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高木さんのイタリア遊学記
語学学校(前期)
 イタリアの語学学校「レオナルドダビンチ」のフィレンツェ校へ入学した。他にローマ、ミラノ、シエナと主要な都市にあったが、迷うことなく決めた。以前から、芸術に溢れる中世の町「フィレンツェ」に魅力を感じ、もし、機会があればいつかは行きたいと思っていた。 しかし、こうやって現実に観光ではなく、長期にわたり、この町で生活するとは夢にも思わなかった。

  人生はタイミングであり、決断次第でこんなにも人生が大きく変わるとは本当にわからない。 この学校はフィレンツェの象徴である大聖堂「ドォーモ」のすぐ裏通りにあり、ここから歩いても5分はかからない。通りの斜めには中世時代からのS.M.ヌォーヴァ病院が見える。玄関入り口のコリント式の円柱が何百年の歴史を感じさせて格調高い。

ドォーモ前広場
 入学当日
 4月学校へ入学した。当日は朝から世界各国の生徒達が入学手続きのため、廊下、階段まで並んでいた。みんな若い。平均年齢が27歳と聞いていたのでなるほどと納得する。中には40〜50代もチラホラ見かけ、少し心強くなってきた。受付のカウンターで、ちかさんが待っていた。

 彼女は学校でただ1人の日本人の女性職員で広報等を担当している。日本からメールを打つたびに必ず返事があり、その親切、誠実な応対ぶりにいつも感心していた。この学校に決めたのも彼女の影響が大きい。私を見つけると笑顔で出迎えてくれた。本当にうれしい。

 そして、今後のフィレンツェ生活についていろいろと教えてくれた。 クラスの編成前に共和国広場にある学校の事務所に戻ったが、フィレンツェに来て初めて日本語で会話したちかさんとの出会いは、嬉しくて今でもよく覚えている。この日、入学した日本人は私1人だった。周りを見回すと国際色豊かな様々な人種にいる。世界は広いことを実感した。

授業の内容
 朝9時から10時45分まで文法、休憩30分。そして、11時15分から13時まで会話となる。各90分の授業も、人生下り坂の50代の生徒には長くて疲れる。放課後、再度イタリア語のレッスンを受講する生徒も結構いたが、受講料もかかり、費用もかさむので受けなかった。

 学校独自のテキストがあり、それに沿って毎日順序よく進む。必ず宿題が出るので予習と復習が欠かせない。テキストの字は小さく、老眼の私はまず眼が疲れ、頭も疲れ、理解力もなく、何一つ満足出来るものはなかった。 その時は何とか覚えても翌日はきれいに忘れている。本当におめでたいとはこのことだろう。改めて自分の頭脳のレベルの低さを認識することになった。

 クラスはもちろん学校で一番の落ちこぼれの生徒だったと思う。 日本にいる時、ラジオ講座を聞き、イタリア語のしくみを勉強してきたつもりだったが、知らないことばかりで全然わからなかった。これからは日本人の恥にならないように、それだけは心がけて授業に望まなければならない。そのためにはどうしたらいいのだろう?

授業の初日
 初めてのイタリア語の授業。もちろん初級クラスの教室だ。生徒はアイルランド、イギリス、スイス(2人)、コロンビア、ブラジル、メキシコ、ドイツ、オーストリアと東洋人は私1人だった。みんな若い。スイス人は2人とも女性で1人は20代で、もうひとりの女性は50代前後ぐらいかなと思う?

