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マーストリヒト市内観光その10

2013年12月23日
(オランダ時間)
 前ページには、古城レストランChateau Restaurant Neercanneで昼食を食べたことを主に書きました。その後、タクシーに乗って古城を出てアパートに戻り、この日の夕食は、簡単に食べて早目に寝ました。そして、12月23日、マーストリヒトで2日目の朝が明けました。今日の予定として、朝の時間帯はマーストリヒト市内観光、昼前からはドイツのアーヘンへ行くことを考えていました。
シュトーレン(クリスマス時季に食べるドイツのパン)
マーストリヒト駅の玄関
駅構内のイラストの一部のカウンター( まるで切り絵みたいな雰囲気。他の壁にも何枚かあった)
駅前にあるグランド・ホテル( 外観は格式のある立派な建物だった。この前の歩道を左方向へ歩いた)
(注:仮称)ウィルヘルミーナの銅像(銅像は最上部だけでなく下部の土台四方面にも4基位置かれていた)

 まず、今回のページでは、朝食で食べたシュトーレンのこと、その後、マーストリヒト駅前通り散策に出かけた話しから書いていきます。

シュトーレン(Stollen)
 朝食は、搾りたてのグレープフルーツ・ジュース、カプチーノ、それにメインのシュトーレン(Stollen)とブルーベリージャムでした。(右側1番目写真を参照)このパンは、国語辞典の大辞林によりますと、「シュトーレン=ドイツの伝統的なクリスマス-ケーキ。パン生地に干しブドウなどのフルーツや木の実を混ぜて焼き,表面に砂糖を振りかけてつくる」と書いてあります。

 この国語辞典にも書いてある通り、元々はドイツでクリスマス期間を中心に食べられているパンが、今やヨーロッパはもとより世界中で食べられているということのようです。右側1番目写真では、分かりにくいですが、切る前は全体に砂糖がびっしりかけてあるような作りで、中にはレーズンやナッツなどが入っていました。当然、作り方は地域や製造者によって違うとのことでした。

 今回食べたのは、姪の友人のドイツ人から贈られたものと、オランダで作られた二種類でした。義兄も私も、このシュトーレンのパンは喜んで食べました。また、この数日間は、シュトーレンの話題も続きました。姪が言うには、「シュトーレンは何週間も作り置きできて、それでいて美味しい。こちらではクリスマス・シーズンに食べている。まあ、日本なら正月三が日に食べるおせち料理みたいなものかなあ」とのことでした。

 朝から美味しいグレープフルーツ・ジュースやシュトーレンも食べたことですし、ゆっくり準備してマーストリヒト市内見学に出かけることにしました。09時過ぎに、まずはマーストリヒト駅方面へ行こうということでアパートから歩いて出かけました。

マーストリヒト駅構内のイラストとクリスマスの飾り
  この日、朝の時間帯は、今まで見たことのないような快晴で、それも”オランダ晴れ” みたいな雲一つもないような、抜けるような青空でした。「いやー、いい天気。絶好の観光日和だなあ」と口調も歩きも快調で、15分位でマーストリヒト駅前に到着しました。なぜ、最初に駅に来たかといいますと、両替のためでした。

 私は、まだ手持ちのユーロがあったので、待ち時間を利用して駅構内を散策しました。その中でも特に目立っていたのが、壁一面のガラス表面にあるイラスト、天井からぶら下がるシャンデリアやクリスマスツリーなどでした。そして、写真に収めていました。

 (右側3番目写真の)黒色やグレーのイラストは、人よりも大きいサイズでした。そして、見た目、日本の”切り絵風”な感じもしました。私は、絵やイラストの知識も当然ありません。駅舎といえば電車乗降の役目が果たせれば機能的には、それで充分なのでしょう。

 ただ、このような芸術的センスがキラリと光るものが駅構内にあると、ややオーバーな表現ながら小さな美術館の壁みたいにも思えて、”一粒で二度おいしい”、得した気分にもなりました。

 このような飾り付けは、このクリスマス・シーズンだけなのかもしれませんが、なかなかおしゃれな感じもしました。あと、階段登り口横の壁に、金属(真鍮製?)プレートがありました。どうもオランダ語のようで解読できませんでしたが、撮った写真では名称、人名以外に数字もありました。その数字は「1940ー1945」とあり、これは私の推測ながら駅舎か、付属施設の建設(改築)期間のようにも思えました。

