました。

 「あれが、後で行く予定の白亜の大聖堂と呼ばれているサクレクール寺院ですよ。こっちの方向が、さっき歩いていたコンコルド広場で、やっぱりシャンゼリゼ通りは道幅が広いですね」などと説明していました。
にいさんが盛んに「ビデオを持ってくれば良かった」と悔やんでいました。

 
しばし、周辺の景色を楽しんだ後、また長い階段を下りました。凱旋門下で待っている二人に、登りで疲れたことは言わずに「イヤー、屋上からの眺めは、すごく景色が良かった」と早速報告でした。あと、凱旋門の切符売り場で見たところ、今回は故障中のため使いませんでしたが、エレベターにもカルト・ミューゼが使えるようでした。

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カフェ・フーケ
シャンゼリゼ大通り
 屋上からの見晴らしの話などしながら、
シャンゼリゼ大通りをコンコルド広場に向かって左歩道を歩いていきました。途中、通り反対側に作家レマルクの「凱旋門」で有名なカフェ・フーケの赤いヒサシの店が見えました。さらには、ベネトン、ゲラン、ランバンなど、おしゃれな店も通り両側にあったようでした。

 このシャンゼリゼ大通りは、ナポレオン3世時代に拡幅されて幅約70m、凱旋門からコンコルド広場まで一直線に約2kmの道です。日本では革命記念日や何かのイベント時のパレードなどで有名だと思います。プラタナスやマロニエの街路樹がなければ、ちょっとした小型ジェット機まで離着陸できそうな広い大きな通りでした。

 どこか喫茶店に入りたかったのですが、カフェ・フーケを始め、この通り沿いにある店は、どこも高そうに見えて結局脇道に入りました。しばらく探して、17時前に『カフェ・ローマ』に入りました。「この前までローマにいて、パリでまたローマか」などと言いながら、ここで20分間くらい休みました。

 その後、歩いて地下鉄のフランクリン・ルーズベルト駅まで行き、そこからオペラ座近くの駅へ向かいました。百貨店のギャルリー・ラファイエットやプランタン巡りをおこない、ヨーコちゃんはアニエスのセーターを買っていました。地下鉄オペラ駅からサンミッシェル駅へ行き、セーヌ川左岸を歩きました。青いヒサシが印象的なレストラン『ラ・カンパニューエ・プロヴァンス』へ、夕食の予約を直接入れました。

(旅行メモ)
13:21 ヴェルサイユ駅からオルセー駅へ,、オルセー美術館でゴッホの絵などを見た。
13:50 対岸のオランジュリ美術館に行ったが、休館だった。
14:00 コンコルド広場へ行き地下鉄コンコルド駅からエトワル駅へ行った。
14:15 エトワル駅から地上に出て、通りの真ん中で凱旋門を撮った。
14:25 凱旋門のエトワル広場で、無名戦士の墓などを見学した。
15:55 エレベーター故障中のため歩いて登り、凱旋門の屋上に到着した。最高の見晴らしだった。
16:20 シャンゼリゼ大通りをコンコルド広場に向かって左歩道を歩いた。
16:55 『カフェ・ローマ』で、小休止した。
17:20 フランクリン・ルーズベルト駅からオペラ座近くの駅へ向かった。
17:35 百貨店のギャルリー・ラファイエット、プランタン巡りをおこない、その後地下鉄オペラ駅からサンミッシェル駅へ行った。
19:30 セーヌ川左岸へ歩き、レストラン『ラ・カンパニューエ・プロヴァンス』へ予約を入れた。
(掲載日:2006年7月17日)

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