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はじめに

はじめに

 のりやすい、踊りやすい、覚えやすい、年月たっても新鮮な感じになる曲。それがオールディーズ=アメリカの50年から60年代のポップスです。

 私は、この年代より、一世代くらい遅い1957年生まれですから、ヒット途中ではなく、多くが後で聴きました。でも、エルビス・プレスリーに関しては、第2次及び第3次全盛時代(映画で言えば『エルビス・オン・ステージ』『エルビス・オン・ツアー』など)は、二十歳前後に聴きました。

 この50年から60年代は、「アメリカが、最も輝いていた時」と言われていましたが、歌手の方もエルビスを始め、コニーフランシス、ニールセダカ、ポールアンカなど、キラ星のごとく輩出した時代でした。

 私は、エルビスの映画『エルビス・オン・ツアー』の後、このような曲はレコードやテレビでたまに聴くものと思っていました。しかし、全曲アメリカンポップスの演奏をしているライブハウス(生演奏の店)の存在を知ったのは、1986年1月六本木でした。全日空の乗員さんからお誘いがあり、『六本木ケントス』と言う店に行きました。

 バンドの演奏する曲や歌は、以前全て聴いたような、それでいて、新鮮な思いがしました。しかも、店内のいたるところでお客さんが踊っていて、盛り上がりが今までに経験したこのない感じ方をしました。私も、当然誘われるままに、へっぴり腰ながらいつの間にか体を動かして、踊っていました。

 一度このような店の存在を知ると、また、行ってみたいと思うような気がしてきました。当時大阪府池田市在住だったので、都合のいい具合に難波に同じようなチェーン店で『大阪南ケントス』があるのを知りました。1986年中は、ここにずっと月1回くらいのペースで通いはじめました。

 1987年3月27日オープンした翌日の梅田ケントスに行きました。この時以降、この店が私のフランチャイズみたいになっていきました。それは、ここの店長の薦めもあり、「パスポート会員」(登録費と年会費を払えば、キープのドリンク、ワンフード及びミュージックフィーはフリー、ただし、追加注文は当然その都度清算)になり、この便利なカードを利用し、多い月で5回前後も通いはじめたからです。

 この後、全国各県・各地にケントス店ができましたので、出張や旅行のついでに、ライブハウス巡りをしました。どこも店内は、ほぼ同じ内装や雰囲気でしたが、その地方独特の人柄や料理にも興味を引きました。中には残念ながら、また行きたいなと思った店もありましたが、閉店になったところもあります。

 今回、私が巡った全国各地ケントスで、まだ、行っていない店や行けないまま閉店した店(この項は、名前だけの紹介)も、一緒にまとめてみようと思いました。梅田ケントスのように500回位通った店もあれば、青森、宇都宮、大宮、錦糸町、岐阜、姫路、小倉、熊本、鹿児島など1回切り行っただけで、その後閉店(及び店名変更含む)になり、もう行けない店も書いています。

 このホームページには、文字だけではなく、当時何か記念になればと思い、その店から頂いたパンフレット、チラシやボトルカードをスキャニングして、1ページに付き数枚づつ画像も掲載しています。どの店でも、ボトルキープして飲んでいましたから、カードをもらいました。

 しかし、遠隔地の店など「もう来ることはないし、持っていても使い道ない」と思い、隣の席(地元の人)の方にボトルカードを差し上げていました。今このようにして、ホームページ作成段階になって始めて、あのカードがあれば、ページに変化が出るのになあと思いましたが、その分は他のパンフレットやチラシで代用したいと思います。

 なお 、現在(2001年秋)、インターネット情報を除き、手元に全国各地のケントス情報が入手できないので、ここに掲載している事項は全て私が行った当時のもので、今の情報ではないことをあらかじめご了承願います

 順序が逆になりましたが、このページを訪問して下さってありがとうございます。また、ご一読して頂ければ、書いた私としまして、無上の喜びです。重ねて感謝申し上げます。(2001年10月28日)

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