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(このページは、主に1986年2月24日、25日のことを書いています)

降り積もった雪
  パリ最後の薄暗い朝が来た。窓の外を見ると昨日より雪が降り積もっていた。タイヤの通った所だけ黒い車道、厚手のコートを着て歩道を急ぐ人、屋根の上の小さな煙突から沸き上がる白い蒸気、見るもの総てが真冬のパリだった。「昨日途中で寝てしまいましたが、良く寝れましたか?」、「うん、昨夜は良く歌ったね」等の会話をしながら、起き上がった。 7時には毎日変わらないカフェオーレとクロワッサンを食べていると段々暖まってきた。

 今日パリを立つため空港に行く時間が早く、食事もそこそこに部屋に戻った。机に置いていたお土産や衣類をサムソナイトへきっちり詰めて旅支度は終わった。使い切れなかった日本茶は「グリーンティー、プリーズ」と言って部屋の前にいた掃除のおばちゃんにあげると「メルシー」と返事してくれた。 7時40分にフロントで精算を済ませ、タクシーを待つことにした。

 前にも見た古い地図を見ながら、今回行ったパリ市街のいくつかを指差しているとタクシーが来た。何回となく歩きまわったオペラ座の通りではなく、違う道路から一路凱旋門の方角へと向かった。梅田の駅前通りを思わせるような車の洪水から凱旋門まわりを半周し、遠くに高層ビル群が見える通りをタクシーは走った。

 そこからさらに高架式のパリ環状線と言うべき自動車専用道路に入りしばらく走ると、パリ到着後直ぐに行ったことのある『モンマルトルの丘』、白亜の大聖堂『サクレクール寺院』等が見えてきたので、「あそこには行ってきましたよね」と話しかけ、顔を窓につけた。タクシーは蚤の市で有名な『ポルト・クニャン・クール』の上を通り過ぎ、次に大きく左に折れ一路高速道路をひた走り、シャルル・ド・ゴール空港へ向かった。

1986年当時のCDG空港ターミナル2(AFパンフレットより)
いいことあるよ
 
8時40分、もう空港見学を回数に入れると5回も来たことになるシャルル・ド・ゴール空港・ターミナル2にタクシーは横付けした。お土産などで肩がひっぱられる位になったサムソナイトをどっこらっしょっと降ろすと変わるがわるカメラを外に出した。まだ、時間はあったので、私は手荷物を松尾さんに頼み、ビデオカメラを持って、ビルの影のない所まで歩いて行った。

 王冠型のターミナルビルの屋根は波状であるが、少し位カメラをまわしても、この独特な形状が全体に入らなかった。屋根の下から上へ、ビル伝いにバス亭などをゆっくりペースでレンズを合わせると、朝焼けの太陽が雲に隠れながらも上がってきた。 9時5分に、「そろそろチェックインするよ」との小林さんの掛け声で、鞄を引きずりながらカウンターに向かった。

 そこには日本人スタッフがいて、小林さんの知り合いだった。私と松尾さんは挨拶の後、列を離れ、お二人の話しを待った。後で聞くと日本人スタッフはパリで長く勤務され、現地で結婚されていると言うことだった。このような方はフランス語がしゃべれない私にとって本当に助かるし、頼もしく感じた。

 3人ともエールフランス航空AF272便にチェックインしたら、小林さんが「機内でいいことあるよ」と教えて下さった。何だろうかなと思いながら、手荷物もなくなり身軽になったので、ターミナルビル内の散策となった。お土産店、カフェテリアなどいくつか目についた。どこも香水、バッグ、チョコレート、お菓子等どれも似たような品物が並んでいた。

 一通り見てまわるとそろそろ出国準備の時間がきたため、まず、手荷物検査場、それから23番ゲートへと向かった。ゲートのまわりにもお土産店があり、小銭は日本で交換できないので買えるだけチョレートを手にした。 10時25分、搭乗案内のアナウンスがフランス語、日本語で始まった。エールフランスAF272便の機体に乗ると、いよいよ、パリを離れる時が間近かに迫ってきた。

1986年当時の航空券(AF272 パリ→成田)
 最初、来た時と同じように座席はエコノミークラスかと思ったが、今度はLe club(ル:クラブ=英語ではザ:クラブ)と言うビジネスクラスだった。通訳の方から「機内でいいことあるよ」の意味がやっと分かった。26Gの座席はエコノミーと比べシートピッチ(座席間隔)も広く、シート自体が少しデラックスだった。それにウェルカムドリンクに使われているグラスもガラス製で、オーデェオ用イヤホーンまでもプラスチックでなく普通のヘッドフォンだった。

 10時50分、4発のエンジンスタートもかかり、ランプアウトが始まった。しばらく誘導路を走り、安全ベルトを締め直すと、エンジン音の高まりとともに11時5分、AF272便の機体はテイクオフした。

報告書の準備
 ああ、これでこの旅行も、パリも終わりかなと思いながらも、私には帰国後の3空港調査報告書のことが気になり始めた。出発前は「報告書のことはあまり気にせず、思いきり楽しんで見てきなさいよ」との言葉も多く頂いた。でも、皆さんのお金で行かせてもらったので、下手でもいいから、できるだけ詳しくありのままのレポートを書こうと考えていた。

 パリ、ローマ、ロンドンと調査項目を3空港別々で、あり合わせの便箋に書き留めていった。見た空港順に整理するが、これが口で5分で言えても文章に書くとなるとなかなか表現しにくく、帰国するまで概要でもまとめきれるか自信がなかった。しばらくすると昼食の時間が来て、ペンを止めた。

