高木さんのイタリア遊学記
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フィレンツェのバス
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日本と比べて少し長く、地下鉄がない分2輌編成も多い。朝は6時から夜は12時まで運行されており、いつも遅くまで混雑している。オレンジ色の車体が特徴で、お世辞にもきれいとは云えず、外観はうす汚れ、窓ガラスは透明の輝きもない。 しかし、実際はすごい。天然ガスや電気による最新のエコロジー車もわずかだが走っている。当局の地球環境に対する姿勢を感じ、赤字経営ながら大切なことを見失わない姿には共感を覚える。 さらに、車内はヒューマン的な配慮が随所に見られ車床は低く、出入口は前後に各1ヶ所、そして、中央に広く1ヶ所と計3ヵ所ある。だから、乗り降りが容易だ。そして、必ず乳母車用の広いスペースが中央に設置されており、若いお母さん達には大変喜ばれている。 運賃 どこまでも行っても1ユーロ(約150円)。ただし、1時間の制限がある。その時間内であれば各路線の乗り換えはもちろん、足の向くまま、気の向くままの自由勝手の乗り放題。したがって、近い所であれば1枚の切符で往復も充分可能となる。利用者にとってはわかりやすく、便利このうえない。 他に3時間券、24時間券、回数券、数日券、定期券(1ヶ月、1年間)とたくさんの種類があり、形は全て同じ大きさになっている。私は定期券(1ヶ月31ユーロ約4,600円)を使用していたので最初の乗車時だけ刻印すればあとは何の制限もなく自由だった。だから殆んどの路線は見聞を兼ね、終点まで乗り回ったのを覚えている。 さらに主要な通りを覚えるためフィレンツェの中心地ドーモ、ウッフィツィ美術館辺りを小型の電気バスで何回も何回も乗り降りを繰り返した。おかげで道に迷うこともなくなり、行こうとしている目的地までのおよその時間と近道がわかるようになった。
電光掲示板、広告宣伝のポスター類もない。もちろん車内放送も一切ないので下車する時など注意が必要だ。よく降りる停留所がわからなくて隣の人達に聞いたものだ。100%親切に教えてくれる。 夏の暑い日、冬の寒い日、冷暖房は皆無だった。それに遮光カーテンも付いていなかったので眩しいことも度々経験。夏は強い陽射しを避けるため、よく前後左右に移動していたことを思い出す。しかし、ほとんどのイタリア人はなぜか気にかけていない様子だった。昼間、日傘を差しているご婦人が全然いないこともこれで理解出来る。 また、冷房をなぜしないのか考えて見た。おそらく、短時間で乗り降りする人達には外気との温度差に違和感を感じ、かえって不快になるのかも知れない。暑い時は窓から入ってくる自然の風を気持ち良く受け、雪の降る寒い時は皮のコートに手袋をすれば済むことなのだから。 運転手 携帯片手に運転。お客と会話しながら運転。ペットボトルの水を飲みながら運転。と日本の管理社会では今や絶対にあり得ないことが自然体で目に入る。さすがイタリアと驚いたが、実におおらかな光景だ。「なかなかやるな!」と何の抵抗もなく感心する。ここには人間の有りのままの姿がある。安全上は少し気になる所だが、人間味に溢れており、計算された機械ではこうはいかない。 ある日、大きなカーブにさしかかった。運転手は携帯片手におしゃべりの真っ最中。携帯を置いて両手でハンドルを握り直すか、このまま片手で運転するか?私は注目した。すると、何もなかったように話の中断どころか、楽しそうに笑いながら、簡単に曲がってしまった。慣れているとは云え、見事な運転さばき。「なるほどうまい」。少しもあわてないあの落ち着きさは一体なんだろう。おそらく彼に限らず多くの運転手に共通することかも知れない。経験に裏打ちされた自信がそうさせるのだろうか?私は危険と隣り合わせの運転に、なぜか少しの不安も感じなかった。 無賃乗車 その気になれば簡単に出来る。だから、結構多いようだ。また、それが大きな赤字の原因にもなっていると聞いている。それでは当局はどのようにしてこの大きな不正に対処しているのだろうか? 私は毎月4~5回ぐらいは検札に遭遇した。いつも突然、3人の検札官が同時にそれぞれ3ヶ所の出入り口から乗り込み、切符の有無を検査する。3人が各出入り口を押さえているので乗客は絶対に逃げられない。持っていない人はもちろん、刻印がない人は違反者となる。「ムルタ」なる反則キップを切られ、後日40ユーロの罰金を支払うことになる。 この時ばかりは乗客の態度もいつもと違い、何かよそよそしくなるようだ。毎回2~3人はいただろうか?検札官を見てあわてて刻印する人やちゃんと刻印機に挿入したのに印字がされていないのは自分のせいではないとか。様々な光景を目撃した。言い訳には身ぶり、手ぶりの大げさなジェスチャーが似合う。検札官も心得たもので違反者には一切の妥協もしない。3人は乗客全員の検札を終えると次なる任務のため急いでバスを後にした。
ホームステイ先からアパートに引越しの時、大いに利用した。定期券を持っていたので本当に便利だった。トランクやバッグそして紙袋でのたび重なる運搬。途中、フィレンツェ駅にさしかかった時、急ブレーキが掛かり、紙袋が破れた。 荷物が乗客の足元に転がっていった。みんなの視線が床に向かい、そして当然のごとく震源らしき私の方に返ってきた。「しまった」急いで拾い集める。すると近くの人がみんな席を立ったりして笑いながら拾ってくれた。あの時は何回「グラチェ(ありがとう)」を云っただろうか?恥ずかしかったけど、本当にうれしかったことを覚えている。 車内の様子 携帯での会話は日常茶飯事でいつも花ざかり。さらに乗客同士のおしゃべりとも重なり、子供達が遠足に行くような賑やかさだ。お陰でイタリア語の勉強にはプラスなったかも。イタリア人は声が大きいし、話も長い。そして、実によくしゃべる。「チャオ」「チャオ」と本当に陽気だ。 ある朝、競技場の停留所で若い女性が乗って来た。彼女は脚が不自由と見えてなかなかうまく先に歩くことが出来ない。すると見かねた乗客が2〜3人手を取り、体を支え、自分の席を譲った。当然のことだが実に自然で微笑ましい雰囲気だった。また、お年寄りが乗ってくる時も近くの若者が必ず進んで席を譲っている。お互いに「プレーゴ」「グラチェ」と声を掛けあい、和やかな雰囲気になる。私はその光景を見る度に、いま日本で失われつつある家族の暖かさを羨ましく感じた。 |
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掲載日:2006年7月5日 |