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私のカメラ紹介

アサヒペンタックスSP
 名称 アサヒペンタックスSP
  ” ASAHI PENTAX SP(SPOTMATIC)
 所有レンズ 標準:タクマー55mm F1.8
  ”  ” 広角:タクマー28mm F3.5
  ”  ” ズーム:サンズーム70-210mm F4
 主な特徴点 ・TTL絞り込み測光の露出計
・スクリューマウント式レンズ着脱
・長年のベストセラーカメラだった
 購入動機 TTL測光だったため
 購入年 1972年の春頃
 購入価格 標準レンズなど含めて初回4万円。
後で広角レンズ、ズーム、接写リング
など購入したので合計8万円位。
 主な撮影 日常、旅行、集合写真、レーシングカー、
結婚式など、なんでも幅広く
 主な活躍期間 1972年頃〜1985年頃
 私にとって、やはり最初に手にしたカメラは忘れがたいもので、このペンタックスSPは色々な思い出があります。まず、購入についてですが、本来は高校時代に修学旅行(1970年開催の大阪万博など関西中心)時に、京都で仕事していた姉が買ってくれる予定でした。

 京都の旅館に近い四条河原町のカメラ店に行き色々選んだのですが、「どうせ買うなら、このSPがいい」と、私がわがまま言ったため、やや姉の予算不足で次の機会に見送ることになりました。結局、私が高校を卒業して大阪空港の会社に入社し、その祝いに買ってもらったものだと記憶しています。これ以降、あと広角、接写リング、ズームレンズ、三脚、カメラケースなどを順次買い足していきました。

 なぜ、このカメラを購入したかの理由ですが、一言でいえばやはりTTL測光だったからだと思います。今では当然のごとく絞りもシャッタースピードもピント合わせもカメラ自体が自動で出来ます。でも昔のカメラは、絞り値やシャッタースピードまでも人の感に頼るか、あるいは別の光量計で計って決めていました。

 現在でもプロのカメラマンの方は、この光量計を見ながら撮影しておられる方をみかけられると思います。しかし、素人にはカメラ以外に光量計も(値段もそれなりにしていました)持たないといけないし、急ぎの場合でなくても動作もなかなかわずらわしいものでした。それで、たいてい光量計を使わずに「今日は晴れだから絞り値はいくら、シャッタースピードはいくら位だ。曇りだから、いくら位だ」と感で決めていました。そのような値は、フィルム箱の説明書きにも概要記入されていましたので参考にしていました。

 しかし、1960年にアサヒ光学(アサヒペンタックス)が、カメラ内蔵式のTTL(Through the Lens)測光を発表すると、世界中の注目を集めました。その代表選手のカメラが、このアサヒペンタックスSPで爆発的に大ヒットとなり売れにうれていたと思います。私もそのことは当時高校生ながら知っていました。

 あと、後日談ですが、あまりにもこのSPが売れ過ぎたため、ペンタックスはレンズ着脱のクイックマウント式にするのにタイミングがずれてスクリューマウント式(ねじ込み式)をずっとその後しばらく続けていました。そのことの言い訳みたいにして「スクリューマウント式がレンズのがたつきがクイック式に比べ少ない」などと宣伝チラシに書いてあったことも今は懐かしく思い出します。そのことは事実だったかもしれませんが、その後別のカメラでは、クイックマウント式に変わったため従来のレンズが使えず、結果レンズの継承ができなくなり残念なことでもありました。

1973年鈴鹿サーキット場
 私は、このペンタックスSPを本当に良く使いました。何をするにもどこに行くにも、持ち歩いていたと思います。その中でも、鈴鹿サーキット場に先輩たちとレーシングの写真を撮りに行ったのを良く覚えています。

 この時、私は先輩たちに”流し撮り”と言う撮影方を教えてもらいました。(これは、車など動く被写体を追いかけて撮る技法で、動く被写体にピントを合わせる関係上、周辺部はボケて中心部だけがくっきり見えます。ただし、うまく撮れたらの話ですが。当然、私はうまくいきませんでした)

 早速、F2レーシングマシーン(2000cc以下)を金網越しに200ミリのズームレンズで合わせて撮ったのですが、マシーンの速いことはやいこと。うまく撮れなかったらフィルムがもったいないとの思いもあるので、シャッターを思うように押せないほどでした。また、フィルム巻き上げも手動ですから、そんな速くできませんでした。それでも、その日は何とかフィルム3本ほど撮りました。

 大阪に帰りプリントしたのを見ると案の定、ピント外れか、たとえ合っていても車の頭だけとか、まともに中心部に写っているのは少なかったです。しかし、枚数多く撮るとまぐれで後部が切れてもマアマアのものもあり、同行者たちと「この写真は本の表紙に出来るなあ」などと冗談言い合ったものでした。

 今なら、まるで電子制御のロボットみたいな、はたまた1秒間に自動で何枚も撮れる速射砲みたいなカメラも普通にありますから、もう少しいいのが撮れるかもしれませんが、当時は皆で色々と工夫していたと思います。その後も鈴鹿サーキットには行きましたので、失敗には全然懲りていなかったと思います。

 さらに失敗談は続きますが、日本海に同僚たちと夏になれば海水浴に行っていました。よせばいいのに海岸までこのカメラを持って行き、その後しばらくしてからシャッターが切れなくなりました。その時は原因が自分では分からなかったのですが、直ぐに修理から上がって来たため、その時始めて「あー、潮風にあたったためか」と思いました。

 このようにたとえ故障しても、この当時のカメラは今でも修理できる方がまわりにいらっしゃるようです。しかし、今いまのデジタルカメラは、まずプリント基板とかの電子部品関係ならメーカーに出さないと不可能だと思います。

 まとめにかえて、当時のカメラは人の意思の伝わる写真機だったと思います。それは、うまくいったらいったなりに、下手はへたなりに伝わっていたと思っています。ですから、「次はこうやってみよう」とか「あの場面では、シャッタースピードは変えてみよう」とか色々考えたものです。いずれまた、このアサヒペンタックスSPは、モノクロフィルム撮影に使ってみようかなあと思っています。

(掲載日:2006年3月13日)

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