ビバリー・センター
(観光地や映画ロケ地紹介の第10回目)
2008年11月、カリフォルニやグランド・キャニオンなどの旅行で行った観光地や映画のロケ地紹介の第10回目は、ビバリー・センター(Beverly Center)です。私は、旅行中に2泊したホテルが、このビバリー・センターの直ぐ前にあるソフィテル・ホテル・ロサンゼルスだったため食事やショッピングのため何回となく入りました。
このビバリー・センターが、登場する映画やテレビ番組など色々あるようですが、今回は映画『ボルケーノ』(Volcano 、公開1997年)を取り上げたいと思っています。この映画には、何回となくこの建物含めて、この周辺が出てきます。
ビバリー・センター(Beverly Center)
この建物は、ビバリー・ヒルズやハリウッドにも近い位置にあります。日本流に表現しますと「複合的な総合ショッピングモール」とでも言うのでしょうか。デパート、ブティックはもちろんのこと映画館、喫茶店、レストラン、ファースト・フード店など約160店舗くらいあるショッピングセンターです。駐車場も何階もある広いものでした。(詳細は、英語版のBeverly Centerのサイトから、ご覧下さい)
建物の外観は、掲載写真(右側1、3番目参照)でもお分かりの通りベージュ色の外壁です。また、私達が良く目にした先端部(右側1,2番目写真参照)は、丸みを帯びた形状です。また、アメリカまで来てタタミの枚数まで計算しなくてもいいのでしょうが、この先端部にある湾曲した看板の広さは、何十畳もありそうでした。あと、白色ながら良く目立つBEVERLY CENTERの文字は、昼夜とも分かりやすいものでした。
買い物好きな方なら当然のことですが、そうでなくても何かと旅行すればお土産などを物色する時など悩む場合もあるかと思います。しかし、ここなら、一つの建物内で、ほぼ何でも揃っているので、私は便利だなあと思いました。
買い物だけでなく、私達は、このセンター内にあるレストランの「グランド・ラックス・カフェ」で夕食をとりましたが、盛り付けの大きいのに驚きつつも、味はまあまあのものでした。ビバリー・センターは、ビバリーヒルズやハリウッド観光をされる方にとって便利な位置にあるので色々な意味で、お勧めショッピング・モールとも言えます。
映画ボルケーノ
この『ボルケーノ』(Volcano 、公開1997年)の映画内容は、極々簡単に書きますと、ロサンゼルスの市内で火山が噴火して溶岩が流れ出し被害が広がり、それを懸命に食い止めようとする人間の闘いみたいなものです。(この映画をご存知ない方は、ユーチューブの動画サイトに「Volcano (1997)」と文字入力されて検索をかけてみて下さい。映画予告編がいくつか出るようです)
主役は、トミー・リー・ジョーンズ(OEM=Office of Emergenxy Management=カリフォルニア州緊急事態管理局・局長マイク・ローク役)、 アン・ヘッシュ (地質学者エイミー・バーンズ役)などです。私は英語が読めないので憶測ですが、ビバリー・センター宣伝のためかと思うほど、ここが何回となく登場してきます。建物が映し出されるだけでなく、会話としても、このセンターの名前が良く出てきます。
そのいくつかを、これからご紹介します。まず、最初の頃、地下鉄建設についての市民集会が行われていた場所も、このセンター前周辺です。この前は、ラ・シェネガ通り(La Cienega )ですが、先の市民集会シーンで、この通り名のある道路標識が映画にも写っていました。また、トミー・リー・ジョーンズが休暇の朝、その娘さんと地震が起こらなければ一緒にビバリー・センターに行く予定になっていたのですが。あと後半で消防士や警察など多くの人々が流れ来る溶岩に立ち向かって必死の作業を展開する場面も、この建物前周辺です。
その後、溶岩が迫ってきている中でトミー・リー・ジョーンズの娘役が預かった黒人の子どもを探したのも 、このビルの駐車場です。また、溶岩の流れを変えるために建設途中の22階建て「ビバリー・ハイツ・タワー」を爆破し横倒した場所も、このセンター前当たりです。あと、先のほどの親娘の話で「今日はビバリー・センターに行くのだったなあ」みたいな会話までも出てきます。
ロサンゼルスのど真ん中から溶岩が噴出して市内を流れまわり、幾多の被害を出していくと言う想定も、現実にありうるのかどうかは、さておき私は第一印象「あー、アメリカ映画らしいなあ」と思いました。でも、それだけでなく「あのことも、このことも映画で言いたかったのかなあ」と思う場面や話しがいくつかあり、勉強にもなりました。それらの中に溶岩流などが実際発生した場合、あのように溶岩の流れを人の力で変えることが可能かどうか不明ながら、とにかく、消防士などが自己犠牲や超人的とも思えるくらいに立ち向かっていくシーンは、なんかアメリカ的な感じがしました。
また、火災やビルの倒壊などで、そこにいた全員、顔含めて体全体に粉塵まみれになります。そして、そのような中、黒人の子どもさんのお母さんを探すためトミー・リー・ジョーンズが、「お母さんの(顔や体の)特徴は?」と尋ねます。それに対し子どもが、(周辺にいる全員が粉塵まみれで、白人も黒人も男女別さえも見分けがつかなくなってしまっているので)「あの人たち、みんな一緒だねえ」と言うシーンがあります。また、そう言えば、消防士を手伝ったのも一般市民の黒人でしたし、主役のOEM局長の代行でテキパキと指示を出していたのは若い黒人のスタッフで、けっこう有能な局員として描いてあるような感じにも見えました。
このように
一見なんでもないようなシーンや会話ですが、「自然の大災害を目の前にすれば人種別なんか関係ない、人間は全員で力を合わせて立ち向かっていくんだ」と言いたかったでしょう。さらにもう一つ興味深かったのは、このような時の大金持ちの描き方です。災害が起こる前に自分が建てた高層ビルの中から下を見下ろしながら、現在は一般市民相手の妻(医師)に向かって「(このようなビルを建てるため)3年で4つの銀行から1億ドル出させた」、「これからも、まだ建てていく」、「君は、このペントハウスから歩いて病院へ通えるよ」、「君も、もう銃で撃たれた患者なんか相手にするな」みたいな自慢話しがあります。
その後、この金持ちは、災害の真っただ中、病院で必死に治療や避難誘導など患者のために働いている妻(医師)に向かって「君の用事は、とっくに済んだだろう。君にとって関係ない人間ではないないのか。自分は死んでも、いいのか」みたいに言っていました。その夫への返事として妻は、持ち場を離れず頑として患者への処置を続けたのですが、その金持ちは手伝おうとしないばかりか、妻に対して「くそったれ! 俺は帰る」と言って、その場にいた人々を見捨てるように立ち去るシーンが出てきます。
人は、平和な時や日常不断時では、性格が他人には分かりにくいものですが、災害ばかりではなく何か困難なことに直面した時に、その人の本性が、いい意味でも、そうでない意味でも現れるとも言います。たぶん、この映画製作者や監督さんは、そのことも含めて忙しいシーンの連続の中に、わざわざ、先の場面や会話を入れて、このことの意味を込めているような気がしました。
あと、重複してしまいますが、「人間は自然災害を目の前にすれば人種も金持ちも貧乏人も関係なく助け合わないと生きていけない」とのメッセージがあるのではと先に書きました。さらに、私は飛躍して考えれば、それは「できれば災害などがあってもなくても、人は日常不断に、お互いにこんな風になればなあ」との願いもこめた映画のように思えました。
(掲載日:2010年7月22日)