 聞いてみると、学校で英語の先生をしているとのこと。 彼女は1ヶ月の休暇を利用して隣国へ、イタリア語の勉強にきていた。授業を始める前に各自、自己紹介をすることになった。自分の名前、国、学校、職業を当然イタリア語で話さなければならない。事前に練習していたので別に驚きもしない。不思議と冷静だった。 みんな東洋人の私に興味があるのだろう、私の話す様子をじっとみている。

 何回も練習をしていたので、いい感じで自己紹介できたと思う。「まるでイタリア人のようだったよ」と誰も言ってくれなかったが、それほど良かったと思っている。 先生はイタリア人の若い女性で、ギリシャ風と言うか、あのミロのビーナスのようなやさしい顔立ちで、1人1人のみんなの名前をノートに控えている。10分もすると、自己紹介も終わり、何となく雰囲気も和やかになって来た。

(ドォーモが見える)学校の中庭
  知性溢れる先生は早速、テキストを配り、読み出した。そして、今度は「そちらから順番に次の3〜4行ずつを読んでみて」と言っているようだ。自然の喋り方なので速くて、ますます理解出来ない。先生や生徒の仕草で何のことか判断しなければならない。 イタリア語が全然わからないのだから鈍い第6感に頼るしかない。あぁ〜日本人の先生が説明してくれたらなあ〜と思うことしきり!そう思っているうちに私の番がやってきた。

 テキストを見ると、知らない単語ばかりが並んでいる。 こんな場合、もじもじして優柔不断になるのが一番いけない。開き直るしかない。こちらはイタリア語を勉強するために来ているのだから知らないのが当たり前だと思っている。何とかなると思うと気が楽になる。 イタリア語には特徴がある。英語と違ってアルファベットの発音が決まっている。必ず母音で終わっていて、ローマ字で読めるので、意味不明でもリズムさえあれば響きが良い。

 自信はなかったが、適当に抑揚をつけ、強弱をつけて、それなりに読んだつもりだった。 すると、生徒全員が笑い出した。若い女性の先生(イタリア人)も笑っている。どうしてだろう?そして、先生が何か冗談を言ったようだ。また、生徒達が笑い出した。私にはその冗談らしきものが何のことか全然わからなかった。 先生は笑いながら、「ヒロシ、この行はここで終わりだから、下がり調子で読むのよ。そして、ここからはまた、始まるので普通に読んでいくのよ。リズムがとても大事よ」。と表情から手を上げたり、下げたりしている。

 そして、「アンコーラー(もう一度読んで見て)」と言っている。私はさっきより少し大きな声で、さらに強弱を大げさにつけ、読んでみた。意味もわからず、読むほど空しい事はない。1回目も2回目もそんなには変わってはいないと思っていたが、なぜか「OK」となった。 次はアイルランド(隣国イギリスの会社に勤める20代の物静かな女性。2週間の休暇を利用してイタリアへ来ている。名前は忘れてしまった)の生徒に移った。さすがに横文字の国、さらっと流れる抑揚のついた読み方には本当に聞き惚れてしまった。

文法の授業
 日本から参考書を持って来ていた。毎日、学校へテキストと一緒にバック詰め、授業中もよく活用した。お陰で先生が何のことを喋っているのか分からないでも、現在形、近過去形、半過去形、未来形、接続法とかその辺の大まかな文法がわかるようになってきた。テキストに沿って授業は進んでいたのでざっと予習した時はどの辺の文法か、構文か?参考書と照らし合わせてわかってきた時は本当に嬉しかった。

会話の授業
 文法は書かれていることを調べ、語彙が分かれば何とか糸口もつかめる。しかし、会話はそうはいかない。瞬時に知っている単語を頭のなかで組み立て、話さなければならない。勉強の成果が試される時間だ。毎日、10〜20ぐらいの単語を覚えるように心掛けていたが、2〜3日後にはきれいに忘れていた。

 そして、いつのまにか、自然流になっていたので、生活に必要なこと意外の語彙はいっこうに増えていなかった。ある日、授業で「ショペロ(イタリアのストライキ)」がテーマになった。「みんなどう思いますか?」との先生の問いに各自、意見を言わなければならない。 イタリアのストは有名だったので知っていた。

 たくさんの人達が赤旗を持って行進している姿はTVで何度か見ていたので記憶に残っている。イタリアに来て、実際に「ショペロ」に遭遇。その多さに驚いてしまった。月に何回あるだろう? イタリア鉄道、アリタリア航空、路線バス、テレビ、新聞、ホテルと日本では信じられないことばかり。事前に知らないととんでもないことになる。

