今後開催予定の写真展(2007年10月1日現在)
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『Discouragement』 〜ホームレスの友人〜
『ナショナル ジオグラフィック国際写真コンテスト2007 優秀賞』受賞
日時:2007年10月1日(月曜日)〜15日(月曜日)
場所:ハートブレイク (大村市森園町1589-1 TEL:0957-54-3906)
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“DISCOURAGEMENT” 〜 ホームレスの友人
「なにもかもが嫌になった」12月の空の下、Mさん(36)は背中を丸めながら解雇された当時の心境をそう語った。「長崎はあったかかよ。むかし埼玉におったけん、こんくらい寒うなか」。市街に近い大型公園を中心に路上で生活している。Mさんは家庭の事情でアルバイトをしながら高校へ通っていた。だが長くは続かず中退、派遣会社を経由し埼玉の自動車部品工場に就職した。
時代はバブル景気で派遣社員から正社員へ登用された。’97年27歳、景気は下降、10年勤めリストラされた。僅かな退職金を手にし関東付近を日雇い労働。故郷の長崎に戻ったのはその1年後。実家には帰らず長崎県の西に浮かぶ池島に住み込みで炭鉱マンとして就職した。安価な輸入炭におされ国内の石炭産業は衰退、池島炭鉱も閉山に追い込まれた。
下請けを含む従業員は解雇となりMさんも例外ではなかった。再就職から1年に満たなかった。 「なにもかもが嫌になった」それから6年、路上生活を続ける・・・
ここ数年、長崎でもホームレスの人々を目にするようになりました。 他人事ではない気がしてなりませんでした。
一緒に昼寝をして、サラリーマンが帰宅するころ街へ自動販売機の釣銭を探し歩きました。 浜町アーケードの庄屋で僕はとんかつを彼はかつ鍋を喰いました。「もう胃のビビッとっばい」と 顔をしかめ、それをひと切れ残しました。
若者のあいさつを交わす騒がしさで新年を迎えたことを知りました。・・・この日は150円とタバコ4本。 いつものお礼にとホットのジョージアを差し出してくれました。 ぞっとする寒さもすぎたころ、彼はどこかへ行きました。
撮影:ライカにて2006年12月20日〜2007年2月中頃 福田雅宏
(掲載日:2007年9月27日)
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既に実施済みの2005年度写真展(2006年1月23日現在)
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・長崎県国際交流協会 アルカス佐世保 2006年1月16日〜1月22日 |
・長崎ピースミュージアム 12月13日〜12月25日 |
・ハートブレイク 11月23日〜12月5日 大村市森園町1589-1 0957-54-3906 |
・大村工業高校 工業祭 11月5日、6日 |
・長崎県国際交流協会 交流フロア 9月3日〜9日 |
・長崎県国際交流協会 大村市コミュニティセンター 9月17日〜24日
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バラータ難民キャンプの子どもたち 〜私の中東・パレスチナ 写真展の開催にあたり
この写真展は 2005年5月、6月にパレスチナ自治区 ナブルス・バラータ難民キャンプで生活する子どものポートレート写真と2003年10月から2004年1月にナブルス内で撮影した写真を展示しています。
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写真展案内ハガキ(注:上記写真は葉書の縮小サイズです)
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エルサレムから北へ約60キロのところに位置するバラータ難民キャンプは255000u(約500m×500m)の面積に2万2045人(2005年6月現在)の人々が隣接して住居を設け暮らしています。
また過激派のアジトとされ自爆攻撃の大半がここで計画されているのも事実で、常にイスラエル軍の標的となり一般市民の多くも犠牲となっています。
そのような環境で育った子ども達は笑顔を見せてはくれるものの、私たちには理解のできない心の苦しみを背負っているのではないでしょうか。
しかし、紛争地を歩いてみて私が感じることは人々の「生きる」の意識です。イスラエルとの衝突で不安定な経済にあって貧しい生活を送りながらも、家族の絆は絶えず 住民同士は助け合い、毎日を必死に生きています。
そこには「豊かさ」さえ感じることもできます。
ここ数年、長崎県内において児童による重犯罪や自殺が頻発しています。豊かと言われる日本にありながら、なぜ子ども達はそのような行動をおこさなければならないのでしょうか。
そもそも「豊か」とは何なのでしょうか。私たちはその意義を探求し大人はどうあるべきかを思考しなければなりません。
いつの時代も大人社会の犠牲になるのは子ども達ですから。
パレスチナの子どもにカメラを向けて写真にすることは容易です。正面から向かい合うことのできる人懐っこいパレスチナの子ども達は真に生きてくれています。
最後に、主催していただいた 長崎県国際交流協会 様、協会スタッフの本田志保さんいつも支援してくれる多くの友人に感謝します。 (文責:福田雅宏さん)
(掲載日:2005年10月10日)