福田さんの写真館
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(注釈:この『平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ』の元原稿は、大村市文化協会の要請により福田さんが2004年秋に作成された文章で、協会の本は2005年4月に発行されました。元原稿は全文続きの文章ですが、今回ホームページ用に「その1」、「その2」、「その3」のようにページを区切って構成し直して、掲載しています)
平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ 写真クラブ・リヒトビルト 福田雅宏 コンパクトカメラを落下させてショックを隠しきれない僕に、パレスチナの彼は「アッラーのおぼしめしだ」と笑って肩をたたいた。 渡航のために新品で購入したカメラは日本を離れてから、半月で「神のおぼしめし」でお釈迦になった。 パレスチナ人男性はみな友好的でカメラをさげた僕に「フェア・ユー・フローム、ファッチャ・ネーム」と寄ってくる。それぞれ答えると、次にはおおかた「お前の宗教は何だ」と聞いてくるのである。 イスラム教については渡航のために、それなりに学習したつもりだが、仏教の知識が無に等しい僕には誤算だった。 「イスラム」「ユダヤ」「コーラン」「原理主義」「自爆テロ」「ラマダン」、最近では耳にする言葉だがそれでも日本人には馴染みが薄い。イスラエル・パレスチナ問題は、一九四八年五月それまで離散していたユダヤ人がパレスチナの地に国連の承認のもとイスラエルを建国した。これに反対する周辺アラブ諸国と幾度の戦争で勝利したイスラエルは領土を拡げ、パレスチナの地に居た多くのアラブ人は難民となり周辺アラブへ離散していった。 一九九三年九月にイスラエルの当時ラビン首相とアラファトPLO議長がパレスチナ暫定自治区合意(オスロ合意)により平和の一途をたどるかと思われたが、ラビン首相がユダヤの原理主義者に暗殺されたことや、イスラエル国を認めないイスラム原理主義組織による自爆攻撃で闘争を繰り返し、対するイスラエルは強力な軍事力でパレスチナへ侵攻報復が連鎖し和平の道を困難にしている。 「戦場を見たい」「宗教とは…」そんな好奇心や疑問がイスラエル・パレスチナ行きを決めた理由だ。なぜ人間が命を懸けてまで戦うのか、戦場に立つ兵士が何を想い照準を合わせるのか。現代の日本人には想像し得ない感覚や戦う兵士の心境に迫りたいと二〇〇三年一〇月一七日大村を出発した。 |