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マリリン・モンローのお墓へ (2008年11月23日、アメリカ、太平洋標準時)
 UCLAのキャンパス見学を終えて、次はマリリン・モンローの眠るお墓に行こうと言うことで車は、もと来たウィルシャー大通りを再度走りました。その前に運転手さんから「UCLAの次はモンローの墓に行きましょうか? そう遠くはないですよ」と話を聞き、すかさず義兄が「そうやったら、日本からお線香でも持ってくればよかったかなあ」、「でも、モンローにお線香はないでしょう」などの話があった後に、どんな所にあるのかなあと考えていました。

ウエストウッド・メモリアルパーク
(最初、芝生の公園みたいに思えた)

マリリン・モンローのお墓
(奥の壁、左から2列目の下から2番目)

マリリン・モンローのお墓
MARILYN MONROE 1926 - 1962
(常に新鮮な花がたむけてあると言う)

ウエストウッド・メモリアルパーク内の
マリリン・モンローのお墓

 ウィルシャー大通りを走行していた車は、右折して進むとビルの谷間みたいな通りに入ってきました。私は「えー、こんな大都市の、しかもビルの間みたいな所に墓なんかあるのかなあ」と思っていました。運転手さんのお話によると、どうもこの進入コースは通常より違って裏口から入るような感じだったみたいです。

 入口近くの生垣の壁みたいなところに茶色の御影石に白文字で「Westwood Village Memorial Park And Mortuary」と書かれた看板が見えました。ここは普通の呼称ではウエストウッド・メモリアルパーク(Westwood Village Memorial Park)と言う墓所でした。

 そして看板から直ぐに緑一面広がる、まるで全体が芝生の庭みたいな所が見えてきました。私は、日本ならどこにでもある町墓とか「・・・霊園」のイメージと全然違っていたので、当初ここが墓のある場所と思えませんでした。ざっと見た広さは500坪より大きな感じでした。

 当然一基づつ詳しくは見ていないのですが、墓碑が日本みたいに立っていなくて一部を除き寝ているような状態でした。横から見たら墓碑が一面の芝生に隠れてしまい、芝生だけの公園のようにも思えました。車は、外周をほぼ一周して奥の位置で止まりました。

 車道の横に屋根のある、たとえの表現が良くないのですが、まるで大きな引き出し式の書庫みたいに上下左右に並んでいる墓がありました。(右写真の上から2番目が分かりやすいと思われます) 見学した全員が口々に「えっ、こんな感じの墓もあるのか?」とか「想像していたより小さいんだなあ」などの声が出ていました。

 マリリン・モンローのお墓(右写真の上から3番目)は、直ぐに分かりました。まわり白い壁なのに、そこだけファンの方の口紅や手垢で汚れてしまったのか、変色していました。奥の壁に向かって左から2列目の下から2番目でした。そこには浮かび上がるような金の縁取りのプレートに同様の金文字で「MARILYN MONROE 1926 - 1962」とありました。36歳で亡くなられていたのでした。

 1962年と言えば私が幼稚園に行く前の頃ですから、何か記憶があったとしても、それは死後に出版された書籍類を見てからだったと思います。その当時も今見ても、彼女の写真はいずれもなんか憎めない可愛い感じばかりです。これ以上、ご本人のことを良く知らない私が色々と書くよりはホームページに名前検索をかけると、それこそ数百万ページほど表示されるほどの方ですので、そちらをご覧願いたいと思います。

 あと、運転手さんのお話によると(右写真にも写っていますが)「熱心なファンの方がいらっしゃって、ほぼ毎日のように綺麗で新鮮な花がたむけられて切れたことがない」と言うことでした。2008年11月現在で死後46年間ずっと変わりなくそのようです。

 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」と言う名言もあります。マリリン・モンローの場合は、その生前の名声に比較して幸せなことばかりではなかったようですが、今なおこうやって世界中の方々に慕われ続けられる姿を見ますと改めて凄い人だったのだなあと敬服致しました。

 かわるがわるお参りして、次は、このページ1番上の写真と同じような感じで霊園全体を見たり写真を撮ったりしました。この時、一人だけ年配の方が、お墓の手入れされていました。ここは先ほども書きましたが、日本のように立っている墓碑はあまりなかったと思いますが、ところどころに花の植えられている植木鉢や何本かうっそうと繁った樹木が目立つ程度で全体が芝生ばかりでした。

 帰国後、サイトで調べたところ、このウエストウッド・メモリアルパークにはマリリン・モンローだけでなく、私でも知っているような俳優のジェームズ・コバーン、バート・ランカスター、あるいは歌手のディーン・マーティン、ペギー・リーなどそうそうたる方が何十人も眠っておられるようでした。

 余談になりますが、ジェームズ・コバーンと言えば映画「荒野の七人」でナイフ投げの名人役は忘れられないです。あと、「ジャニー・ギター」と言う曲は、最初私はエレキバンドのザ:スプートニクスの演奏で耳に馴染んだのですが、改めてペギー・リーの歌声で聴くと、しっとりと哀調を帯びた切なくなるものでした。

 都会の喧騒から想像もつかないような、ビルの横にある霊園で、しかも思いがけない見学でしたので少しの驚きも感じつつ、次のダウンタウンに向かうため再度、ウィルシャー大通りに出ました。
 
(掲載日:2009年5月5日)
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(旅行メモ)
10時20分、車はUCLAを出てウィルシャー大通りを走行
        ウエストウッド・メモリアルパーク内のマリリン・モンローのお墓を見学
10時30分、ダウンタウンに向けて走行
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