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ティヴェレ川、真実の口など
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ティヴェリーナ島とティヴェレ川
右側:チェスチオ橋
1996年9月1日その
ティヴェレ川
 パンテオンやロトンダ広場を出た後、かなりの交通量のある通りを幾つか交差点を抜けながらティヴェレ川を目指しました。しばらくすると、川が見えてきました。

 このティヴェレ川は、日本語にすると資料やガイドブックによって様々な表記があります。代表的なものだけでも「テベレ川」、「ティベル川」、「ティべリス川」、「ティヴェレ川」などです。今回私は、個人的には何か理由がある訳ではないのですが、あえて「ティヴェレ川」で統一しましたので、ご了承願います。川の長さは、約400Kmと言われています。

 この川は、ローマ誕生の元とも言われています、世界四大文明発祥の地でも、またヨーロッパの大都市でも例えばパリならセーヌ川、ロンドンならテムズ川と同じみたいに、このローマでは、ティヴェレ川が育ててきたとも言われています。まあ、「ローマの母なる川、ティヴェレ川」とでも言うのでしょうか。

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左側:旧ロット橋
パラティーノ橋の上から撮影
 この川沿いは、私が散策した範囲内しか言えませんが、どこから見ても絵になるような景色が多い所でした。まずは、この川に架かるガリバルディ橋を渡りました。真っ直ぐ進むとトラスティヴェレ地区になり、ローマの下町(庶民の町)と呼ばれているようでしたが、時間の都合上、今回は行けませんでした。

 私たちは、左に折れて川にそって下る感じの道を歩きました。反対の岸には、この川の中ノ島であるティヴェリーナ島がありました。こちら側からも、病院や教会の屋根が見えていました。(このページ上の2枚写真の左側を参照)

 さらに進むとカエサルの時代に架けられたチェスチオ橋(このページ上の2枚写真の右側)がありました。橋脚がアーチ型の石橋で頑丈そうに出来ていても、なかなか魅力的な橋でした。さらに進むとパラティーノ橋の上に出てきました。

 ここから川の中に取り残された旧ロット橋がよく見えました。この橋も紀元前の造りのようですが、今はその橋の一部のみです。背景にティヴェリーナ島も入り、手前のティヴェレ川の水量も豊富だったので、写真を数枚撮りました。

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真実の口
真実の口
 11時前にパラティーノ橋を渡るとティヴェレ川に別れを告げ、そこを進むと真実の口広場を目指しました。この広場から見ると右奥方向に(1996年9月当時)修復工事中で足場や金網がしてあるヴェスパの神殿と思わせる所に出てきました。ここら付近で、もっとゆっくり状況を把握すれば、
真実の口を探して行ったり来たりしなかったのですが、知らずに目的地を過ぎていました。

 サンタ・マリア・イン・コスメディン教会を過ぎて、裏側方向になるチルコマッシモ(古代競技場跡)やサンタナスタージア教会に出てきました。「なんか、おかしいね。戻ろうか」と言いながらウロウロ歩いていると、今度は逆に戻り過ぎて、真実の口広場を過ぎて、ジアノの凱旋門、サンジョルジオ・イン・ヴェアプロ教会の入り口前まで行ってしまいました。

 「やはり、おかしいねえ。どこにあるのかなあ?」と探しまわった疲れもあり、イライラの言葉もお互いに出てきていました。映画『ローマの休日』でも名シーンで超有名な観光地を逃してはなるものかと言う気力も働き、もう一回ゆっくりガイドブックの地図を確認しました。

 すると、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会横の広場近くに賑やかな観光客の一団がいました。「もしかしたら、あそこかもしれないねえ」と言いながら近づくと、鉄柵越しに『真実の口(ポッカ・デラ・ヴェリタ)』が見えました。「なーんだ、ここだったのか」、「さっきから、ここの周囲をグルグルまわっていただけだね」などと、言いながら順番待ちをしました。

 本当は中型カメラも持って来ていたので、ゆっくり撮りたかったのですが、次からつぎへと観光客が多く、とてもそんな悠長なことはできませんでした。それで順番をあけるため、口の中に手を入れる例のポーズをしながら、4人でかわるがわる急いで写真を撮りました。私は、別に白人の可愛い兄弟の写真も収めました。この『真実の口(ポッカ・デラ・ヴェリタ)』は、「嘘つきが手を入れたら噛まれる」という言い伝えは誰でも知っているほど有名です。
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サンタマリアインコスメディン教会
手前:
真実の口広場と泉
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テアトロ・マルチェロ通りから

