12)すきやき鍋、その1 日本、岩手県南部鉄 久慈山王堂、丸24cm
すき焼きと言えば、楽しいとか、家族団欒とかのイメージが、浮かびます。25年間大阪に住んでいたいた関係上、同僚などと食べたすき焼の味付は、当然関西風でした。この時は、肉や話しに夢中になっていて、あまり鍋までは考えていませんでした。ただ、どちらかと言うと、鉄製の薄い鍋が多かった気がします。私は、すき焼鍋を持っていなかったので、漠然といずれ買おうと考えていました。
田舎でも、関西風のすき焼を楽しむため、1997年3月、2種類のすき焼鍋を購入しました。その中の一つが、岩手県久慈市、『久慈・山王堂、丸24センチ』の砂鉄製品です。この鍋の入っていた箱の中に、砂鉄や品質の良い鍋の紹介分(しおり)がありましたので、次に紹介します。(記:2001年6月11日)
南部鉄の話
(久慈 山王堂『特上 砂鉄鉄器のしおり』より)
(前略) 東北地方、岩手県の県北、久慈地方は砂鉄の産地として、古来から有名です。その埋蔵量は、ざっと十億屯といわれています。この砂鉄を原料とした、いわゆる「たたら吹き」による精錬方法で鉄を作ることが、古くからおこなわれ、これを子鉄(こがね)といって、関東、関西へも移出されておりました。
「正宗の名刀」はこの子鉄(こがね)をきたえたものと伝えられ、南部鉄瓶の元祖、慶長年間の南部藩お抱え釜師の名作茶釜など、もちろんこの子鉄(こがね)で作られたものであります。文政年間南部藩営の御手山は久慈地方にあり、当時、たたら式精錬法をもって安い木炭と低廉な労賃三千人もの人が、そこで働いてと記録に残っております。
明治時代、高炉精錬法の時代を経て、昭和初期の砂鉄の大量精錬法が取り入れられました。その結果、回転釜による貧鉱処理法が開発されて砂鉄の工業化が実現したのです。その製品は粒砂鉄といい、その声価はひろく高まっております。この粒砂鉄を原料として研究・努力を積みかさねた結果、独特の精錬法を発見して製作されたのが久慈砂鉄鉄器であります。
砂鉄鉄器は低燐質で鉄質が固く、きめこまかいことを特徴としておりますが、これが料理用なべに使われると熱容量がたいへん大きく、伝熱係数が程良いことなども利点が生かされて、料理用なべとして理想的なものと折紙がつけられるところであります。
宮中のお料理番・大膳職主厨長 秋山徳蔵氏の随想「舌」の一節「てんぷらと鍋」のところに、「てんぷらの場合は理想をいえば、南部の砂鉄でつくった鍋で、底は三分あって欲しい。薄い鍋だと火熱がジカにあがるため表面から煙がたつ。そしてこんな油のなかに材料をいれると、上っ焦げがして赤くなるのである。よく、てんぷらの揚げかたの講義に、油から煙が立つのを度合いにして、などと教えるがあれはまちがいである」
また、東京赤坂・花むら主人で「てんぷらの奥義」の著者・川部米夫氏は「なべに道理あり」のなかで「この南部砂鉄なべのようなのは熱の保有力が強いから熱源のムダがない。それに分厚でありながら油への火熱の通りが早くて底力がある。これは揚げものばかりでなく、料理用なべとしての条件の良くととのった合理的なべである」と南部砂鉄なべを高く評価しております。
このような理想的条件をそなえて作られたのが久慈砂鉄鉄器であります。(後略)
|