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(写真1) ドイツ最古の木組みの家(写真6の左側の家も同じ)。

(写真2)中世の服装をした人(泉の前で楽器の準備中?)
(写真3)観覧車(中央部。幼児用かな?)

(写真4)エスリンゲンの旧市庁舎(正面、中央上部に鐘楼、下部に時計)

(写真5)エスリンゲンの旧市庁舎(東側面、右上側は鐘楼)

(写真6)左側はドイツ最古の木組みの家、右側も木組みの家
(写真7)手編みのバスケット類

エスリンゲン観光その5、旧市庁舎周辺のクリスマス市と、ドイツ最古の木組みの家など

2015年12月19日(ドイツ時間)
 前ページ「エスリンゲン観光その4、)エスリンゲン城」には、約300段の階段を急登し、そしてエスリンゲン城の中庭や渡櫓(わたりやぐら、連絡通路)から市内の眺望を楽しんだことなどを書きました。

 今回のページでは、そのエスリンゲン城から下って、再び旧市街地方面、特に旧市庁舎周辺のクリマス市やドイツ最古の木組みの家などについて書いています。

中世の格好をしたクリスマス市

 エスリンゲン城から下り、階段出入り口前のオーベレ・ボイタウ通りを50m弱進みますと、ベルリーナ道路のガード下に出ました。そこをくぐりますと、先のページで紹介しました泉がありました。その泉の前では、弦楽器を手に、中世時代の服装をした男女5人程の姿がありました。(写真2を参照)

 写真2でもお分かりの通り、全員フード付きの黒装束(くろしょうぞく)姿です。次の露店は、子どもたちを相手にした遊びの店のようでしたが、これまた服装は中世風でした。エスリンゲンのクリスマス市は、「Mittelalter markt(中世市場、中世市、中世のクリスマスマーケット)」と呼ばれています。事前に、そのことは聞いてはいましたが、どこの通りの店員も関係者の皆さんも、中世の服装をしています。

 それぞれ、先ほどの黒装束(くろしょうぞく)姿だけでなく、私が見て知っている限りで言えば、例えばロビンフッドみたいな男の格好とか、まるで童話か絵本に描かれている長袖(ながそで)で長いスカート姿の女性の服装とかです。

 私たちは、ミットラレ・ボイダウ通りからライトハウスプラッツ(旧市庁舎広場)に歩いて来たようです。ここには、写真3の黒色の「Riesenrad(観覧車)」が置かれていました。このドイツ語訳からの「観覧車」は訳の上からは間違いないと思うのですが、それにしても現在の、まるで空中を回るような観覧車に比べれば小さ過ぎるような感じでした。たぶん、手回し式の幼児用(木製)観覧車ではないでしょうか。いずれにしても、人気があり、これまた古い物でした。

エスリンゲンの旧市庁舎
 ライトハウスプラッツ(旧市庁舎広場)は、そう大きな広さではないものの出店が沢山ありました。そして、まるで時計台か塔のようにも見える旧市庁舎(Altes Rathaus)も真直に見えました。(写真4参照) 

 この旧市庁舎は、私の目算ながら南北に約40m、東西に約15mの細長い建物で、屋根は赤レンガ風でファサードはオレンジと各所に白色の縁取りがしてある木組みの家風でした。写真4の中央下部に写っています時計は、きらびやかに装飾されていました。

 私は、直接は聞いていないのですが、時報を告げる時に写真上部にある鐘楼(しょうろう)から鐘の音が鳴り響く仕掛けだと思いました。市庁舎にしては、実にお洒落(しゃれ)な感じで、写真や動画スポットとして人気があるのを実感致しました。

 また、その名が示す通り、この旧市街地周辺の中心地みたいな所でもあります。そのため、一気に人通りが増えた感じで、私たちは人混みをかき分けながら前へ進みました。

ドイツ最古の木組みの家
 旧市庁舎の東側の通りからハーフェンマルクト通りを歩いていきますと、壁に史跡説明板みたいなものが、はめ込まれた建物が見えてきました。ご参考に、このページ最上部の写真1と、写真6の左側の家を参照願います。この建物は、先の説明板によりますと、概要「ドイツ最古の木組みの家。1328〜1331年に建設された」と書いてあるようです。つまり、日本風に言えば、「2016年現在で、築688年」となります。

 さらに、ドイツ語版ホームページなどを参照しますと、建築後から現在までの長期間には、当然、保全や修理のため部分改築はされているようです。しかし、家を支える構造などは、建築当時からそのまま残っているようです。しかも、そのことが専門家によって証明もされていると書いてありました。

