小倉ケントス
帰りは新幹線 1990年3月22日、私は、福岡空港での会議も終わり、夕方リムジンバスに先輩2人と乗り、約1時間半くらいかけて小倉に行きました。(小倉ケントスは、この日のこの1回だけ行きました。その後、閉店されたと聞きました) 目的は、「何がなんでも小倉ケントスに行くのだ」と言うだけでした。その私のわがままを福岡の先輩たちが心良く聞いてくれました。このバスの路線付近は、ほとんど今まで見たことがないのに、こっくり、コックリといい気分で寝れて、”本番”にそなえての体力回復(笑い)には、もってこいの車中でした。 小倉駅から歩いても、たいした距離でない所に魚町があり、そこに居酒屋の黒田節と言う店があったので、3人で腹ごしらえと言いますか、飲みごしらえ(笑い)といいますか、しっかりとやりました。 先輩の内、一人は学生時代から、オールディーズもエレキバンドも大好きだという人でした。それで、今夜は最初から盛り上がるのではと予想していました。 小倉ケントスは、当時、小倉北区堺町の「馬鈴薯館」ビルの2階にありました。3人で「イヤー、けっこう珍しいビルの名前ですね」など言いながら向かったことを覚えています。 この日店内は、3分の2くらいのお客さんが入っていました。(店に入るなり何ですが)博多に帰る時間との関係もあるので、さっさとボトルカード、ドリンク、フードの注文その他を済ませ、いつもよりピッチ良くメートルを上げていました。 ステージも始まり、聴いていると、博多の流れを組んでいるのか、ここご当地のバンドななのか、知りませんでしたが、けっこうギンギン、ノリノリの演奏でした。私が聴いている内に、先輩達はもう踊りに行っていました。 (上野注:このページを掲載した後にさらに調べて分ったことですが、私が行ったこの日は、ハウスバンドのペパーミンツではなく、ラッキーリップスのバンドでした。このバンドは、当時、広島店をはじめ、岡山店、九州の店でも演奏されていました) 私は、店内のチラシなどで調べもの(笑い)していると、この店は博多、熊本ケントスとともに3店同じ系列の会社だと分りました。
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