女性陣の多いバンド
新潟は、1990年9月28日に始めて行きました。新潟に来る前、(既に紹介済みの)青森ケントス(9月26日)、次の日(9月27日)秋田空港の知人と一緒に秋田市内でジャズのライブを聴き、その次が新潟ケントスでした。このように、3泊4日でまわったこの旅行は、音楽三昧と言う感じでした。
秋田から新潟駅には、夕方到着したため、特に、どこか見学と言う訳にもいかず、いつもの通り、居酒屋探しをしようと思っていました。ただ、いつも旅行時持ち歩いているカバンから銀座ライオンのカードが出てきました。
たぶん東京に行った時、銀座ライオン(ビヤホールの老舗)本店でもらったカードをそのままカバンにしまっておいた物で、そこには、新潟店の簡単な地図も書いてありました。ここなら、生ビールや地元の料理も出るのではと勝手に思い、ホテルから出かけることにしました。
信濃川にかかる長い橋を歩くと、新潟大震災(1967年東京オリンピックあった年に発生)を思い出しました。この地震は、当時私は小学生でしたが、信濃川にかかる橋桁全部が川に片側落ちた写真は、よく覚えていました。
自分が渡った橋かどうか分かりませんが、「この辺かなあと思いながら」渡り、ほどなく、ビヤホールの玄関前に着きました。外に置いてある宣伝物を見ると、自分の考えていたメニューと違っていたので、結局最初から居酒屋探しをすることになりました。
時間的にまだ少しだけ早かったのか、全部の居酒屋が開いていなくて、古町通り界隈をかなり歩きまわり、普通の居酒屋を見つけ、「ここでもいいか」と腰を落ち着け、飲んでいると丁度いい時間になってきました。
新潟ケントスは、六本木店を除けば、ケントスの全国展開でも仙台店についで2番目か3番目にオープンしたところでした。
着席後スタッフの方へ、飲み物の注文をしながら、「大阪から来ました。何かこちらのオリジナルのチラシなどあれば欲しいのですが」とお願いすると後で、リーフレットと葉書(上記地図及び下記写真)をもらいました。
ステージが始まるまで、これらをゆっくり見ていると、(当時の)ハウスバンド『バーニングラブ』は、春にメンバー交代されていたみたいで、しかも、女性陣が3人となっていました。
チューニングが始まり、期待しながら待っていると、ボーカルの女性の方は、ミリタリールックの良く似合う方でした。週末の夜でもあり、そろそろ”盛り上がりタイム”で、踊りだすお客さんも多いのかと思ったのですが、まだまだでした。曲の中にはチークダンスに向いた2曲も含め踊りやすい演奏もあったのですが、お客さんは席から離れないような状況でした。
演奏後、団体さんが入ったのか、週末らしくけっこう賑やかになってきて、次のステージでは、女性同士手を引いて踊りだすグループもありました。どこの店でも見ましたが、けっこう女性ばかりのグループは、踊りを楽しむ方も多いような気がしました。
私の(ベンチャーズの曲も含めて)リクエスト曲も引いて下さりました。私だけかもしれませんが、リクエスト曲がかったり、自分の名前呼ばれたら、初めての店でも、なんかバンドの方とも親近感が湧いてくるそんな感じを私はしていました。
私は、帰り際、「どこか、おいしい寿司屋さんは、ありませんか」とスタッフの方に、たずねると、「かね清は、どうですか」と教えてもらいました。目の前の日本海でとれた魚だろうなと思いながら食べた寿司は、なかなかでした。
なお、私が行ったのは、1990年当時ですが、昨年(2001年)秋、現在新潟ケントスで、ご活躍中のバンド「WILD SWING’S」のギタリスト「こうちゃん」さんのホームページを知りました。メンバー紹介、写真など、掲載されています。(下記をクリックしてご覧下さい)
新潟ケントス「WILD SWING’S」
ギターのこうちゃんさんのホームページ
新潟ケントスのデータ (下記は、1990年9月時点) |
バンド名 |
バーニングラブ |
所在地 |
新潟市古町通8-1493大竹座ビルB1 |
電話番号 |
025-224-5055 |
新潟ケントスへのリンク(下記クリック) |
http://www.kentos1.com/ |
特記事項、その他 |
オープンは、1985年 |
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