 ヨーロッパでは、石造りの家が多いので築400年とか築700年位は珍しいことではないと思われます。私は、聞いた言葉シリーズ・第99回目、『築100年、200年は新しい建物と書いています。その石造りの建物感覚からすれば「築688年」は、珍しくはないのですが、木の家の耐用年数からすれば、奈良、法隆寺の五重塔などを除き、やはり世界的にも古い木造建築物と思われます。

 この旧市街地周辺は、このような古い感じの木組みの家が至る所にあり、素人写真家泣かせと言いますか、どれを撮ったらいいのか目移りばかりでした。あと、言い訳になりますが、古い通りのため、かなり道路幅が狭く、そのため影さしてしまう場合も多かったです。地元在住の方ならば、どの時間帯がいいのか、当然ご存知と思いましたが、観光客にとっては、陰のない写真撮影は、場所によって難しいとも思いました。

ハーフェンマルクト(ハーフェン市場)
 ドイツ最古の木組みの家のある住所は、「Harfen markt 4-10 ( ハーフェンマルクト4の10)」です。つまり、この建物は、「ハーフェンマルクト(ハーフェン市場)」と呼ばれる通りに面しています。

 この「Harfen(ハーフェン)」とは、ドイツ語直訳すれば弦楽器のハープのことのようですが、はたして、この訳で正しいのか、私には良く分かりませんでした。また、何か、その名称(地名)の付いた由来もあるのでしょうが、探しきれませんでした。

 なお、この場所には、一部木々が繁っている広場があります。目算ながら南北約60m、東西約50mの広さがあり、その北西側には、泉も見えていました。また、広場の東側には博物館があり、その他この周辺には、銀行などもあるようにホームページには書いてありました。

 いずれにしても、この広場は古くからあり、市場があったり、市民の憩いの場だったのでしょう。そして、今回、広場の北西側には、白いテント小屋がいくつかありました。(写真7参照) その一つの店には、人よりも高く、さらに所狭しとばかりに手編みの籠(かご)類が並んでいました。

 日本では、この種の手編みのカゴなどは、どちらかと言いますと竹製品が多く、台所用とか農業用が多いような気がします。しかし、こちらの材料は正確には分かりませんでしたが、籐(とう)みたいな作りで、手提げ用のバスケット類などが沢山ありました。

私は、自分で全く出来ない分、このような手編みや手工芸に興味があるのですが、これらを作られた職人さんの凄腕(すごうで)に改めて感心しました。マダマダ、細かい路地などには、クリスマス市はあったのでしょうが、一応この広場で、来た道を戻る感じで、聖ディオニス教会方面に行くことにしました。

古い建物は味があり、それだけで観光資源
 帰り道の両側は、どこも木組みの家か、古い建物ばかりで、この周辺が「エスリンゲンの旧市街地」と呼ばれていることを再実感しました。エスリンゲンは、第二次大戦で連合軍の空襲に遭っていないとも聞きました。私は、家や路地の雰囲気は当然違いますが、これらの古い家並みを見ますと、奈良や京都を思い出しました。

 また、日本では市民・国民の税金で建てられた公共(鉄筋コンクリート)の建物(庁舎など)も「築40年、50年になったから、もう建て替えだ」みたいにして、毎年のように全国各地で取り壊しと建築が続いています。はたして、そのことがいいことばかりなのでしょうか。

 ここ古都エスリンゲンの古い木組みの家は、ネオン瞬く(またたく)ような派手さも、あるいはエレベターやエスカレーターみたいな便利な設備もないでしょう。でも、建物一つひつに味や雰囲気があり、人を惹(ひ)きつける魅力もあり、それだけでも立派な観光資源になっていると思いました。

(掲載日:2016年7月18日)
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(旅行メモ)
2015年12月19日(ドイツ時間) エスリンゲン(Esslingen am Necker)観光
10時30分、聖ディオニス教会横のクリスマス市を見学

10時35分、エスリンゲン城へ登る入口、約300段の階段に挑戦
10時45分、エスリンゲン城の中庭を見学
10時50分、エスリンゲン城からの見学、市街地の眺望が抜群
11時05分、中世の服を着た店員さんばかりのクリスマス市見学
11時10分、旧市庁舎前のクリスマス市を歩く
11時15分、ドイツ最古の木組みの家前の通りとクリスマス市
11時25分、ケスラー醸造所前、戦死の記念像などを見学
11時35分、橋の上でアコーディオン演奏
11時40分、バーンホーフ通りのカールシュタットデパートに入る、トイレ
11時55分、エスリンゲン駅前広場で撮影
12時05分、エスリンゲン駅を出発、途中乗り換え
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