 また、この丸い彫刻にも色々な説があるのですが、元々は古代ローマ時代のマンホールの蓋だったと言うのが一般的でした。しかも、この顔は海の神様トリトンではないかとも言われているようですが、真実はどうでしょうか? ちなみに私も手を差し入れましたが、神様トリトンから噛まれませんでした。ひと安心です。

 真実の口を探すのに時間を浪費した分、残念ながらサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の内部の見学はできませんでした。内部には貴重なコリント式の大理石の柱などもあるようでしたが、ここから離れました。振り返りながら、このサンタ・マリア・イン・コスメディン教会を見ると高い四角型の鐘楼がいい目印になります。

 もしも、始めて真実の口見学をされる方でしたら、この高い鐘楼を目標に、その教会近くに人が大勢順番待ちをしている所を目指して行かれれば、私たちのように大間違いすることはないと思われます。

真実の口広場 とヴェスパの神殿

 やっと目当ての場所にも行けたことになり、なんか安心したのか気が楽になり、まわりをゆっくり眺める余裕も出てきました。真実の口広場には彫像のある泉もありました。その前の通りから少し歩くと、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会だけでなく、サンタナスタージア教会、修復工事中のヴェスパの神殿、これから近くを通るフォルトウーナ神殿など良く見えました。

 ヴェスパの神殿は、映画『ローマの休日』でも出てきた名所で、平べったい円錐形に近い形状の屋根を支える丸い柱が円形に並んでいる、(当時としては)おしゃれな、女性に由来した神殿だったと思われます。ヴェスパ神は、かまどの神様と呼ばれています。古代ローマ帝国時代には、そのかまどの火を守る巫女(みこ)さんたちがいました。

 巫女さんは、その位も高く行事があれば常に皇帝の横に座っていたと言われています。また、民家の家々にもヴェスパ神はいました。このように皇帝たちやローマの家々を守るためのヴェスパ神の総元締めが、このヴェスパの神殿と言われているようです。

 もしも修復工事中でなければ、なかなか絵になる神殿と思いました。かえすがえすも、残念でした。まあでも考え方によっては、当初予定もしていなかった
フォルトウーナ神殿を写真に収めたので、これはこれで、いいのかなあと思いました。

フォルトウーナ神殿
 真実の口広場から直ぐの所に、今度は切妻屋根の四角形の古めかしい建物が見えてきました。これは
フォルトウーナ神殿で紀元前2世紀後半に建てられたものです。ローマに現存する最古の神殿と言われています。この神殿は、港の神様に捧げられたものと言われています。

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フォルトウーナ神殿

 このように書くとなんか地中海の港を想像してしまいます。もちろんそのこともあるのかもしれないですが、ティヴェレ川の水運を利用した外洋との交易もあったのではないでしょうか。つまり、ティヴェレ川にあった港の神様でもあるのではないかなあと言うことです。ですから、この川のやや横になる位置に、このフォルトウーナ神殿は建っています。

 ローマの建物は、どれもこれも大きいものばかりですが、この神殿は見た感じ、むしろ小さな方かなあと思うほどでした。このフォルトウーナ神殿を後方から真横からなどの位置から写真を撮りながら、先に進んで行きました。

 振り返るとサンタ・マリア・イン・コスメディン教会、真実の口広場、フォルトウーナ神殿などが、丁度いい感じでファインダーに入ってきました。左側に戸籍庁などの建物を見ながらテアトロ・マルチェロ通りをさらに歩くと、右側にサントモボノ教会がありました。また、先の方の左側には先ほどから見えていた古代のマルチェロ劇場や3本の円柱しか今は残っていないアポロソシアノ神殿なども段々大きく見えてきました。

(旅行メモ)
10:40 ティヴェレ川に架かるガリバルディ橋を渡った。
10:50 ティヴェリーナ島の病院、チェスチオ橋、旧ロット橋を見ながら、パラティーノ橋の上で写真数枚撮った。
11:00 真実の口広場、後方にフォルトウーナ神殿、前方修復工事中のヴェスパの神殿などが見えた。最初、真実の口を探しきれずに、チルコマッシモ及びサンタナスタージア教会の見える所に来てしまった。次に今度は戻り過ぎてジアノの凱旋門、サンジョルジオ・イン・ヴェアプロ教会前まで来てしまった。
11:15 やっとサンタマリア・イン・コスメディン教会横に真実の口にたどり着いた。
     サンタマリア・イン・コスメディン教会やフォルトウーナ神殿の外観写真を撮った。
(掲載日:2006年6月8日)

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