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チェック・ポイント5明る過ぎる家は怖い

 日本の家は大昔から暑さ対策のため、開放的に作られてきました。また、日常の掃除はほうきでしたので、各部屋に掃き出し用の障子や窓が必要でした。面積を分かりやすく表現すると「障子(や窓)が主で、壁が副」で、西欧では「壁が主で、窓が副」みたいな物でした。 しかし、段々と、明治時代以降から洋風建築が日本で取り入れられ、(民家はほとんど戦後以降ですが)そのことによって、家全体も、窓も変わっていきました。それは西欧建築になればなるほど、和風建築の板壁や漆喰壁などを除き、窓と壁との関係が大きく変化するはずでした。

 西欧のように「壁が主で、窓が副」になっていくはずでした。また、日本も昔よりは蛍光灯などの照明器具の発達、冷暖房機の急激な普及、その他電気掃除機などによって、それは可能でした。

 しかし、西洋建築風にしても、そう簡単に変わらないのが、日本人の長年培ってきた家に対する感じ方だろうと思います。

 その一つが窓の大きさです。もう電気掃除機もあるのに、掃き出し窓が、家全体で一ヶ所でなく、各部屋ごとに一ヶ所もしくは複数あるのを、私は見てきました。中には掃き出し窓の上にさらに小窓(天井窓)を付け、全面窓だらけと言うのもありました。確かに、この小窓は換気がしやすいと言う便利な機能もあります。

 しかし、壁がほとんどない、窓だらけの家を見ると、阪神大震災を経験した者として、私は空恐ろしくなります。なぜか、壁の少ない窓ばかりの家は極めて地震などの揺れに弱いと言うことです。あの大震災後、「地震に強い家作り」と言うテーマが一時期テレビなどでも、話題になりました。しかし、筋交いを多くするとかの程度であまり「有効策はコレだ」みたいな根本解決策は聞きませんでした。むしろ、また、従前と変わらない設計や手法で建てられているような気がします。 

 なぜ、あの大震災で、多くの被害者を出し、建築上では普通では得がたいような数多くの経験や教訓を得たにもかかわらず、この窓だらけの家が、また、続々と建てられているのか、私なりに考えてみました。私の家のプランニング段階時、「窓の大きさはどうするか」と、設計士に聞かれました。私は「暗くてもいいから、採光基準ギリギリの大きさで」と答えました。その根拠は

(1)阪神大震災を経験した以降、壁(私の場合、丸太壁)の重要性を知っていた。
(2)窓を広くすると、その分、断熱効果が低くなり、折角、丸太の持つ断熱効果を殺したくなかった。
(3)木にこだわっていたので、出来るだけ丸太を残したかった。
(4)明る過ぎる家は小さなほこりも含めて、全部が見え過ぎて、むしろ気分が落ち着かない。

 などです。(3)と(4)は私自身の精神的な根拠ですので、あまり科学的なものではありません。ただ、「暗くてもいいから、採光基準ギリギリの大きさで」作った私のログハウスを見学された方は全員「暗いとは思わない」と言われます。窓をのぞき、壁は丸太ばかりですから、普通の家よりは暗い感じはすると私は思うのですが、多分、見学される方はほどほどの明るさになっていると実感されているのでしょう。

 このプランニング段階で前記のように答える施主は珍しく、住宅メーカーや設計士に尋ねられた時、普通の施主は「明るい家を」とおっしゃるのだろうな〜と、私なりに考えました。建物の採光の最低は建築基準法で決まっています。ですから、設計士や住宅メーカーが最低基準を知らないはずはありませんし、最初から「暗い家」を設計しません。「それ以上に明るい家を」とオーダーされるので、結果、各部屋掃き出し窓を付け、窓ばかりの家となるのでしょう。なぜ、このように「明る過ぎる家」を好まれるかは施主ごとに違った根拠をお持ちでしょう。でも、多分に、「明るい家」は新聞や本など読みやすいとか、明るい=暖かいと言うイメージも持っておられるのかもしれません。ここに大きな勘違いをしておられることを私は率直に指摘します。

 チェック・ポイント4(断熱は軽視しない)の項でも述べた通り、窓の大きさと断熱効果は反比例すると思っていいでしょう。シングルガラスならなおのことです。窓の広さがが大きければ大きいほど、夏は暑く、冬は寒いと言っても過言ではありません。 

 私は先ほど「明る過ぎる家は小さなほこりも含めて、全部が見え過ぎて、むしろ気分が落ち着かない」「私自身の精神的な根拠ですので、あまり科学的なものではありません」と書きました。私の推察の域を脱しませんが、日本人は洞穴生活から脱却して、そう何万年もなっていないと思います。昼は別としても明治以前まで夜間照明はろうそく位で、洞穴生活と夜は変わらなかったと言えます。人間も動物ですから、千年位のサイクルで、そう簡単に本能まで変わるはずないと思います。現在は蛍光灯や各種照明器具があり、夜でも昼間並です。

 夜帰宅して、電気をつけると安心します。また、逆に、寝る前など照明を消して、ホッと言いますか、やれやれと言う感じも待つことがあります。皆さんはどうでしょうか。あの感じはやはり大昔から、動物として備わっている本能みたいなものかなと思います。ですから、人間はなんとかほどほどの明かりでも生活できるようです。

 しかし、昼夜の別なく「明る過ぎる家」は夫婦間、家族間でも精神的に影響を与えるのではないでしょうか。家族間でもお互いに隠しておきたいことや、触れて欲しくないことは大小含めてあることです。頭の中にしまって置くことばかりではなく、明る過ぎてお互いのアラが見えすぎるのかもしれません。太陽がキラキラランランの窓よりは精神的にも採光基準程度に留めておいた方がいいと思われます。 

 まとめて言いますと、「明る過ぎる家」は地震にもろく、断熱効果も下がり、精神的にもあまり良くないのではと言うのが私の持論です。設計士は最初から「暗い家」を作るわけありませんから、今一度、「明る過ぎる家」をオーダーされる施主さんは考えて頂けないでしょうか。

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