学校の教室
  フィレンツェのバスも終日こそ少なくなったそうだが、時限ストは結構多かった。スト決行日は前日にバス停へ通告のビラを貼ってまわっているが、破れたり、なくなったりすることもよくあった。 日曜日、バス停で待っていたが、なかなか予定の時刻に来ない。ぼ〜と待っている私の姿を見て、通りがかりのイタリア人男性が「今日はショペロだからバスは来ないよ」と教えてくれた。バス停には何の表示もなかった。

 この時から「ショペロ」の情報には敏感になったのは言うまでもない。 ドイツ、スイス、イギリスの生徒の意見はイタリアのストは多すぎると言っている。しかし、ストには肯定的のように聞こえる。コロンビアの女性はわからないと言っている。

 私の番が来た。頭の中で言うべきことを考えていたが、「この言葉はイタリア語で何て言うのだろう」とわからないことばかりだった。いつもそうだが、主語に対する動詞の変化、形容詞、副詞、前置詞、不定冠詞とか本当に頭が痛くて、ややっこしい。しかし、この場合、とにかく意見を言わなければならないので適当に単語を並べて話した。文法など完全に無視している。

  「ショペロは必要と思います。とても大事なことです。人間は機械ではありません。人間は要求しなければなりません」身振り手ぶりのジェスチャーが少しはわかってくれたのか、先生も生徒も頷いてくれた。 この時、いちばん感じたのは先生や生徒達が一所懸命に私に教えようとしたことだった。いつも笑われていたが、大事な時になるとみんなよく助けてくれた。だから、学校に行くことが楽しく、苦になることはなかった。

試験
 2週間ごとに文法と会話の試験がある。学習したことがどの位理解されているか、最終日に実施される。この日は生徒達も緊張する。会話も記述式になっており、選択したり、○×式ではない。実力が試される筆記試験だ。 試験の前日には遅くまで勉強していたのだが、普段が普段なので効果のほどは急に上がらない。

 文法はイタリア語特有のare,ere,ire動詞の変化形、形容詞、副詞、前置詞、不定冠詞等を勝手に空白の文章に入れていく。 会話の方は10問から12問出題されており、それぞれに回答しなければならない。問題文には知らない単語も多く、先ず回答する前に、問題の意味から理解しなければならなかった。この場合、知っている前後の単語で判断するしかない。いつも自信がなかった。

 「イタリアの国をどう思うか?スポーツは何が好きか?今まで何のスポーツをしていたか?旅行したいとすればどこに行きたいか?その理由は?あなたの国のフェスタ(祭り)はどのようなものか?イタリアの料理はどう思うか?」。初心者の私にそんなことを聞かれてもイタリア語を知らないのだから書きようがなかった。

クラスメイト
  日本語だったら詳しく何行でもかけるのだが。だから、私の答案はいつも間違いだらけの最短の回答ばかりだった。提出は一番最後だし、全く良い所がなかった。あぁ〜出るのはため息ばかり。 先生は必ず、ひとりひとりに丁寧に答案は添削してくれた。間違いの指摘や回答の構成を教えてくれた。口頭ではなく、書いてくれるので、その時はわからなくても後でわかってくる。落ちこぼれの生徒には特に気を使ってくれていたようで、添削の時間も長く、先生の親切な対応に感謝せずにはいられなかった。

休憩時間
 授業の合間に休憩が30分間あった。クラスメートに誘われ、よくカフェ(イタリアではバールと呼ばれている)に行ったことをよく覚えている。学校の2つ隣にあり、近くでもあったのでいつも生徒達で混雑していた。注文するのも並ぶ程の人気で、確かに安くて美味しかった。

 エスプレッソが0.8ユーロ、カプチーノが1ユーロ。あの小さなコーヒーカップに砂糖をたっぷりと入れている。「そんなに砂糖をいれて、この人おかしいんじゃない?」と思って友人に尋ねると彼いわく、エスプレッソはあれ位入れないとコーヒーはおいしくないとのこと。

