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福田さんの写真館

2007年パレスチナ撮影を終えて

なんか変わりつつあるのか、パレスチナ

  皆様へ、私は、 2007年11月29日に無事帰国いたしました。出発から現地入りまで緊張感も期待感もなくテーマも思いつかず、「長崎まで仕事」くらいの軽い足取りで行ってまいりました。(イスラエルの出入国は以前にまして大変でした)パレスチナ西岸においてはイスラエルとの大きな衝突もなく(いる間、武力衝突はナブルスで1件のみ)、代わりにパレスチナ政府の権力といいますか圧力が住民に対してなされているように私は感じました。

 西岸の至る所でイスラエル軍に変わりパレスチナポリスが検閲し、政府は「イスラエルへの抵抗運動はやめましょう」と打ち出し、毎週行われていたファタハやハマスなどの集会もなくなりました。武器の所有者をパレスチナポリスが逮捕し、ナブルス・バラータ難民キャンプでは住民とポリスの銃撃戦まで発展しました。街のセンターでは路上の出店を一掃、武装したポリスが巡回していました。「街をクリーンにしましょう」という横断幕もあちこちに掲げられています。

ナブルスにて、パレスチナの知人たちと(右端が福田さん、中央の青いマフラーの人がカフェの親父さんでアムラハビさん)

 そんな動きがラマダン明けの1週間後くらいから一変しました。過去4年パレスチナを訪れていますが、今回一番変化に気付くのはへジャーブ(頭に着けるスカーフ)をはずした女性を多く見かけたことです。

  エルサレムやラマラでは早い時期にみましたがナブルスでは無いに等しかった。人々に問うと「自由でよいこと」「良くない」どちらの意見もありましたが、そこまでこだわってはいないようで着けるつけないは、その家庭によってイスラムに厳格かどうか、のようです。「良くない」という男性も内心は喜んでいて彼らにとっては刺激的なようです。

 付け加えると半袖Tシャツにジーパンもいました。女性はボディーラインがみえないようにロングコートを身に着けるのが原則です。すくなくともジーパンでもケツ下まで覆う上着を着けます。そんな変化も人々は「慣れ」ていくのでしょう。イスラムらしさがなくなり私は少し寂しいのと人々の心情までも変わってしまうのではないかという悲しさもあります。

 もうひとつは子ども達の変化です。出くわす子どもが「金クレ」を言い出したことです、これは以前になかった、あったけども過去3回に数人程度でした。それが流行りなのかどうかわかりませんが。そもそもパレスチナといえども冷蔵庫に洗濯機、PCに携帯電話なんでも買えます。金があれば。アラビア語圏内をカバーする衛星テレビも一家に一台はあります。

 アメリカのアクション映画専門のチャンネルもあります。カタールやサウジなど先進のコマーシャルは日本のそれより映像のできはよいです。・・・・・・・行数が少し長くなりそうなので・・・・。私の結論を言うと、テレビから流れる女性のようにへジャーブを外し、CMのあれが欲しいからお金が必要みたいな、つまるところ適当な言葉が分かりませんが、資本の戦略内に入ってしまったことです。

 今年になってアメリカのライスが8回(たぶん)もイスラエル・パレスチナを訪れアッバス議長と会談しています。会談の内容は詳しく知りませんが、アッパス政権がアメリカ寄りだということです。旅中の日記に「非物質的貧困」とメモしています。「茶のんでけ」と家に招かれ、知らないどうしも「アッサラーム・ワァレイクム」と出会う人々あいさつを欠かしません。

 時間になるとアッラーに祈り、のんびりアラビアコーヒーを飲みシャイを飲み、なんていう光景もあと数年でなくなってしまうのかもしれません。今後のパレスチナはその辺を観察すると面白いと思います。パレスチナの課題は、ハマス対ファタハ、ガザ問題、エルサレム問題、分離壁、経済、イスラム離れ、といったところでしょうか。

 とても長くなりましたけども・・・何が問題かと私自身が一番問題ではあるのですが、今はとりあえず現像とプリントを急ぎます。皆様2ヶ月間、励ましのメールをありがとうございました。


掲載日:2007年12月10日


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