高木さんのイタリア遊学記 |
知人のフィレンツェ訪問(完)
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サン・ジミニャーノの旅
フィレンツェから郊外へと足を延ばすことにした。バスで1時間ちょっとの美しい中世の塔の町「サン・ジミニャーノ」だ。イタリア人のだれもが「とても可愛くて美しい町よ」と評判が高い。 フィレンツェ(正式名Firenze SMN)駅の正面に「SITA」という大きなバス会社がある。青いカラーの車体がイタリアには珍しく、どのバスもきれいに整備され走っている。信じられない。日本のバスと同じようにきれいだ。また、各都市からも長距離バスが中継地として、ここフィレンツェに停車するので結構利用客も多い。
サンタ・クロチェ教会 昼食
食事を終え、散策を開始した。すると、すぐ上の広場からきれいな音が聞こえてきた。耳を澄ますとハープの音色だ。急いで見に行くと、女性がローマ時代の衣装で演奏している。 実際にハープの楽器を見たのは初めてだった。もちろん生の演奏を聞くことも初めてだ。映画やテレビでは見たことはあったが、まさか、このサン・ジミニャーノで珍しいハーブの演奏に遭遇するとは!忘れられない光景だった。 ジェラート バス停まで冷たい、おいしいジェラートを食べながら帰ることにした。いちばん人気のある店に入った。この店はおいしいのはもちろんだが、たくさんの賞をもらっているので有名だ。店内の壁には、いろいろな賞状や新聞の切り抜きなどが飾ってある。ここまで宣伝するのはイタリアでは珍しい。そして、店内も足の踏み場もない程、観光客で混雑している。 私達はやっとのことで中まで入り、注文することが出来た。メニューも多いし、どれも色鮮やかでおいしそうだ。深江さんのお嬢さんも選ぶのにかなり迷っている。店の人は年配の女性が多く、笑顔を欠かさず、優しい応対ぶりは日本の女性のようだ。本当に気持ちいい。 以前、ローマのジェラート屋でバニラを買った時のことを思い出した。店の人(若い女性)は私の発音を聞いて「バーニーラと伸ばさなければわからないわ」と言って、しばらくはジェラートを売ってくれなかった。バニラと言うだけで、伸ばそうが、伸ばすまいが、すぐわかりそうなものなのだが?まったく!どちらが客かわからない。 え〜い、控え〜とあの印籠を出したかった気持ちだ。あの女性は本当に発音に熱心だった。イタリア語の厳しさを日本人の私に教えてくれたのか?また、ローマに行く機会があったらあのジェラート屋をぜひ、のぞいて見たいと思っている。
ドォーモからウッフィツィ美術館の方向に歩いて5分。右手にレプッブリカ(共和国)広場が見えてくる。とても広いのでいつ来ても大勢の観光客で賑わっている。いろいろな催しや、民族色豊かな大道芸人達が、一流の芸を見せてくれる。 まわりにはホテルのカフェテラスやデパート、そして、高級ブティックがあり、観光客も必ず立ち寄る場所だ。奥の方には映画館や銀行、郵便局、専門店と並ぶのが見え、中世当時そのままの美しい柱廊が正面を何10mも飾っている。エジソン書店はこの柱廊のちょうど中央にある。 店内 エジソン書店は3階建で鉄骨のらせん階段が上までつづき、店内は吹き抜けになっている。2階は軽食も出来るようになっており、厨房はもちろんカウンターやテーブル、イスも設置されている。間仕切りもなく、オープンなのが今の時代に合っていて、おもしろい。コーヒーを飲みながら本を読んだり、軽食を取りながら本をめくったりと、初めて見るこの光景に驚いてしまった。 新品の本をこんな風にして読まれると汚されたり、傷つけられたりとこちらの方が余計な心配をしてしまう。フィレンツェには他にもドォーモの裏通りとフィレンツェ駅の手前に2店舗ある。いずれもどこにでもある普通の日本の書店と変わらない。だからこのエジソン書店の店内は本当に珍しい。すばらしい、進んだ接客対応だ。 また、閉店時間も大変遅く、いつだったか一月の寒い日、夜の11時過ぎに入っても店内はまだ、賑わっていた事を覚えている。そして、ここフィレンツェではバスは12時まで動いているし、人通りも多い。日本では考えられないことだ。 ドォーモ 朝から一番に花の都フィレンツェの象徴「ドォーモ(フィレンツェ大聖堂)」に向かう。ホテルを出てから10分も歩かない内に、いま行こうとしている大聖堂の巨大なクーポラ(円蓋)が見えてきた。だんだんと迫ってくる。そして、あっと言う間に全員が大聖堂に到着した。 間近に立って見上げると本当に大きい。