 また、カプチーノは溢れんばかりクリームの上にココアをふりかけている。こうすることによって、味に深みが出るらしい。私も後で真似して飲んでみたが「なるほど、こんな味になるのかと本場ならではの味あい方を体験した。

TIMの代理店
 イタリア最大の電話会社「TIM」の代理店が近くにあった。この店でモトローラ製の携帯を160(160×150円=24,000円)ユーロで購入、さらにインターネットも契約していた。平日は夜6時から翌朝8時まで、土日祭日は終日使い放題で料金は25ユーロ。携帯をパソコンへつなぎ、日本へのメールによく使用した。 毎月1回は契約更新のため店へ行っていた。

 また、時々携帯もおかしくなり、よく直してもらった。こちらの携帯は毎月の基本料金は全くかからない。小さなチップを挿入するようになっていて、その容量がなくなるまで使える。 最初に50ユーロのチップを購入していたので何ヶ月も使えた。しかし、日本へ電話する時は携帯は絶対使わなかった。見る見るうちに残りの容量がなくなっていったからだ。だから、国際電話は格安のインターネットカフェで掛けていた。

地図
 書店にヨーロッパの地図を探すため、よく往復した。価額は大体7〜8ユーロぐらい。日本より少し高いかなと思う。クラスメートには圧倒的に欧州の生徒達が多かった。授業の前にその地図を広げると必ず笑顔で「自分の家はココ」と指さして教えてくれた。 私が覚えたてのイタリア語で「名前とメールを書いてよ」と言うと全員が「0K」と気持ち良く応じてくれた。

  それからは親しさも増し、よく話し掛けられたりしたが、英語もイタリア語も出来ない私は、会話が続かなかった。お互いに相手のことをもっと知りたいと思うのに残念だった。 生徒にはブラジル、メキシコ、グアテマラ、コロンビア、アメリカ人もいたので「アメリカ方面の地図はない?」とよく聞かれた。南、北アメリカと一体になっており、かなり縮尺が小さくなり、住んでいる町など全然わからなかった。やはり、その国の地図を購入しないとだめだった。アメリカは無視し、生徒が多いメキシコの地図を買った。

学校の掲示板(左側に掲示板)
課外授業の映画
 2階の廊下には毎月、学校主催の行事が掲示されていた。小旅行、ワイン農場見学、野外オペラ見学、映画、夕食会、ダンスパーティー、教会、美術館めぐりと盛りだくさんのプログラムだ。特に映画は人気があった。 無料だったせいか放課後の講堂での上映会は毎回賑わっていた。必ずイタリア映画だけに限っていて、世界各国から来ている生徒達のためにイタリア語の字幕が付いていた。

 私は会話も字幕も理解出来なかった。強いて言えばその人物の表情から喜怒哀楽が何とかわかるぐらいだろうか? 会話もわからず観ていたのだから、全くどうしようもない。映画の意図は勝手に考え、背景は自由に想像していた。その辺の視点から考えると感受性と、想像力がかなり要求されるように感じる。時々、わずかに記憶に残っていた勉強したばかりの語彙が瞬間的に通り過ぎることがよくあった。

 あの時、その場面を瞬時に理解することが出来たなら、また、イタリア映画の魅力もさらに増していたかも知れない。欧州の映画には人間の奥に潜められたそれぞれの立場の深い思いや、言葉では表現出来ない、ただ見つめ、何かを訴えている鋭い静かな場面が数多く出て来る。 その時、映画の醍醐味をいちばん感じる。あの銀幕の感動はテレビにはない。

 ハッピイエンドの結末も楽しいが、その逆も人間の普遍的なものを感じ、子供から大人に成長する大事な時期に必要なのかも知れない。学校で上映されたイタリア映画は地味だったが、いつまでも記憶に残っている。
掲載日:2007年10月10日

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