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第4日目10月19日(火)

国際連合

 07時にはスイス3日目の朝がきた。洗面し、テレビを見ているとエールフランス労組のストライキを報道していた。段々激しくなっているようだった。エールフランス社員の小林通訳の話しによると「いつもせいぜい数時間か1日位だからそんなに長く続かないから、パリに行く22日は大丈夫でしょう」と。朝食時にもこの話しが出た。

 08時にロビー集合し、タクシーでパレ・デ・ナション(元国際連盟、現ヨーロッパ国連総本部や各種国連機関がある)へ出発した。15分後にはパレ・デ・ナションに到着した。時間待ちのため売店やトイレをブラブラし、小林弁護士が日経新聞を買われたので見せてもらった。なぜかしらなつかしい感じがした。

 09時25分から会議室で国連職員の白川さんから国連や各委員会について約1時間レクチャーを受けた。11時前に正面入り口のロビー集合し、近くの売店でボールペン、バッグ等を購入した。11時過ぎから国連紹介のビデオ放映がはじまった。ビデオは約30分間で画像は分かっても説明が分からないためこっくりコックリとしていた。

 それからビルそのもの見学で最初に壁に大きくイラスト化された国連機関の模様の説明があった。その図にはユネスコ、ユニセフ、ガット等私でも読める英語があった。 12時40分に約束していたフランス人のシャエさんと会い国際会議場でインタビューと日本の報告をした。13時まわってからカフェテリア(食堂)へ昼食を食べに行った。

 私は「きじ鳥の定食」とロゼワインを頼み12.5フランだった。その後セルフサービス・カフェでコーヒー1杯1.6フランだった。 15時から今週開催中の「ヒューマンライトコッミティー」の委員会を傍聴した。内容はアイルランドの政府報告であった。5ヶ国語の通訳がヘッドフォンから流れてきたが残念ながら日本語はなかった。18時過ぎにパレ・デ・ナションのビルを出ることにした。

 帰りはゆっくりできるため歩いて帰ることにした。ガット前のビルを横切り公園に出て、前にはレマン湖が広がっていた。19時にあまり代わり映えのしない夕食を食べた。しばらく明日の打ち合わせを行い、終了後誰彼なしに「外に出ましょうか」の誘いがあった。 

 22時30分ホテル近くのイタリア風ビヤレストラン「シェッチーノ」に入った。丁度テレビでサッカーの試合放映をしていた。ワールドカップのアジア予選での日本チームの勝敗が気になったが放送していなかった。ビールのあてに頼んだ肉の薄切りときゅうりのような一夜漬けの味はマアマアだった。帰りにジェスチャーと声の大きい女性店員からコースターをもらった。 

 とっくに23時をまわっていたのでゆっくりできないがレストラン前のキオスクでアーミーナイフ等を見る。こんな時間開いている店はやはり全体の値段が高いような感じがした。 生ビールのここち良いほろ酔い気分も手伝い、24時過ぎにはベッドにバタンキューで寝れた。(1994年1月1日記す)

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