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聞いた言葉・第217回目、この国の民主主義は形だけでいいんだ

この国の民主主義は形だけでいいんだ

 今回の言葉は、映画「新聞記者(公開日:2019年6月28日、日本映画、監督:藤井道人)からです。この言葉は、映画の中で内閣参事官・多田智也(田中哲司)が、部下に向かって、「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という台詞(せりふ)からです。なお、ここで、毎ページのように書いていますが、私の『聞いた言葉シリーズ』は、映画紹介ページではありません。そのため、この映画の詳細を知りたい方は、例えば、映画『新聞記者』公式サイトの予告編などから、閲覧願います。

 また、ヤフー映画紹介には、あらすじとして、次の<>内も書いてあります。 <東都新聞の記者・吉岡(シム・ウンギョン)は、大学新設計画にまつわる極秘情報の匿名FAXを受け取り、調査を始める。日本人の父と韓国人の母を持ち、アメリカで育った吉岡はある思いから日本の新聞社に在職していた。かたや内閣情報調査室官僚の杉原(松坂桃李)は、国民に尽くすという信念と、現実の任務の間で葛藤する。>

映画・新聞記者のパンフレット(表紙)より
 私は、映画についての考えた方として、毎回書いていますが、「映画は見ている、その時に楽しめれば、それだけで良い」という考えの持ち主です。この映画も、公開されて間もない頃に、映画館で見ました。

 既に予告編や、映画批評ページをインターネットで見ていましたから、詳細は分からずとも全体の流れ(概要)は、知っていました。そのような事前の状況やフィクション映画でありながら、現実の日本政治と、かなりの部分でオーバーラップして見えてきました。ここで、改めて、言葉の意味を広辞苑に解説してありますので、次の<>内を参照願います。

新聞記者(しんぶんきしゃ)=新聞記事の取材・執筆・編集に従事する人>

民主主義(みんしゅ‐しゅぎ)=(democracy)語源はギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される。>


 上記辞典の解説や、アメリカ・リーンカーン大統領の有名な演説「人民の人民による人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」通り、本来の、真の民主主義は、国民(人民)を基礎や規範にするものです。間違っても、首相や大統領などの個人にあるものではないことは、政治素人の私でも分かる言葉です。

 また、この民主主義は、先の辞典解説にもある通り、古代ギリシャ時代から、古今東西の幾多の人々によるたゆまない努力・奮闘などによってなし得たものでしょう。決して「棚ぼた」式に、誰かからもらったものではないと思います。

 しかし、この民主主義の精神に背くような事件が、戦後も何十回あったのでしょうか。そして、それらの事件は、たいてい大臣や政権与党の国会議員が、その特権的地位を利用して私利私欲に走ったものでした。また、その後も議員・形・内容などは違えど、様々な事柄が現在進行形で続いてもいます。

 この映画・新聞記者は、フィクション映画ではあるのですが、先に述べた現在進行形の事件と重なってきます。自分たちに都合の良いのような行政にして、それが問題になると、丸でなかったことにしてしまうやり方です。そして、公文書の隠ぺい、改ざんなども平気でやるなどです。上司の指示で改ざんなどをしただけなのに、結果として、その部下が悲しいことに自殺にまで追い込まれるという出来事もありました。

私の関係ホームページ
 報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない
 全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない
 空気で作られた「真実」と「正義」
 真実を自分で探す時代
 新聞記事は歴史書の最初の草稿だ
 演説の希望と失
 経済=経国済民
 カレーライスとライスカレーの違い

 日本売り

 悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)
 雰囲気選挙より政策の判断を
 経済の語源に逆行する政策は破綻への道
 言葉遊び国会、劣化政治
 策士策に溺れる
 政権交代の期待と裏切り
 トリクルダウン理論(trickle-down theory)
 私は、聞いた言葉シリーズの第212回目に「報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない。」を掲載中です。この言葉に照らせば、報道各社は、本来、国民のために真実を伝える使命があるはずでした。しかし、現実は、今回の映画と同じような内閣情報調査室などからのリーク記事さえも書いて政権擁護の報道さえありました。

 これは、先の使命からして、「報道の、ジャーナリストの使命放棄」に等しいものでしょう。そのようなやり方は、一時期、一見成功したかに見えても、いずれは「全ての人をいつまでもだまし続けることは出来ない」ことになるでしょう。

 私は、報道の神髄(しんずい)について、、地道な調査・取材活動と、公開情報でさえも、より掘り下げた中身の濃い内容にあると、思っています。そして、その報道は、国民視点に立って、その公器は用いるべきとも考えています。

 ここで、今回の言葉「この国の民主主義は形だけでいいんだ」に戻ります。映画の台詞(せりふ)だけならば、一時でしょう。しかし、日常の政治で、これをやられたら国民無視の独裁政治そのものと同じでしょう。そして、こんな発想を持つこと自体が、それらを言う人の視線は、決して国民視点ではないでしょう。

 最後に、先に書きましたことと重複しますが、現在の民主主義は、古今東西の幾多の人々によるたゆまない努力・奮闘などによってなし得たものです。簡単に、確立されたものではないでしょう。だからこそ、その先人達は、「現代に生きる者たちよ、民主主義は油断すると、直ぐなくし、取られるぞ。だから、日常普段に頑張れよ」と問いかけておられるような気がします。


(記:2019年7月15日)

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