今あれば通っているのに
長崎市と言えば私にとって「近くて、遠い」(どっちやねん、笑い)感じでした。私は生まれ育ちも現住所も(途中25年間の大阪時代を除けば)長崎県大村市です。
ここから長崎市内までの距離と交通機関が”微妙な関係”(笑い)を作り出していました。私の住んでいる所から長崎市内まで、車なら高速道路を使うと早ければ片道45分くらいでも可能です。
しかし、バスやJRを乗り継ぐと片道2時間近くかかり、学生時代からなかなか、回数多く行けず、かなり覚悟(笑い)して行っていました。そのようなことから、1986年の年末頃に長崎ケントスがオープンしたと言う情報が入り(私は当時大阪池田市在住でした)、「これは田舎に帰った時も、長崎に行けばオールディーズが聴けるなあ」と思っていました。
でも、帰省は毎年数回ありましたが、なかなか先に述べた「近くて、遠い」関係から、結局、開店から閉店までに長崎ケントスには、2回しか行けませんでした。
1回目は1988年5月31日で、この日久しぶりに路面電車(長崎電気軌道)に乗って最初ブラブラしていました。この電車いつ乗っても思うのですが、どこまで乗っても大人100円で、しかもあまり待たなくて、次からつぎに本数が続くので本当に便利です。(市民だけでなく、観光客の方からも非常に好評です。この電車、今どき珍しいほど頑張っています)
この電車を(歌謡曲で有名な)思案橋で降りて、さらに思案橋通りなどを少し歩くと宝塚会館があり、その1階に当時の長崎ケントスはありました。店外では、店の入口まで半丸状の通路屋根(上記の写真)が、特徴でした。店内自体は、全国どこにでもある内装とほぼ同じでしたが、地方の店としては、けっこう客席(130人収容)もステージもゆったりした作りだったなあという印象があります。
この日、私は大村に帰るのに便利なJRの快速に合わせて店を出ようと思っていた関係上、早目に店内に入りました。
すると、お客さんは私含めて2組だけで、「なんか、貸切みたいだなあ」と思いました。バンドは、ブルームーンの皆さんでした。2組の客相手でしたが、歌や演奏はなかなかのもので、頑張っているなあと感じました。
私は、全国の店を巡って多くのバンドのステージも見る機会があり、お客さんの数とバンドの”ノリ”について、色々思っていました。バンドの方は、お客さんや拍手・声援が多い方がノッテいるのは、極自然でした。
ただ、じゃあ数が少ないと手抜きや惰性でやっているのかと言えばそれは全然見なかったです。バンドの方は、(たとえ、中には酔っ払いや演奏をあんまり聴いていない客がいたとしても)人前で歌うプロである以上、お客さんの数が多い少ない以前に、やはり自らいい歌をうたいたいし、いい演奏したいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。自分なりの目標や向上心を持って頑張っておられるのだなあと考えていました。
全国店巡って、平均して1日6ステージ(多い店では7ステージもありました)1ステージ大体10曲としても、1日合計60曲から70曲以上にもなります。さらに本番のステージ前後には練習もあるでしょうから、1日100曲以上の歌や演奏が休みの日以外は続くと想像できます。これは、先に述べた目標や向上心にプラスして、毎日が体力勝負に近いことだと思えました。
客と言うのは私含めて我がまま勝手で、いつ行っても直ぐに生の演奏を聴き、しかも、いつも”ノリノリ”のステージを見たいと思っているものです。しかし、バンドの人だって同じ人間ですから、体の調子の悪い時もあるだろうし、その他微細なこともあるでしょう。そのような時は、いつもよりは”ノリ”が違うと言う程度だけだったのではないでしょうか。
私がこの店へ2回目行ったのは、1991年10月25日でした。この時、『長崎ケントスオープン5周年』と言うことで、ひとつ他店にない企画をスタッフから聞きました。
それは、11月10日から2泊3日で、六本木と銀座ケントスその他をまわるツアー(航空券、ホテル代、二つのケントス料金込み、昼は自由に東京見学などして、合計82.000円)でした。
「これは、オールディーズ好きの仲間内で行ったら、楽しいかもしれないなあ」と思いました
もしも、まだ、この店が閉店していないなら、私は交通の不便さとお金のありなしをものともせずに(笑い)、今だったら「通っているだろうなあ」と思う日々(笑い)です。
私の田舎は、大村湾が一望できて、長崎空港を離発着する飛行機のウィング灯の点滅も市街地の夜景も全部見える展望台(笑い)みたいな所です。おまけに水や空気もうまいのですが、こと生の音楽だけは、以前住んでいた大阪に比べ本当に遠い感じとなりました。(記:2002年8月19日)
長崎ケントスのデータ (下記は、1988年5月当時) |
バンド名 |
当時:ブルームーン(ハウスバンド)
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所在地 |
長崎市
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電話番号 |
- |
特記事項、その他 |
オープンは、1986年11月
閉店は、19 年 月
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