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私の温泉紹介
島根県、鷺の湯温泉、安来苑
都道府県名、地名、温泉地名など 入湯した旅館名(温泉施設名)
島根県安来市古川町、『鷺の湯温泉 安来苑
主な泉質、温度など 備考(注:文章や写真は当時の情報です)
含放射能-ナトリウム・カルシウム・硫酸塩泉、51.6度 この旅館のホームページは、ここからどうぞ。
お湯かけ不動尊
 私は、出雲や松江へ旅行に行った時の1994年6月29日に、この鷺の湯温泉・安来苑さんの温泉に立ち寄りました。(この旅行時、出雲や松江方面は先にまわったのですが、このことは後で、「松江温泉のページ」に掲載しようと思っています)

 私は、この日の朝、松江をバスでたってこちらの方(安来市)に来たのですが、まず、近くにある『足立美術館』に行きました。ここは、何はさておき、庭園が素晴らしいなあと思いました。

 これまで、私は、日本三名園(水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園)も見て来て、そのいずれもが美しく、手入れも行き届いて「なるほど、名園と呼ばれるだけあるなあ」と思っていました。

 この足立美術館の庭の大きさは三名園ほどないのかもしれませんが、庭園そのものは、枯山水、白砂青松を始め、石も良かったです。特に、庭の外にあたる背景を利用した遠景、中景、近景の調和が素晴らしかったと思います。この庭を私は、しばし見とれていました。

温泉分析表
 庭園だけでなく、館内には、学校の美術の時間で習ったような横山大観はじめ著名な芸術家の作品が展示してあり、これらをじっくり見るだけでも、なかなかのものでした。

 この美術館をあとにして、次に向かったのが鷺の湯温泉・安来苑さんの温泉でした。まず、このページ上部写真のお湯かけ不動尊及びその案内を見ました。

 この不動尊は、顔を見たらどこにでもあるお不動さんと同じように少ししかめっ面をしておられましたが、全体像からして何か可愛い感じもしました。

 この鷺の湯温泉の由来について、案内板には、概要次のように書かれていました。  がその引用部分です。

  鷺の湯温泉は戦国の世 尼子氏の御殿湯として賑わったが度重なる洪水等で埋没してしまい、その後田辺才五郎氏が傷ついた鷺が田園の中に立ちつくすのを見て調べたところ温泉が湧いており、鷺によって温泉を教えられたところから、鷺の湯温泉と呼ばれるようになった。(以下省略)

大庭園風呂
 なお、この案内板には、泉質などについて、「摂氏48度、ラジューム含有、食塩石膏泉」と書かれていますが、このページ上部の「主な泉質、温度など」の欄は、現在のホームページを参考にして泉質などは記入しています。

 旅館の中に入り、入浴だけ可能かどうかたずねると、「どうぞ」と言うことで大庭園風呂のある方向を教えてもらいました。浴室をのぞくと、誰も入浴中の人はおられず、湯気の立たない内にカメラに収めておこうと思い撮ったのが、このページ掲載の左の写真です。

 目当ての大庭園風呂は、大きい自然石の岩が目立つ風呂場でした。たった一人と言うこともあり、なんかゆったりした”お殿様”気分になりました。また、ガラスの窓越しに柔らかい日差しもそそぎ、明るい感じでした。

 風呂から上がって、旅館のパンフレットを見ると、ご当地名物安来節のユーモラスな写真やその由来に目がいきました。また、このページには、当館名物の料理として「猪鍋(冬)」、「そうめんどうじょう汁(予約制)」などが書いてありました。

 さすが、「安来節の本場、どうじょうすくいの踊りがあるのだから、どうじょうの料理があっても当然か」と思いつつも、今回は時間が迫っていたため、次の宍道町の蒐古館(しゅうこかん)に向かいました。

 ここを見た後、道路を歩いていると反対側から来た小学生3人に出会いました。すると、極自然に「こんにちは」と、私に挨拶してくれました。本来なら大人の私が先にすべきことでしたが、当時住んでいた大阪ではこのようなことはあまりなかったものですから嬉しくなり、なんか、にっこりとしてこちらも「こんにちは、もう学校終わったの」と返事を返していました。
 
 その後、八雲本陣なども見てまわり、けっこう歩いたものの、いい気分で帰りの飛行機に乗るため、出雲空港に向かいました。(掲載日:2005年1月11日)

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