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高木さんのイタリア遊学記
ホームスティの生活(2)
フィレンツェの景色
勉強
 夕食が終わってシャワーを浴びてゆっくりするのが大体22時過ぎ。それから24時までイタリア語の勉強だ。学校の宿題が必ずあったのでどうしてもやらなければならず、参考書、NHKラジオイタリア講座の本、そして一番大事な電子辞書の登場となる。

 イタリアの動詞は活用形が多く、やってもやっても忘れたり、間違って覚えたりして自分の記憶力の低さに本当にいやになっていた。動詞、形容詞、副詞。たくさんある。日本から持って来たノートにも何ページも書いて覚えた。しかし、これ以上、貴重なノートを使うわけにはいかない。だからと言ってノートを買いたくなかった。

 イタリアの文房具は高いし、そして、かなり質が落ちる。デザインや色彩はいいと思うが、日本の製品と比べたら断然日本製品が良い。だから、買うときはよく、良質のドイツの製品かを確認していた。

 私は考えた結果、買物した後の包装紙をためて、裏によくイタリア語の単語を最初は黒のボールペンで、その後はその上に赤で書いて覚えた。少しは効果があったと思っている。紙にも命があったら充分に使ってくれてありがとうと喜んでくれたに違いない。

 また、ベットに入る時はラジオを欠かさなかった。歌はもちろん、宗教、政治についての討論会(そのような感じがすると勝手に解釈している)クラシック演奏、相談ごと、他にもたくさんあったような気がする。FM放送が多く、特徴として語尾がはっきり聞き取れるので本当に勉強になった。私はカトリック教会からの放送をよく聞いてアクセントの位置と強弱の抑揚を覚えた。イタリア語は語尾が母音で終わるのでとてもわかりやすく、そして「美しい言葉だなあ〜」とだんだん感じてきた。

フィレンツェ駅
シャワー
 湯船にたっぷりのお湯をはり、何時間も体がふやけるほどの「おふろ」に入りたかった。ここホームスティでは叶うはずもないことは充分承知はしていたが、遠い日本の温泉が恋しい。毎日、シャワーでの入浴時間は約15分。ゆっくりしているとあとの人に迷惑をかけることになるので気を使う。

 トイレ、シャワー、洗面が一緒になっているので使用中は他の人は使えない。私は考えた。毎日、毎日味気ないシャワーばかりではおもしろくない。体を清潔にするのはもちろんが、肉体的、精神的の疲れを何とか気持ち良く癒せないものかと。

 イタリア語の勉強はもうどうでもいい。単語の書き取りの練習などいつでも出来る。そして、ついに発見した。温泉の打たせ湯ならぬシャワーの打たせ湯を試みた。シャワーは通常立って、全身を洗う。それを座って行うのだ。

やってみると実におもしろい。暖かい温水を座って頭から受けるしぐさは日本人しか理解できないだろう。頭や肩、心地良い振動の連続だ。打たせ湯の温度は立っている場合と比べてわずかに下がっている。少しの落差でも温度の下降を感じるとは新たな発見だった。このことはあとで考えると別に大したことでもなかったように思える。ただ座っただけのことだから。

暖房
 4月のフィレンツェは寒かった。窓の所には温水のヒーターが1mぐらい設置されている。しかし、この部屋の寒さは初めての体験だった。毛布を借り、それでも足りず、コートをかけて寝ていた。どうしてこんなに冷えるのかと部屋を見回した。南側で日当たりはいい。窓は木製で厚い。ガラスは1枚だが問題ないかな?