活気あるマーストリヒト駅前通り
  両替も済み、朝の時間帯に市内散策やお土産買いをすまそうということで、まずは駅前通りを歩き、マース川に架かる橋へ向かって行きました。駅の玄関から見て右側には、英語読みと言いますか私の場合、日本語表記で「グランド・ホテル」がありました。(右側4番目写真を参照) 私の撮った写真の一部にも白文字が少し見えていますが、どうも看板には、「Grand Hotel de L'Empereur(グラン ホテル ドゥ ランぺルー)とあるようです。

 私達は中には入りませんでしたが、このホテルの外観は(右側4番目写真通り)、格式のある、なかなか立派で歴史を感じさせる造りでした。英語読みでは、「グランド・ホテル・エンペラー」みたいになるのでしょうから、それはそうだなあと思いつつ、このホテル前の歩道を歩きました。

 あと、私は勝手に「駅前通り」と呼んでいますが、この通りはマーストリヒト駅前道路から聖セルファーズ橋までの約500mのことです。この通りは、地図で見ますと、スタションズ通りとウィケル・ブルグ通りを足したものです。ここには、大規模な商店はありませんでしたが、食料品、日用雑貨、服飾、宝石店などが軒を連ねていました。

 日本の駅前通り商店街といえば当然全部ではありませんが、空き店舗が多く、別名”シャッター通り”とも呼ばれている所もあるようです。しかし、私の大ざっぱな見方ながら、ここの二つの通り(合計で約500mの間)には、空き店舗らしきものはなかったようです。そして、そう派手な看板や飾り付けはないもののサッパリと小奇麗な商店が目を引きました。

 簡単にいえば、「繁盛している商店」、「活気を感じさせる商店街」でした。このような活気ある商店や商店街は、なにもマーストリヒトだけでなく、私の「ストラスブール旅行記(扉ページ)」の「今アルザスが面白い2、なぜ活気があり豊かなのか」にも書いています通り、ヨーロッパ各地で見られます。いずれ、このヨーロッパの活気ある商店や商店街については、別テーマ(別ページ)で掲載を考えています。

ウィルヘルミーナの銅像
  先のホテルから約180m行ったスタションズ通りとウィケル・ブルグ通りの連結部みたいな所に、大きな十字路がありました。この中央部には、高さ10m位ありそうな塔の上に立つ立派な銅像が見えてきました。(右側5番目写真参照) 

 ここで、おことわりを書いておきますが、この項目の見出しや内容に「ウィルヘルミーナの銅像」と書いているのは、上野が勝手に呼んでいる名称(仮称)で、ガイドブックなどの書籍類で確認したものではなく、また正式な名称ではありませんので、ご注意願います。

 この銅像は、子ども(赤ちゃん)を抱いた女性のようでした。また、下部の方(土台の四方全面)にも銅像が配置されていました。その数は、正確には分かりませんでしたが4基前後あったようで、私達が歩いた面は男性の銅像のようでした。

  再度、銅像の名称についてですが、この旅行時は分からなかったのですが、帰国後グーグルアースの写真などで調べたところ、何枚かに「Wilhelmina」(ウィルヘルミーナ)との説明文がありました。また、私たちが歩いて来た東西に走る駅前通りと、南北に通ってクロスしているのは、「Wilhelminasingel(ウィルヘルミーナシングル)通り」と呼ばれているようです。

  以上のことから、この像は「ウィルヘルミーナの銅像だろう」と推測して、書いています。さらに想像すると、この女性は、オランダ国王のウィルヘルミナ女王だろうと思いました。この件は、後で調べて詳細に分かれば書き直したいと思っています。

  この銅像や広い十字路から、さらに通りを300m強歩きますと、マース川と聖セルファーズ橋が見えてきました。当然、この間も先ほど紹介しました商店や商店街通りの両側に続いていました。聖セルファーズ橋へ行くには、ちょっとした登りもありますので、橋のたもとから今まで歩いて来た通りを振り返りますと、ほぼ一直線上に見渡せました。

(掲載日:2014年5月5日)
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(旅行メモ)
2013年12月23日(オランダ時間)
     マーストリヒト市内観光(10)
06時00分、起床
07時30分、朝食
09時10分、マーストリヒト駅に向けて徒歩で出発
09時30分、駅でユーロへ両替など
09時40分、マーストリヒト駅前通りからマース川周辺
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