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(写真1)エスリンゲン城から撮影。右端側には城に登る約300段の階段がある中央部は聖ディオニス教会と周辺市街地。手前側はブドウ畑。

エスリンゲン観光その4、エスリンゲン城
(写真2)エスリンゲン城への
(約300段の)階段登り口
(写真3)エスリンゲン城(左側)、左端側が階段と手すり。
右側が広いブドウ畑

2015年12月19日(ドイツ時間)
 前ページ「エスリンゲン観光その3、聖ディオニス教会、セントポール教会、マルクト広場のクリスマス市などには、エスリンゲンの象徴みたいな聖ディオニス教会を中心に、その周辺にあるマルクト広場でのクリスマス市なども書きました。

 今回のページでは、そのマルクト広場から数百メートル道路を行ったエスリンゲン城への登り口から城に行って、大変眺めの良い渡櫓(わたりやぐら)か、物見櫓(やぐら)みたいな連絡通路から見た景色などを紹介しています。

 なお、念のため、ご注意とお願いが先にあります。実は、今回のページでは エスリング城(Esslinger Burg)の紹介を書こうと思い、いつも通り私の怪しげなドイツ語訳も交えて書いてはいます。ただし、ドイツ語版ページを見ましても、私の知りたい城の各部の名称、歴史、大きさ、あるいは特徴点などの記述が、少ないようです。それで、 エスリング城の「紹介文」というより、上野の感想文みたいになっていますことは、あらかじめ、ご容赦願います。

約300段の階段を急登
 聖ディオニス教会近くのマルクト広場でのクリスマス市を見た後、シュトラレ・ボイタウ通りを経て、オーベレ・ボイタウ通りを50m弱進みますと、エスリンゲン城に登る階段入口が見えてきました。(写真2を参照) 日本の登城路と一緒に考えたらいけないのでしょうが、私は、この木造の階段入口(登り口)を見た時、「えー、これがエスリンゲン城への階段? 他に登り口があるのかなあ?」と思ったくらいでした。
(写真4)エスリンゲン城中庭、右後方が城壁
(写真5)エスリンゲン城の西側の(やぐら)
(写真6)エスリンゲン城渡櫓(わたりやぐら、連絡通路)

(写真7)エスリンゲン城の両端にある2つの渡櫓(わたりやぐら、連絡通路)( エスリンゲン観光局の写真より)

(写真8)エスリンゲン城の航空写真(グーグルアースより)

 この時、ドイツ人のプロ・カメラマン二人も登られるようでしたから、私たち3人は後を付いていきました。階段、手すり、側壁、屋根などの全てが古い造りでした。しかも、幅が狭いので、上り下りする人がすれ違う時は、互いに体を片方に寄せる感じでした。所どころにある踊り場(階段の途中に平たくなった場所)では、ちょっとだけ息抜きしながら登りました。

 先ほどのカメラマン二人が、まるで開いた窓みたいに見える所から、長い望遠レンズの付いた一眼レフカメラを構えて市街地風景を撮っていました。私の方から、「こんにちは。カメラはニコンですか? 私ものそうですよ。でも、(旅行用で)ミラーレス・カメラです」みたいな片言で話しかけますと、「それも、いいね。ニコンは数台持っているよ」みたいな、ちょっとした話が出来ました。 どうも、この二人のカメラマンは、私の見た感じで、(家族か親戚かで)ベテランの方が、若い方へ撮影ポイントを教えておられるようにも見えました。まあ、でもカメラのことだけで、現地の方とも話ができたのは嬉しいものでした。

 まだまだ、上を見上げると長い登りが続いていました。さらに、登って行きますと、この屋根付き階段の右下側=南東側斜面にブドウ畑が一面に広がっていました。(写真3を参照) 真冬だったので、残念ながら緑豊かな葉っぱは、当然ありませんでした。

 あと、この階段近くのブドウ畑を見ていましたら、姪の方から「あそこに、リスがいる!」との声がしました。なるほど、小さなリスが、ちょこまかと忙しく動き回っていまして可愛いいので、慌てて写真を撮りました。 さらに先を目指しますと、今度は、ところどころに日本風に言いますと、狭間<はざま:城壁・櫓(やぐら)・軍船のへさきなどに設け、内から外をうかがったり矢・鉄砲などを用いたりするための小窓。大辞泉より>がありました。

 ほぼ日本の城にある狭間と似たような感じで、ちょっとだけ間口が広いような気もしました。このようなものを見ますと、単に階段があるだけでなく、城は古今東西とも、戦用に造られたのだなあと実感しました。

エスリング城(Esslinger Burg)
 いよいよ、あと少しで見晴らしの良い渡櫓(わたりやぐら)か、物見櫓(やぐら)ような細い長い連絡通路や、その西側にある塔(櫓)の下まできました。目的地まで、もう少しでしたが、、急登の階段から左側(北側)へ平らな地面が見えていました。しかも、そこは芝生も広い中庭でした。(写真4を参照) ここで、私たちは寄り道し、階段登りを一服しました。

 この中庭の外周通路みたいな所に、敷石がありました。その色は、淡いレンガ色系と青みがかったグレー系の2色でした。ここからは、私の想像ながら、この敷石は後世に張り付けられたものと思うのですが、それとは別に城壁の、いかにも古い石塀色のコントラストが、なかなかいい雰囲気がしていました。

 先の写真4に写っている中庭みたいにも現在は見えていますが、この写真の右側後方には、いかめしくて、古い感じの城壁も見えていました。これまた、私の想像ですが、城が出来た当初とか、あるいは戦が激しい年代などに、このようなガランとした芝生の庭などではなくて、たぶん大砲などの兵器、弾薬庫、防御用の設備などが、ここには沢山あったのではないでしょうか。

