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聞いた言葉・第103回目、『変人奇人期待論』

 

変人奇人期待論

 近年ダーウィンの名前が付いたタイトルで毎週テレビ放送されている影響もあるのか、ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809〜1882 イギリスの博物学者)及び 彼が提唱した進化論が話題になった言葉を良く見たり聞いたりしました。たいてい彼の人となりを述べられる場合の枕詞(まくらことば)は、「天才ダーウィン」という言葉がついています。

 また、それとは別の評価も良く聞きます。彼は子供の頃、学校の勉強嫌いで自然や科学が好きで、例えば昆虫などの動植物の観察・収集さらには化学実験をおこなっていたそうです。 大学も最初父が勧めた医学の道が嫌いになり途中から植物学などが学べる牧師になるための神学をケンブリッジ大学で学んだそうです。まあ、ダーウィンの子供や学校時代は普通の人から見たら、まさしく”あの人は変わっている人”と言う評価だったと思います。

  日本だったなら「大事な学校の勉強もせずに、 昆虫ばかり追いかけて将来は、ろくな奴にはならん!」と言う評判になったろうと思われます。ただ、そのような中にあっても彼は長年調査研究に没頭し、日本の教科書にも必ずと言っていいほど登場する有名な進化論を打ち立てたのでした。

  
 このような学説は 「知識詰め込み式教育」や、どこの誰でも似たようなことしか勉強しない、させない同じ教育と発想で考えきれるものでしょうか。 為政者にとって”理想の国民”は、「黙々と黙って働いて税金を納め、いったん戦争あれば何も言わずに戦地に赴き、高齢者になれば速く死んで欲しい」と 願っているような、そのような環境下で世界各国で認められ影響力のある学説が打ちたてられるのでしょうか。

  聞けばイギリス、中でもケンブリッジ大学周辺には脇目も振らずに自分の研究に没頭して(普通の人から見たら)”奇人変人”みたいに見える人がけっこう多いそうです。ある種、そのような人たちを 育てる、見守る環境や素地があると言うことでしょう。寄ってたかって人と違う意見を無視したり敵視し、奇人変人扱いにしてしまう、どこかの国とか地域とは、 社会風土そのものから違っているような気がします。

  あと、なぜ「第二、第三のダーウィン期待論・登場論」みたいなことがテレビや雑誌など多くの方が述べられているのか、この点の背景も私は重要と思いました。それは、 今の社会状況と無縁でないと思われます。今回詳細なことは書きませんが、戦後一貫してとられた政治(大企業奉仕やアメリカ追従式政治)体制や官僚型の仕組みが あらゆる面で破綻をきたし袋小路状態になっている投影ではないでしょうか。

 「無個性な教育」や「同一人材育成」は、各々の個性を育てる方式よりも効率も非常にいいし、お金もかからないかと思います。ですから、政治の世界だけでなく社会にあまたある会社や団体でも、「少数のリーダーのもと、あと残り全部は黙ってついて来い」式に最も都合のいいやり方だったと思います。しかし、こんなやり方が通用出来たのは”成長期”の一時期であって先に述べたように既に破綻してきているのです。

 また、 一見このような実社会とダーウィンなどの博物学などとは関係ないように思えますし、実際社会で直ぐに色々な学説の応用が効くなどとは多くの方が思っておられないと思います。 ただ、国民の対極にあるような今の政治や官僚型の仕組みの破綻=国民いじめみたいなやり方から、何か別の変わったやり方はないのかの追求の中で 「従来のやり方を変えて進化論的な発想が欲しい」みたいな雰囲気があるのではないでしょうか。

 (ただし、念のために「・・・をぶっ潰す」と威勢のいい言葉で国民を惑わせ、大企業奉仕やアメリカ重視は変えず、結局つぶされたのは国民生活や高齢者医療制度だったと言う”変な人”を待望しているのではないことは申し添えておきます。たとえ人から”奇人変人”と言われようが、真実真理の探究を行い、あくまでも国民、社会や会社などに役立つ素晴らしい人の期待論のことです)

 「今日明日のことで汲汲しているから将来のことまで考えられない」と思っている方含めて、結果として社会全体からの影響はあろうかと思います。それは政治などの大きなことから、あるいは特定の分野だけではなく、 広く社会にある多くの分野でもそうではないかと考えています。将来が見通せない、不確実性の社会にあって、 従来型のやり方や発想では乗り切れないと言う不安にも似た状況が根底にあるような気がします。

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 あと、ダーウィンの進化論は何十年という調査研究と、この学説に確信持ってからもさらに数十年かけて発表されたとも聞きます。教育とか人材育成とかも同じとは言いませんが、今日実践したら直ぐ明日に変化があって明後日に成果が出るようなものでもないと思います。

 現代社会の袋小路状態だけでなく、将来何が起こるか分からない、何があってもおかしくない、「何でもありよ」の中で、個性、独創性含めた広範囲で多重性のある考え方が従来型の思考よりも、より柔軟により多面的な解決策を見出すもとになるのではないでしょうか。

(記:2008年6月21日)

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