圧倒される。完成したばかりの当時の大聖堂はさぞ、ため息が出るほど光輝き、美しかったに違いない。白と緑の大理石、そして、れんが色の瓦が青い空によく似合っている。 難工事 大聖堂「ドォーモ」は1,434年完成する。高さ90m、クーポラの直径40m。随所に500年の歴史が感じられ、格調高く、優雅な姿を見せてくれる。着工から140年の歳月を費やし、特にクーポラの工事は相当困難を極めたようだ。当時、不可能と言われながら、ブルネッレスキーは見事に二重の壁をつくり、難題を克服している。 朝が早かったせいか、入口付近には観光客が見当たらない。早起きは三文の徳と言われるが、私達はおかげで並ぶことはなく、すぐに入ることが出来た。入場料は6ユーロ(約900円)。すぐ左側に頂上までつづく暗い階段が見えてきた。
クーポラの展望台まで460段ちょっと。エレベーターがないので約20分ぐらいはひたすら、自分の足で階段を上らなければならない。普段から足腰に自信がある深江さんでも多分、息が切れるだろう。理由ははっきりしている。もう、20代の子供さんのようにはいかない。いつまでも若くはないのだから。 500年前の階段は暗く、狭く、所々に丸い小さな明かりとりの窓(もちろんガラスは入ってない)がある。上り、下りは途中まで一緒になっており、すれ違うのもけっこう厳しい。けあげ(一段の高さ)も25センチはあるので、だんだん足の筋肉が疲れてくる。元気いっぱいの20代の息子さんや健康なスマイルのお嬢さんもペースが落ちてきているようだ。お父さんはかなり遅れているのか見えない。 天井画 中間地点辺りで、若いイタリア人男性らしき係員が見えてきた。観光客を誘導しているようだ。私達も案内されるままに、内部の通路に足を踏み入れて驚いた。有名な「最後の審判」をはじめ、当時の華麗なフレスコ画が天井いっぱいに広がっていた。 通路はドームに沿って円形に設置されており、ゆっくりと天井画(宗教画)を見学しながら進むようになっている。ドーム全体に展開されるこの大天井画を見ていると、いつの間にか疲れも忘れ、その美しい色彩の豊かさに目は輝き、ただ、ただ、感動するだけだった。 さらに正面には、直径4mはあろうかと思うぐらいの美しいステンドグラスから、色とりどりの光線が何本も、何本も一直線に射している。何とも感動的で忘れられない芸術を感じた瞬間だった。
元気を取り戻した私達はふり返ることもなく、展望台をめざした。暗い階段から鉄製のハシゴ(数段)を一気に這い上がり、とうとうクーポラの頂上に立った。ここはフィレンツェ市内を眼下に見渡せる最高の場所だ。この日も快晴の青い空。澄みきっているのでどこまでも景色が見える。 長い川が流れている。母なるアルノ川だ。水辺で日光浴をしたり、散策するにはこれ以上の場所はない。また、風のない日はよく川岸でカヌーの練習を見かける。コンクリートの護岸工事をしていないので、水際はたくさんの草が生い茂り、自然がいっぱいだ。 フィレンツェは文化遺産の歴史地区だけあって、中世の絵画の風景がそのまま残っている。なんとも絵になる町だ。その対岸の丘には観光客が必ず見学するミケランジェロ広場が見える。 手前にはウッフィツィ美術館、シニョリーア広場、左側には白い大きなサンタクロチェ教会が見える。右側にはサンタ・マリア・ノヴェラ教会、フィレンツェ中央駅、ロレンツォ教会、あの緑の屋根は中央市場だ。世界遺産の中世の街並みがほとんど肉眼で確認できる。
おみやげ 元同僚の深江さんはたくさんのお土産を持って来てくれた。久しぶりに見る長崎の名産品ばかりだ。はるばる日本から本当に有難い。それから、北島部長と守屋さんからも預かっていた。ひとり異国で暮らしている時ほど、人の情けは身にしみて有難いもの。 頂いたお土産を手にした時、嬉しさに胸が熱くなってしまった。そして、思った。「このたくさんの日本のお土産は学校に持って行って世界各国の生徒達に食べてもらおう」と。 北島部長は直接の上司であり、大先輩だった。気さくな人柄は部下からも慕われ、人気があった。仕事も速く、決断も速かったので、のんびり屋の私はいつも足を引っ張って、何ひとつ役には立っていなかったような気がする。だから、ぜひ、このフィレンツェを案内したかった。もちろん奥さんと二人で来てほしかった。 1週間もあれば、ローマ、ナポリ、ミラノ、ベネチアは絶対行けただろう。そして、さらに10日もあればパリ、ミュンヘン、ウィーン、ザルツブルグ、ローザンヌ、モナコ、までは確実に案内できると思っていた。 