 また、写真5の説明書きでは、便宜上、「エスリンゲン城の西の櫓(やぐら)」と書いています。当然、この櫓は敵を見張る役目をしていたのでしょう。てっぺんには、「敵が来たぞ!」と、味方に知らせるための半鐘(はんしょう)も設置されていていました。たぶん、そのような緊急事態時には、この鐘が鳴らされたのではと想像もしました。あと、写真5の右下側のオレンジ色屋根の下は、まだまだ、急登続きの階段がある所です。

 そして、さらに階段を登りますと、今回のエスリンゲン城の目標地点であった細長い渡櫓(わたりやぐら)か、物見櫓(ものみやぐら)みたいにも見える連絡通路に、やっと到着しました。ここまで、息ゼイゼイ、ハアハアして登った甲斐が、写真1の景色です。やや、遠くはかすんいましたが、エスリンゲンの象徴的な聖ディオニス教会と周辺市街地が、眼下に広がっていました。手前側のブドウ畑も緑濃い葉っぱは、真冬のため当然繁っていないものの広くて、いい雰囲気でした。

 ここで、今まで登ってきました階段の屋根の大きさですが、私の目測では130m位ありました。そして、到着地点にある細長い連絡通路の長さ二つの塔部分含めて、同じく100m位でした。この連絡通路渡櫓(わたりやぐら)は、現在、一般には眼下の眺望が良いこともあり、物見櫓(ものみやぐら)みたいに思われております。さらに言えば、この場所と両先端にある二つの塔を併せた建物が、エスリンゲン城を代表する写真として、多く使われてもいます。(エスリンゲン観光局よりの写真7を参照。)

 現在は、物見櫓か展望所みたいに思われていますが、なぜ、こんなに狭くて細長い通路なのかと言う点も、私なりに考えてみました。推測ながら、元々は両端側(東西両先端)にある本来、四方八方の敵側監視機能のある高い二つの塔(櫓)間をつなぐ役割、つまり人の行き来するためとか、武器(弓矢、鉄砲など)を運ぶための通路だったと思いました。

 ちなみに、写真7に写っています右側の塔(櫓)は、Dicker Turm(ディッカーターム、意訳で「大きい塔」)と呼ばれ、現在はレストランになっているようです。余談ですが、「こんな眺望の良い所で食事をしたら、大変美味しいく、また贅沢気分だろうなあ」と、うらやましくもなりました。

航空写真と、城の歴史概要説明
 まず、写真8の航空写真(グーグルアースより)の説明をします。ただし、城の各場所の大きさ(長さ)などは、全て私の目測ですから、あくまでも参考程度に、ご覧願います。
 ・中央下側に広がっているのがブドウ畑(念のため、この畑は城の敷地ではないと思われる)
 ・ブドウ畑上部左側:約300段の階段(約130m)
 ・ブドウ畑の中央上部:細長い渡櫓(約100m)
 ・細長い渡櫓の両端に二つの高い塔(櫓)
 ・中央部:中庭(南北約70m、東西約100m)
 ・中庭の周囲に一部を除き城壁や塀あり
 ・中庭の東西南北位置に高い4つの塔(櫓)
 ・中庭の上部(北側)へ150m位も敷地か?
 ・全体の城敷地は南北250m位、東西100m位

 上記の城内容(各部の名称や大きさのデータ)と、下記の歴史関係を書こうと、私はドイツ語版を数十回調べました。しかし、自動翻訳自体の解釈が難しいのと、城の各場所の詳細情報が掲載されているページが、あまりなかったようです。そのため、私の推測も含めて書いていますので、その点はご了承願います。

 このエスリンゲン城の歴史などについて、日本語の南ドイツ観光案内サイトには、次の<>内のことが書いてあります。 < (前略) 街を囲む山の斜面は一面のブドウ畑で、稜線上には1311年に建造された城壁や塔が残る。この城壁は、石組の基礎の上に木造の回廊と屋根が巡らされた珍しい造り。 (後略) >

 ただし、他のドイツ語版ページには、上記とは別の内容も書いてあるようです。いずれにしても、「今から700年以上も前にできた城」のようです。しかも、通常の城では、王様や貴族などが住むために造るのが多いです。しかし、この城は、(当初は別としても)「市民の生活と市街地を守るために造った城」のようです。そして、中世時代に例えば塔(櫓)の増築などが、繰り返しおこなわれて現在に至っているようです。

(注:そのようなこともあり、エスリンゲン城について、もっと正確で詳細なデータや歴史事項などが分かりましたら、このページの改訂もしたいと考えています)

 私たちは、ここでも写真を撮って、眺望も大いに楽しみました。それで、今度は、登ってきた階段を下っていくことにしました。「膝(ひざ)が笑ったらいけないので、下りこそ、ゆっくり行こうかあ」、「降りたら、またクリスマス市に行こう」などと声掛けながら、約300段の階段を降りて行きました。

(掲載日:2016年7月4日)
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(旅行メモ)
2015年12月19日(ドイツ時間) エスリンゲン(Esslingen am Necker)観光
10時05分、エスリンゲン駅に到着、バーンホーフ通りのクリスマス市を歩く
10時15分、シュルツ塔(綱渡り名人のモニュメントがある)前周辺を見学
10時20分、木組みの家、聖ディオニス教会、ネッカ川支流の見える景色の場所
10時30分、聖ディオニス教会横のクリスマス市を見学

10時35分、エスリンゲン城へ登る入口、約300段の階段に挑戦
10時45分、エスリンゲン城の中庭を見学
10時50分、エスリンゲン城からの見学、市街地の眺望が抜群
11時05分、中世の服を着た店員さんばかりのクリスマス市見学
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