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聞いた言葉・第208回目、本は心の栄養

本は心の栄養

 今回の言葉、私が初めて見て知ったのは、大村市立福重小学校の図書室でした。 この室内前方入口近くの壁に紙がはられ、そこに「本は心の栄養」と書いてありました。(2016年4月19日撮影の右下側の写真です) 私が、ここへ行った目的は、図書ボランティア(児童の保護者の方々)の写真撮影と取材のためでした。<この時の詳細状況は、 「2016年度、福重小学校・図書ボランティア活動(概要紹介)」ページ を参照願います>

 ここで、栄養の解説ですが、広辞苑によりますと、次の<>内通りに書いてあります。 <生物が外界から物質を摂取してエネルギーを得、またこれを同化して、成長すること。  また、その摂取する物質。 「栄養をとる」>

 私は、この本は心の栄養という文字を見た時、担当の方へ思わず「なかなか、いい言葉 ですね。こんな標語なら本を読みたくなるかなあ」と話しました。 実は、この福重小学校は、私の母校でもあります。当然、私にもあった児童の頃、今から遥か 55年ほど前には、今みたいなキチンとした図書室ではなく、何かの部屋の一角に本棚はあったと思います。 (この当時、生徒数が多く、ほぼ校舎全部が教室ばかりでした)

  その頃は、 パソコンの「パ」も、インターネットの「イ」の字もなかった頃です。いくら、私が生来の勉強嫌いで、サボリ魔であっても教科書は当然のこととして、 いくつかの参考書とか植物・生物図鑑などは見ていたと思います。特に、何かを本で調べて書き写すようなことは、 子どもながらも必要に迫られてやっていたような気がします。

 それらの本が、どれだけ役に立ったのかは、その後の自分の学力などを考えますと、 本を書かれた方に申し訳ないようなものです。ただし、自分の好きな事柄などは、 やはり自ら進んで、その分野の本などは読んでいたような記憶があります。

  この延長線上で現在も、例えば私の『福重ホームページ』に郷土史関係などを書くために必要に迫られて大村市立図書館を始め、近隣の市立あるいは長崎県立図書館へ出向いてもいます。このように私の場合、けっして、読書好きだから本を借りに行くということではありません。なぜ、読書嫌いの上野でも各図書館へ行かざるを得ないのか、それは、町の本屋さんが減ってきていることも起因しています。この現象は、時代の変化なのか、ある意味仕方ないことかもしれませんが、寂しい思いもします。

 本に関係して、話は個人的なことながら、私は過去2冊の小冊子を発行したことがあります。それは、「山田の滝周辺にある題目淵の碑文(2011年1月30日発行 )」と、「現代技術を用いた郷土史研究(2013年6月1日発行)」です。この冊子は、書店での販売でしたが、その時「活字文化を大切にしよう」ということだったのか、長崎新聞社の紙面に大きく取り上げて頂きました。書店スタッフから販売前に「郷土史の本は、ややマニヤックな本ですから数十冊売れれば、いい方でしょう」と言われていましたが、先の長崎新聞社の紙面のおかげで、前者が200冊、後者が100冊以上の完売となりました。改めて、新聞(活字)の威力も感じ、大変ありがたいことでした。

 先に紹介しました広辞苑について再度、栄養の解説内容を考えれば、食事はいくら体に良くても食べ過ぎれば(摂取しすぎれば)、栄養過多で 様々な悪い面の影響もあることでしょう。しかし、本からの栄養は、今回の言葉通り、心の栄養になり 学業や、その後の生きていく上での知識にもつながることと思われます。また、良書を沢山読んでも、 食べ過ぎのように何か悪影響みたいなことは、出ないのではないでしょうか。

私の関係ホームページ
 人は誰でも一冊の本が書ける
 百の書物よりも1本のワインの中に哲学がある
 永遠に生きるかのように学べ、明日死ぬかのように生きろ
 好きこそ物の上手なれ
 古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ
 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
 素人集団による専門家知

  さらに、私のような貧乏人が声を大にして言うべきではないかもしれませんが、世界の富を一手に持っているような大金持ちでも、お金や財産には限度限界もあるでしょう。しかし、それに比べ心の豊かさや、本からの栄養は、それこそ、本人がその気になれば無限大に可能性だけはあるのではと思われます。

 『福重ホームページ』を開設以来約14年間、日刊で更新しています上野が言うのは場違いみたいものですが、やはり、心の栄養になる本や、新聞などの活字文化も改めていいなあと思い直しています。


(記:2017年9月4日)

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