ところで、風の便りによると強風にも強く、あの美しく艶があった黒髪は今では全く勢いがなく、かわいそうなくらいだと聞く。思うに、私との出会いによって心身共に疲れ果て、今頃、当時のストレスが出てきたのかも知れない。 守屋さんは私より2つ年上の才媛だ。若き20代の頃は同年代の男性職員から憧憬の眼差しで、また、上司からは可愛いがられ、職場の花だった。色が白く、良家の育ちをよく感じていた。頭の回転も速かったので、男性だったらかなり出世しただろうと思う。 九十九島せんぺい 深江さんから頂いた「九十九島せんぺい」は見てのとおり、だれにでも分かりやすく、みんなすぐに口に入れて食べ出した。全然説明は要らなかった。みんな「ボーノ」「ボーノ」(おいしい)と連発している。特に女性は何枚も食べながら、さかんにVサインを私の方へ送っている。私も嬉しくなって笑顔で応える。 一口香 北島部長からは長崎ならではの伝統の味「一口香」だ。このお菓子は多分、説明が要るだろうと思っていた。案の定、イギリス人のアダムが口に入れた途端、「中身が空っぽで何も入っていない」とか、「中身を忘れている」とか、「相当古くて中身が解けている」とか、これは「おかしい」と私を見て言っている。 まわりの生徒も「本当だ」とアダムに頷いている。生徒はアメリカ、カナダ、ドイツ、スペイン、ブラジル、スイス、オーストリア、メキシコ、グアテマラ、スウェーデンで女性が多い。みんな私を見て「説明して」と言っている。 この展開は想像していたので、いつものように最低限の短い語彙で話す。私は1つ口に入れ、前歯で割った。そして、みんなに見せた。「このお菓子は日本の長崎で作られている。とても人気があっておいしい。フィレンツェの街は古い。このお菓子も古くからある。中身の茶色は砂糖で、作る時に解けたものだ。だから、ここが一番おいしい」と。 事前にイタリア語を調べていたので大体、みんなに分かってもらったと思っている。健康な歯で噛み砕いて食べたのはいいが、口の中が少し痛かった。すると、みんなも「何〜だ。そう言うことか」と安心したようで、教室はお菓子を食べる音で賑やかになってきた。みんな「ボーノ」「ボーノ」と私を見て微笑んでいた。 海苔 守屋さんからの海苔は一番難しかった。他のお菓子と一緒に並べたが、「これは一体全体なんだろう?」とだれも手にする生徒はいなかった。生徒もそして、先生も全くわからないようだ。この薄い紙のような真っ黒の物体が、食べ物とは分かるはずもないだろう。 東洋では海の食材として作る国があるが、欧州では余り聞いたことがない。見たこともないのだから無理もない。最初に興味を示したのは先生だった。イタリア人の先生(男性で50歳ぐらい)が手に取ってひっくり返したりしている。首をかしげて「さっぱりわからないなあ?」と言う顔をしている。 生徒達も全然わからないので、先生の動作の一部始終を見守っている。これ以上、黙って見ていても仕方がないので説明することにした。この状況は予想していたので冷静に対応が出来た。 机の真ん中に広げている海苔を一枚手に取り、「バサッ〜」とちぎって口の中に入れた。教室は「シ〜ン」と静かになった。先生も生徒も、興味津々で私を見つめている。そして、おいしそうに食べている様子を見て、みんなびっくりしている。 「これは海苔と言って、海で採れます。それを干した物です。体にとても良いし、特に髪に効果があります」。笑顔で話した。私は手を自分の髪にのせて、先生にアピールした。この場合、一番の年配者なので当然ながら、自然と視線が行ってしまう。私の下手なイタリア語が通じたのか、先生は笑いながら一枚の海苔をちぎって食べ出した。 しばらくは天井を見ながら、ゆっくりと味見をしている。だんだんと笑顔に変わり、「ボーノ」「ボーノ」と私に言っている。生徒達もわかったのか、珍しさも手伝って、恐る恐る一枚、二枚、三枚とみんな手に取り出した。最初は不安そうに口に入れていたのが、おいしくなって来たのだろう、しだいにみんなの顔がにこやかになってきた。 「ボーノ」「ボーノ」とスイスのシモネ(女子生徒22歳)はVサインを送って来た。口の中は海苔がついて黒くなっている。おかしいので私は笑った。すると、みんなも笑い出した。教室は授業どころではなくなってしまっている。先生も楽しいのだろう、成り行きにまかせているようだ。 |
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掲載日:2007年8月21日 |