(このページは、主に1986年2月21日のことを書いています)
ロンドンでの一夜が明けた。とっくに7時をまわっているのに、まだどんよりと暗かった。小林さんから「8時に朝飯にいこう」との電話が入った。今日は空港調査もあるので、身支度を整え1階の食堂に向かった。 パンは自分で選ぶこともできるが、日本と同じような食パンがイギリスにはあり、懐かしかった。 と言うのもパリもローマでもクロッワサン、大きいステッキみたいな固いフランスパンはあっても食パン風の物はなかったからだ。 パン以外にはスクランブルエッグ、生ハム、アツアツのソーセージ、それにサラダと、なかなかのボリュームだった。 「えらい、朝から豪勢ですね」と小林さんに尋ねると「うん、イギリス料理と言えばローストビーフ位しかないが、朝飯は多いのは有名だよ。昼はその分簡単にやっているようだ」と教えてもらった。ソーセージの味付けは塩が効いていたが、まあまあ食べれた。郷に入ってはその郷に従い、食後はコーヒーよりも紅茶を頼んだ。 ピカデリー・サーカス 8時30分にはフロントにホワイトさんが待っていてくれた。ホテルから歩き、地下鉄のピカデリー・サーカス駅に向かった。各々通りのそばに建つビルはいずれもが同じ様な色、形、それに高さをしていた。 ピカデリー・サーカスは、真ん中にエロス像があり、また、男女の待ち合わせの場所としても超有名な所だ。 サーカスと言えば私の感覚で直ぐ曲芸や動物芸のあの「サーカス」を思い浮かべる。サーカスは「広場」の意味が元々の語源と言う。昔、広場で曲芸などをして、大勢の人に見てもらって発展したと思われる。 ロンドンでは地下鉄のことを『チューブ』と読んでいる。 チューブ型のトンネルで建設され、最初ニックネームとして言われていた『チューブ』がいつの間にその名称が一般化したと言う。正式には「アンダー・グランド・レイルウェイ」と言う。読んで字のごとしとは、このようなことを言うのだろう。地下鉄の呼び方も各国とか地域でも違う。フランスは『メトロ』、イタリアも『メトロ』、アメリカは『サブウェィ』、と言う具合だ。
ピカデリー駅での切符をホワイトさんに買ってもらう。切符は日本の旧国鉄時代のような固い薄い青色の紙だった。ホームからぐるっと見渡すと、なるほどチューブのように全体が丸かった。車内に入った。 大阪の御堂筋線のラッシュアワーなら身動きもできないが、ここでは立ったままながらも肩がふれあうこともなかった。口数の少ないホワイトさんとしばらく話していると自宅近くの駅に着き、そこからホワイトさんの自家用車でヒースロー空港へ向かった。 警戒厳重の貨物上屋 車を降り英国航空の貨物上屋へ歩いた。10時5分に英国航空の日本人が出迎えてくれた。ここで一番喜ばれたのが、小林さんだった。「あのピッツアさんの英語はアクセントが独特で閉口していた。意味が分からないと言っても、2度も3度も聞く訳にもいかないし。でも、こちらの発音は全部分かっているから、これからどうしようかなと思っていたので、本当に助かった」 早速、「上屋内の写真は大丈夫でしょうかね」と尋ねると「ここは警戒が厳重で、警告されますから、絶対ダメですよ」と返事された。残念と思いながらも、もう何回もこのような場面に出くわしてきたので反面慣れてきた。 大阪空港の国際線貨物上屋なら軽く三つは入るのかなと思う位の大きな建物である。朝の時間帯のせいなのか、あまり混雑した感じはしなかった。 それでも電動式フォークリフト車が2〜3台頻繁に行き来して、貨物を運んでいた。 貨物上屋の機械化について、質問すると「ここも以前は電動式だった。歯車がカチャカチャとうるさいため、精神的に良くないので壊して、また、フォーク式になった」との説明があった。一度全自動にした施設を従業員の健康のためにつぶして、元に戻すとは到底日本では考えられないことだった。 しばらく、歩いたが国内線の貨物よりは大きさと量が多い以外はそう変わる物ではなかった。