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アーヘン市内観光その3

2013年12月23日
(オランダ時間)
 前ページに、アーヘン市内を少し散策し、昼食時間だったので、どこかの店に入ってみようということで探し歩いたことや、ビストロで食べたことなどを書きました。とにかく、クリスマス休暇期間ということで、どの通りも人ばかりでした。

 そのような中、手ごろなビストロ店で昼食して、お腹も満足しました。そして、また、「さあ、今日一番の観光名所であるアーヘン大聖堂へ行ってみよう」との元気も出てきました。今回は、そのアーヘン大聖堂及びその周辺を中心に書いています。

アーヘン大聖堂前の出店

 昼食を食べたビストロ店「 Konig City(ケーニヒまたはケーニッヒ・シティー)(注:正確には「o」文字の上に、二つの点が付いている)の前は、ちょっとした広場みたいになっていました。そこから、さらに西側方向に進むと、沢山ある参道の一つと思われますが、寺院につながるウルズリナー通りがありました。私たちは、人通りの多い道なのでスリなどには注意を払いつつ、前後左右を見ながら進みました。

 数百メートル進んだでしょうか、通りの左横には、緑の公園が見えてきました。この公園は、エルゼンガルテン(Elisengarten)と言うようです。時間なきため早足で進みましたので、ほとんど覚えていないのですが、芝生の多かった公園との印象はありました。ウルズリナー通りから、さらにミュンスターブラッツ通りに入ると、そこはアーヘン大聖堂前と言う感じで、今までより、さらにゴシック建築の寺院がそびえて建っているように見えてきました。
アーヘン大聖堂前の出店(右側にサンタクロース)

アーヘン大聖堂(外観)

アーヘン大聖堂(内部)
アーヘン大聖堂(ユネスコの世界遺産)

 また、この付近からクリスマスの時期だけか、あるいは通常時期も同じかどうか詳細分かりませんでしたが、様々な木造建築の出店が軒を連ねていました。(念のため、屋台=露天商ではなく、ちゃんと屋根がある店でした) <右側1、2番目写真参照> この周辺から、さらに人通りが多くなり、店も見たいし、写真も撮らないといけないし、なかなか気ぜわしく歩き回りました。

アーヘン大聖堂の世界遺産モニュメント
  出店から、さらに寺院入口方向に進みますと、右側に庭園がありました。ここには、カール大帝の銅像が置いてありました。この銅像は、意外と思うほど小さく感じたため、残念ながら案内板などを見ることなく、写真も撮るのを忘れてしまいました。

  さらに入口手前横を歩きますと、今度は目測で高さは70cm弱で、形は1m真四角のような台座上にアーヘン大聖堂の建物像(ミニュチュア)がありました。(右側4番目写真参照)この台座部分に見慣れたユネスコのマーク(世界遺産の場所や書籍類などでも沢山見るマーク)がありました。

 ここから私の推測ですが、この寺院ミニュチュアと台座は、1978年にアーヘン大聖堂が世界遺産(文化遺産)に登録されたので、それを祈念して建立された記念のモニュメントではないだろうかと思いました。

  観光客の方々も次から次へと写真を撮っておられたので、時間かけて見れなかったのですが、模型の尖塔やドームなど手で触りやすい部分は、青銅色ではなく地肌が出たようにピカピカ光っていました。これから、いよいよと言う感じで、寺院入口に進みました。

アーヘン大聖堂の概略史
 まず、入口横に世界各国の言語に訳されたパンフレットが置いてありました。その中で、英語版を手にして見たところ、寺院の歴史概要が書いてありました。私は、英語ができないので、原文をそそのまま自動翻訳できるホームページで最初してみました。さらに自分なりに改訂してみると、次の「」内の和訳になりました。ただし、全く英語の出来ない素人訳ですので、あくまでもご参考程度に、ご覧願います。

 「アーヘン大聖堂の現在の状態になるまでには、1200年の歴史がかかりました。 宮殿礼拝堂(教会)の中心的な建物であるキューポラ(丸型天井屋根)の八角形(ドーム)は800年頃に完成しました。 14、15世紀には、ゴシック様式の内部(アーヘン温室」)と南北チャペルが建設されました。 ハンガリー様式チャペルと柱廊式玄関は、18世紀に加えられました。 キューポラ(丸型天井屋根)は、1663年〜1664年に新しい屋根を建て替えられました。そして、塔は1884年に完成しました」