 このクラスはランチボックス形式ばかりだったエコノミー席と違い、食前酒のアペリティフから始まり、伊勢海老、若鳥の胸肉などが運ばれて来た。白ワインもおかわりでき、何も言うことはなく、小林さんに「全然、何から何まで違うんですね」と言った。 機内食も終わり、眠りもせずに読書灯をつけ放しで、資料を見たり、便箋に書いたりしていると、日本人スチュワーデスから「ずっと、お仕事ですか?大変ですね」と言われた。しばらくするとさすがに眠気とワイン酔いも手伝いウトウトとなった。

キャビア
(これからは日本時間、2月25日) 4時10分、AF272便の機体はアンカレッジ空港へ給油のため着陸した。この空港には2月14日にも来たが、まだ、外は雪と鉛色の空は変わらなかった。いつものことなのか、はたまた偶然なのか、今度も以前と同じN5番スポットに駐機した。

 先程までの疲れを忘れ、早速、ゲートの方に行くと日本語が一杯だった。同じ様な時間帯に行き、帰りのジャンボ機が重なっていると思われた。 各々別れてお土産を買うか、しばらくゲート近くをウロウロすることとなった。私は日系人の店員の方に『LONGCHAMP(ロンシャン)』の濃紺のバッグを指差した。

 カードでの支払いも慣れてきて、155ドルと書いてあるレシートへのサインもさっさと終わった。「上野君は何を買ったの」と聞かれ、「自分用に肩下げ鞄を、セカンドバッグもついていますよ。それにチョコレートのお土産と」と答えた。5時前から搭乗案内が始まった。

 また、長いフライトの始まるのかと思いながら機内に入ると、報告書が気になり書きはじめた。やっと3空港の特徴を大まかに書き留めるまでになったところで、夕食の時間が来た。 小さな缶詰を開けると中は何とキャビアが入っていた。世界の三大珍味(キャビア、フォアグラ、トリフュ)とか呼ばれているそうで、私は初めてだった。

 クッキーの上に少しづつ乗せて食べてみた。「たとえたら、黒っぽいイクラですかね」と会話が続いた。あとは牛のヒレ肉、バターライスなど、白ワインと相性が良かった。 機内では寝るか、食事か、映画を見る位しかすることがなく、長時間フライトは退屈そのものだ。007シリーズの映画がなら、テンポもあり、良く見るが、上映中フランス映画はチンプンカンプンだった。また、便箋と手帳を取り出さざるを得なかった。

機内で頂いた絵葉書(ボーイング747機)
日本へは風に乗って
 3時間位ウトウトしたのか、ぱっと機内照明が点灯し、窓のブラインドが開けられた。今度は「フランス風朝食です」とのアナウンスがあった。「フランス風朝食」と聞こえはいいが、昨日までずっと食べていたコーヒー、ジュース、桃、それにクロワッサンだった。

 段々、太平洋の上空とは言え「あともう少しで日本だな」「風に乗っているのか、相当早く着くようだ」等との話しの次には成田空港に着いたらどうするか等との話題が増えてきた。

 小林さんは横浜、松尾さんは大田区、私は羽田空港に移動し、さらに大阪空港までだ。羽田まではリムジンバスでと考えていたが、松尾さんの友人が出迎えてくれるので、厚かましくも同乗のお願いをした。 AF272便は定刻よりも約30分も早く12時5分に成田空港に着陸した。

 入国検査も簡単に終わり、手荷物受けて後の税関検査も特にコート以外は金目の物は買わなかったので、手短に終わった。 13時30分、ターミナル到着口でお互いに「お疲れ様でした」「楽しかったです」「また、ビデオや写真見ながら交流会しましょう」との会話で『ヨーロッパ3空港調査団』の解散となった。 羽田まで行けば遠回りなるので、申し訳ないと思いつつ、松尾さんの友人の車に乗せていただいた。羽田までは約1時間半位かなと思っていた。

 しかし、疲れと少しの渋滞もあり、もう1回パリまで行けるのではと思う位長く感じた。前の二人には済まないと思いつつ、後部座席でずっとウトウト、グウグウの連続だった。 16時前に羽田のターミナルビルに車は着いた。「ご無理言って乗せていただきありがとうございました」と二人にお礼を言った。

 サムソナイトをゴロゴロ引きずりながら、今度は全日空の旅客カウンターに向かった。全日空35便(NH35)は空いていたのか簡単にチェックインは終わった。 身軽になって、まだ時間があるため、いつも羽田に来た時に食べに行く空港従業員食堂に向かった。久しぶりに日本のラーメンを食べたが、味はいつもの味付けでもなぜかしら、腹はほっとした。

 慣れた手荷物検査場やゲートでの待合をしていると17時に機内案内が始まった。座席に着くと「まだ1時間かかるが、あ〜あ、これで大阪に帰れるな」と考えるものだ。15分後ジャンボ機は離陸したが、また、お腹が安心したのか、時差の疲れからか、熟睡が始まった。

 18時20分、私の仕事場でもあり、今回の旅の終わりでもある大阪空港の18番スポットに到着した。到着口で手荷物を受け取り、タグ(手荷物の合付)を切ってもらうのは同じ社員なので、「どこに行ったん」「ヨーロッパの3空港」「ええな〜」等との会話になった。

 出口には同僚が出迎えてくれ、彼の自家用車に乗り込んだ。空港から石橋までは15分もかからないが、その間はずっと旅行や留守中の話しが続いた。 一部屋だけ明りの灯いていないアパートの前庭に車は着いた。「ありがとう」と言い、手荷物を2階に上げた。新聞や葉書があふれている郵便受けを見ながら鍵をまわした。11日ぶりに蛍光灯をつけるといつもの部屋に戻った。

(旅行記原稿作成日:1988年10月1日、ホームページ掲載日:2005年11月28日)


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