出口近くの一角では今朝着いたのか通関手続きが行われていて、警戒が厳しく近寄りにくい雰囲気がした。ここで丁寧に説明して下さった日本人の社員の方にお礼を言い出ることになった。 従業員食堂での懇談 11時30分前だったが、ターミナルに向かい昼食にすることになった。「何か希望はありますか?」との問いに松尾さんから「空港の従業員食堂に行ってみたい」との要望があった。日本式に言うなら、2階か中2階にあり、詰めたら50〜60人位は入ろうかと思えるカフェテリアであった。 各々のお盆の上の小皿やコップに、適当に好みの食べ物や飲み物を取って精算する方式だった。私はパン、ビーフシチュー、サラダ、オレンジジュースをとった。大味だがマアマアで、特に、ジュースが美味しかった。まわりを見渡すとスチュワーデスやグランドホステス(旅客担当)等の制服組がゆったりと食べていた。 ここでイギリス、日本の航空界について質疑を行った。私たちは賃金、勤務、救急医療体制など聞いた。私たちの勤務が「全職場で100数十種類ある」応えたら手を広げて「へ〜」と言うようなポーズで驚かれていた。日本の賃金についても聞かれたのでポンド換算しながら乗員職や地上職の年収を通訳の方に返答してもらった。そうしたら、「イギリスで働いて、日本の賃金をもらったら良い」と言われ、お互いに笑いが出た。
ターミナルビル内にある事務室に案内された。ここで190センチ位はあろうかと思われる紳士を紹介された。名刺をもらうとそこには「英国航空、ヒースロー空港・ターミナルビル3マネージャー(支店長」と書かれてあった。ここのビルで働く職員の約2千人のトップで、重役であろう。 お互いに自己紹介し、今回私たちが日本から訪問した目的を簡単に通訳の方が述べられた。私はこの時、少し失敗した。それは歩き疲れもあったので10人位は一同に会せる机の前に椅子があったので、私だけ腰掛けた。そうしたら、私以外の誰も座らなかったので、慌てて椅子を戻した。 ここでは、表敬訪問のみで、特に、会議風に支店長から話を聞く目的ではなかった。 少々バツが悪かったが、支店長やそのスタッフに「サンキュー」と言いながら、部屋を後にした。 今度は空港内の見学となった。まず、ターミナルビルの中ではあってもお客様からは見れない手荷物仕分け場(表の旅客のカウンターからベルトコンベアーで送られて来る手荷物を行き先別のコンテナー等に分ける上屋、旅客カウンターからすれば、真後ろになる)に行った。 ここの手荷物仕分けの方法は逆三角形のステンレスの入れ物にサムソナイト等の大きい旅行鞄が入り、ゴンドラのように運ばれる。そして所定の行き先の所にくるとその三角形の入れ物はバタンと滑り台の方へ片向き、下の手荷物受け台に流れた。あとは人の力でコンテナーに積み込まれた。 大阪空港ではベルトコンベアー以外は総て人力で手荷物を乗せたり、仕分けしたりするので、多くが自動になっているこの装置が興味深かった。「故障はないのですか」と尋ねると、「度々あって、その都度上に登って直している」とのことだった。やっぱり「故障はあるんだな〜」と思いながら、しばし足が止まった。 次はスポット(飛行機の駐機場)に行くことにした。B747(ジャンボ機)が駐機できるスポットなのでひとつだけでも狭くはないが、見渡す限り、どこもジャンボ機特有の尾翼が見えた。英国航空が多いが他のエアーラインもあり、残念ながら日本航空の鶴マークは見えなかった。 2つ、3つ目のスポットを歩くが、先程の手荷物上屋との位置関係から今どこを歩いているか分からない位であった。 事前にヒースロー空港(1,127ha)は、大阪空港(317ha)の約3倍近くとは思っていたが、それにしても広大だ。これでも需要が伸びて処理能力が追いつかないため、新しいターミナルビルとスポットを建設中であった。 天と地の差
真新しいターミナル4 |
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