 上記以外を要約しますと、「カール大帝が8世紀末頃に建てた。ヨーロッパ北部の地域では最古の教会で、神聖ローマ帝国の皇帝30人が戴冠式をここなった教会であること。(長い歴史がある分)ロマネスクやゴシックなど様々な建築様式が複合して建てられていること」など分かりました。

  あと、あくまでも私の目測ですが、寺院自体の建物の大きさは、高さ約32m、東西(横幅)約70m、南北(縦)約45mありそうでした。

荘厳な寺院内部
  寺院内部に踏み入れると、参観者の声は聞こえていましたが、外側の喧騒に比べ静かな感じがしました。特に、奥側に進むと、そこは寺院の最奥部(東側)になるのか、壁になる部分に左右ズラリ、上下びっしりという感じで長細いステンドグラスがはまっていました。

  教会のステンドグラスと言えば私は、これまで例えばパリのノートルダム寺院のバラ窓、サントシャペル寺院の「柱部分以外は全てステンドグラスみたい」と思わせる仕様、さらにはストラスブール大聖堂のステンドグラスなど、どちらかと言いますと、やや派手な感じの色合いだったと記憶しています。しかし、このアーヘン大聖堂のステンドグラスは、一見「青白い」感じもして、「これはこれで、いいなあ」と思いました。

 それ以外にも天井、壁、様々な調度品や台などもありました。そのいずれもが華麗な装飾が施されていました。教会に詳しい方あるいは建築家ならば様々な解釈や説明をされるのでしょうが、私のような素人には、ただただ圧倒されるような大きさと荘厳さを感じるばかりでした。私達3人は、しばし長椅子に座り、写真やビデオで内部を撮り、そして外へ出ました。

何も言わなくても世界遺産は違う
  ここで、少し世界遺産の教会について、私の意見を書いていきます。 世界各国にキリスト教関係の教会だけと限定しても、何万十万あるのでしょうか。その内、私は、ヨーロッパ旅行時、これまでサンピエトロ寺院を始め7ヶ国20寺院以上を観光目的で見たと思います。また、その半数以上が世界遺産登録の教会でした。今回見たアーヘン大聖堂は、その中でも最初(1978年登録)の世界遺産です。

  ここで改めて私は思うのですが、世界遺産登録の教会は、どこも古今東西、人種、宗教、言語の差などを超越して 見学者を圧倒しています。また、未登録の教会と根本的に違うのは、 建物自体が壮麗で大規模だけではなく、その教会の歴史の深さ(どこも 何百年前の創建)と、その地域に幅広く奥深く根ざしていることから にじみ出ている、醸し出すような、なんとも言えない雰囲気ではないだろうかと思っています。

  つまり、これら教会の状況や街の雰囲気は、何も高い予算を使って近年から急に毎年のように「我こそは世界遺産の価値があるのだ!」とか、「(一般の方からすれば分からないが)・・・・・は”普遍的価値”があるから登録を!」などと声高に何年も叫ばなくても、何百年も極自然に醸成されてきたからこそイコモス (ICOMOS)やユネスコに認められ、「当然のごとく世界遺産へ、なるべくして、なった」と言っても過言ではないでしょう。

 また、先に述べた通り、5ヶ国語くらいに訳されたパンフレット、分かりやすい観光説明板、身障者用の設備、トイレやフリーWi-Fiなどは、欧米の有名観光地では常識でしょう。これらは、「世界遺産になる、ならない」は別としても先にインフラ整備すべき事項ではないでしょうか。それら何もなされずに、ただただ「・・・・・を世界遺産登録へ!」と叫んでも、後で困るのは当該地を訪れた観光客や、あるいは対応される周辺地域住民のような気がします。

 私の住んでいる長崎県内にも、いくつか世界遺産候補があるようですが、先の様々な問題解決が図られ、観光客の方に喜んでもられるような場所になることを願っています。

(掲載日:2014年8月18日)
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(旅行メモ)
2013年12月23日(オランダ時間)
     アーヘン市内観光(3)
13時30分、アーヘン到着、散策
14時00分、ビストロ・カフェで昼食

14時35分、昼食終了し店の前で写真を撮る
14時40分、アーヘン大聖堂の見学
14時55分、大聖堂近くの公園エルゼンガルテン(Elisengarten)

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