驚異のローマ建築、その5
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(通称)双子教会 |
(通称)双子教会
この方面に来た元もとの主目的は、「ポポロ広場はどんな所か」と言うことでした。しかし、ここに着いた時に同行の(双子の)甥姪が、「おじさん、あの教会は私たちと同じ双子ねえ」と指さしながら言ったので、その言葉とともに印象深くこの教会を覚えています。 双子教会の正式名称は、掲載写真の左側がサンタマリア・ディ・モンテ・サント教会、右側が、サンタマリア・ディ・ミラコーリ教会です。目の錯覚でどちらとも同じように見えますが、実際は、クーポラの形が、正円形(左側)と楕円形(右側)の違いがあります。
これらの通りの関係から、右側のサンタマリア・ディ・ミラコーリ教会の敷地がやや広く=建物もやや大きくなっています。さらに3つの通りは、集中している点から見れば、微妙に角度も違っているとも言われています。 そのようなことから、瓜二つの教会に見せるため、目の錯覚を利用して、クーポラの形を違えることにより、全く同じ建物がたっているようにしたのでした。また、教会の互いに面している(コルソ通り)側に似たような鐘楼を建ているため、さらに同一のもののように印象を高める効果を発揮しています。 まだ、鉄道とかバスもなかったずっと昔、サンピエトロ寺院を巡礼する北からの信者は、遠くからも見えたであろう高さ36.5mのオベリスクを道標(目印)にして進み、やがてまずは、ローマ市街地北部にあるこのポポロ門(フラミニア門)をくぐったと思います。 この門から広場に足を踏み入れ、眼前に聳え立つオベリスクの高さに改めて驚きつつ、さらに広場先の双子教会を見て、旅人は、「あー、ローマに来たなあ」と実感したのではないでしょうか。ここからリベッタ通り方向に向かうと、サンタンジェロ城と巡礼者の目的であるサンピエトロ寺院方面になりますので、たぶんここまで来ると疲れた足取りも軽くなったかもしれません。 これらポポロ門、ポポロ広場、オベリスク、双子教会について、今は当然、一緒に見えますが、建設年代は各々バラバラのようです。オベリスクは紀元前13世紀頃のものをエジプトから運び、古代競技場チルコ・マッシモに立っていたのを現在地に1589年に立て直したものと言われています。 北からの巡礼者を感激させるために、目の錯覚を利用して瓜二つの教会に見せようとする狙いなど、当時からもローマ人は、なかなか奇抜なアイデアの持ち主だなあと、私は思いました。また、ここは、門、広場、オベリスク、教会、各通りなど総てが一体として考えられているようで、どれか一つでも欠けたら興ざめかなあとも感じました。(掲載日:2005年2月16日) |