 さらに、温水のヒーターはどの位の暖房時間が設定されているか調べる。夜は19時から翌朝の5時半まで。ちょっと短すぎる。だから、朝起きた時にはいつも冷たくなっていた。朝はせめて7時ぐらいまでは延長してもらうべくお願いしたが、例の肩をすぼめて「オー、ノー」の連続。「あ〜早く暖かくなれ〜」と祈るしかなかった。

アルノ川
隣の外国人
 ホームスティ2日目、ドイツ人がやって来た。ドイツの名車アウディでミュンヘンから高速道路を8時間で走って来たと話してくれた。夕食の時、初めて会い、互いに自己紹介をする。彼の名前はアレクサンダー、年齢は30代後半、ミュンヘンで機械技師をしているそうだ。私よりひと回り大きい体は当然ながらよく食べる。そして、ワインもよく飲む。

 彼とはすぐにうちとけた。毎朝8時15分のバスに乗り、2人で通学した。イタリア語は少し、話していたが英語はペラペラだった。私が変圧器(イタリアの電圧を変圧するため)がどこに売っているのかと聞くといろいろと親切に店を探してくれた。彼とは大体1ヶ月ぐらい一緒に生活し、時々、アウディの車で夕食へ出かけた。

 この車は一度乗りたかったので「この車はいいね。ドイツの名車だよ」。といつも話した。彼は嬉しかったのか車内の最新の装備をよく説明してくれた。その時、ラジオから流れる女性のドイツ語放送が優しく、水に流れるような抑揚できれいな声だったのを覚えている。

 彼と別れの日、日本から持ってきていた記念の日本手拭い「武蔵の二刀流」をプレゼントした。彼は喜んで指を差しながら「サムライ、サムライ」と言っている。私はこれは洗ったりしないように話す。アレクサンダーは「当然だ。壁に飾るよ」。と返事した。そして、また9月に来る予定だからまた会おうと言っている。しかし、仕事が忙しかったのか、もうこれ以来、彼とは会うことはなかった。

スイス人のジャスミン
 彼女はイタリア語はペラペラの30代の女性だった。何回もここのスティ先に来るのだろう、大家さんの娘さんと朝食時いつもイタリア語でしゃべっていた。夕食無しの朝食のみの滞在なので、自然と朝食時、女性同士の話しが弾むようだ。

 彼女は朝、学校に行く時必ず私を玄関で待っていた。朝食はいつも彼女より速く済ませていたのになぜか彼女は学校の支度が速い。そして、歩くのも速かった。少し、背は高かったが彼女の歩く速度には全然ついていけなかった。まるで競歩の選手みたいに思えた。

ホームスティ先の玄関
 また、イタリア人の友達も多く、いつも帰宅も遅い。私はイタリア語も堪能な彼女がなぜ、ここフィレンツェの語学学校へ勉強に来るのか不思議でならなかった。バカンスには少し季節が早過ぎるし? ある日、郵便局の場所を聞くと「この辺の地区は、ここが担当よ」といろいろと何でも詳しい。私の広げた市内地図を指差しながら親切に教えてくれた。自信に満ちている。ひょっとしたらイタリア人かも?

 彼女にはいつも親切にしてもらっていたので、いつかその恩返しが出来ないか思っていた。そして、その時が突然やって来た。朝のバス通学の出来事だ。イタリアのバスは車内では切符の販売をしていない。運転手は安全運転のみに徹し、無賃乗車だろうが一切関知していない。あくまでも不正の取り締まりは3人の検札官に委ねている。

 彼女は切符を持たずバスに乗ってしまった。途中でそのことに気付き、あわてている。いつも使用していたカードが切れていたのだ。この路線はフィレンツェ駅が終点なので乗客も多い。だから検札の回数も多く、無賃乗車は40ユーロの罰金となる。私は定期券を持っていたので1ユーロの切符は必要なかったが常時2〜3枚は所持していた。どうしようと困った顔をしているジャスミンに1枚の切符をあげた。彼女の顔はみるみる笑顔になって切符を受取り、急いで刻印した。その時の嬉しそうな彼女の顔が忘れられない。私も役に立つことがあるのだと自分でも感心した。そして、一時流行した言葉を思い出した。「自分を褒めてやりたい」と。 

スウェーデン人のルイザ
 彼女は22歳の大学生だ。まだ、子供のようにあどけなく、全然すれていなかった。おしゃれにも無頓着で全然服装も気にしていない。学校のテキストもスーパーの袋に入れて、ざっくばらんだ。とても成人の女性には見えない。同世代のヨーロッパの女性と比べると不思議な気がする。

