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1)二つのログハウス専門誌との出会い

 私は7年前の91年4月に大阪の池田病院に2週間入院しました。その時、美人のお医者さんから、食事療法と運動療法を命じられました。それで、毎日、池田市内や五月山を歩きまわって、万歩計が5万を越える時もありました。しかし、ただ、歩くだけではやっぱり単純で、何の気なしに書店に入りました。その時に始めて見たのが『夢の丸太小屋に暮らす』と言うログハウスの専門誌でした。その後、『ログハウスプラン』も知りました。この二つの専門誌は当時から現在も毎号購読しています。

 私は入院するまで、心身とも強気一点張りで、実際大阪空港の会社に入社以来20年近く健康保険証を使った記憶がない位、頑丈そのものでした。それが、病気でベッドに2週間寝ることになり、今まで考えていなかったことを思うようになりました。それまで、仕事やその他で忙しいのもあったのですが、全く「中高年になったら、どうしよう」などと思いもしませんでした。

 頑丈そのものの体だったのに、それが前厄の前年の入院、少しがくっときました。ベッドの上では暇で別に考えることもないので「このまま、大阪にいていいのだろうか。年取ればどうしよう」などと、この時始めて、弱気といいますか、よからぬ考えをしたのを鮮明に覚えています。また、同僚の友人達には退院後「いずれ田舎で何か仕事もみつけたいなあ」と、この時期から本気とも冗談ともつかないような言い方で話していました。

 それまで、持ち家についても考えていたのですが、大阪ではとても高くて一戸建ては無理との結論で、ローンでのマンション購入も検討し、事実モデルルームの見学など少し動きまわったこともありました。しかし、アパートや賃貸し住宅ならあきらめもします。ただ、ついの住みかとして、また、自分の財産として、まわりに何もないような所で育った田舎者の私にはマンション形式の共同住宅は何かふっきれないものがありました。

 そんな中、『ログハウスプラン』『夢の丸太小屋に暮らす』の専門誌を見て「これだ」と思いました。それまで、ログハウスは全然知らなかったと言う訳ではありません。少しだけですが、低い山登りもしていましたから、たまに、丸太小屋も見て手で丸太を触ったりして、漠然とした興味はありました。ただ、この二つの専門誌はぼやっとした私の考えから、グイグイと引きつけるものがありました。

 この二誌は読めばよむほど、「自然、田舎、丸太、木の香り、健康、体に優しい・・」などとの言葉やイメージがふつふつと湧いてきました。普通住宅の宣伝チラシや本を見ても、決してこのようなことはありませんでした。なぜ引き寄せられるのだろうと思うと、次はもっと目的をもって実際のログハウスを見てみたいと思うようになりました。この二つの専門誌は少しオーバーな表現かもしれませんが、その後の私の人生設計を変えるきっかけともなりました。(記:1998年3月)

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