 彼女はジャスミンほどではなかったが、イタリア語は喋っていた。2週間のわずかな滞在だったが一番話しが合ったような気がする。イタリア語も出来ない私だったが彼女とは安上がりのセルフのレストランで昼食したり、楕円形した一番なりのスイカを食べようと公園の屋台で食べたこともあった。スイカでベトベトした手を洗いに行こうと公園の水道へ向かおうとした時、自分のペットボトルの水を差し出し、「これを使っていい」言ってくれた。

フィエーゾレ(バスの終点)
 私はいつものようにヨーロッパの地図を広げ、「ルイザ、君はスウェーデンのどこに住んでいるの?」と聞いた。ルイザはすぐに「私はここに住んで居るわ」と指差した。デンマークのコペンハーゲンと隣国スウェーデンにかかっているこの大きな橋の近くのようだ。そして、この辺はとてもきれいな所と言っている。私に気を使って優しいイタリア語を話す。彼女と話しをしていると容姿もそうだがとても22歳には見えない。まだ、10代の感じがする。先進国のヨーロッパでこんなにも純粋な女性もいるんだなあと、初めて感じる彼女の雰囲気に北欧への憧れと興味が湧いてきた。  

トルコ人のハジェ
 彼はイスタンプールで建築設計事務所に勤めている好青年だ。1ヶ月間イタリア語を学びに来たようだ。まだ、20代の前半の若さで好奇心に溢れている。朝食時、日本製のデジカメを所持していたので「君、いいカメラを持っているね」。と話しかけた。すると、長時間にわたって説明してくれるので、こちらは少々、聞いているのも疲れてきた。数分間でカメラの話しは良かったのに少し、くどい。彼は日本人の私に好意を持っているらしく、真剣な眼差しで細部まで説明する。

 私はバスの時間が気になってきたので、そろそろ学校に行こうと話しを中断させた。彼もフィレンツェは初めなのでバスの乗り方から刻印することまでその他いろいろと私は先輩気取りで説明しなければならない。日本語で説明する訳にはいかなし、かといってイタリア語は全く自信ないし、本当に困ってしまったが「まあ、何とかなるだろう」といつもの調子で行く。

 土曜日の朝、スティの娘さんが私に「ヒロシ、お願いがあるの」と言われ、話しを聞いた。すると、「明日、彼をフィレンツェの観光名所の主な所へ連れて行ってくれない?」とのこと。別に用事もなかったので「ベーネ、ベーネ」と気持ち良く笑顔で返事をしたのは当然のことだった。

 サンマルコ美術館の前で7番のバスに乗り換え、フィエーゾレをめざす。ここはフィレンツェ市内を一望に見渡すことができる大パノラマの丘だ。ローマ時代からの遺跡群がたくさんあり、19世紀に発掘されたローマ劇場なるものは紀元前1世紀のものだ。

フィエーゾレからの展望
 天気の良い日はよくここで昼のパンを食べた。夏の暑い日は地元住民が利用しているコンビにまで歩いて、安いアイスと飲み物、そして、フルーツを仕入れ、その辺をくまなく散策をした。だから、20回は確実に来ていると思っている。

 ハジェを展望台に案内し、あそこがフィレンツェで一番有名なドーモでその向こうの川は母なるアルノ川。その遠くに見える横にながい展望台がミケランジェロ広場。その左に見える大きな建物がサンタクローチェ教会と腕を回しながら、忙しく説明する。ハジェは初めて見る大パノラマに感動しながら聞いている。

 私の説明に一生懸命ついて行こうと集中しているのがわかる。「ハジェ、わかった?」。偉そう聞いてみる。顔は笑顔で頷いていたが、本当にわかっていたのか?たぶん、わかっていないような感じだったがこの場合は仕方がない。私の指差す方向が相当アバウト過ぎてわかる筈がない。その後、バス停近くのレストランでゆっくりジェラートを頂いた。ハジェはおいしかったのか終始にこやかな顔をしていた。

掲載日:2006年12月7日

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