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福田さんの写真館

平和な日本で夢をみる〜私の中東・パレスチナ (その2)
食事中
ラマダンにあう
 ラマダンとはイスラム暦で第九月の一ヶ月間、太陽が昇っている間、飲食、喫煙、性交、自慰が禁止されるイスラム教徒の義務化された行為である。僕は二〇〇三年の一〇月二七日から約一ヶ月間、イスラム教徒と同じようにラマダンを決行した。はずだった。

 ラマダン期間中にパレスチナの数都市、イラクの数都市、イラク北部のクルド人自治区、ヨルダンのアンマンを回ったが、同じイスラム教徒でもラマダンに対する考え方の違いがあるようだった。

 ヨルダンのアンマンからイラク・バグダッドへ向かうオンボロ日産ディーゼルバス中での出来事。西日が眩しいヨルダン時間午後四時ちょうど。

 乗客の一部がビニール袋をガサガサやり出したので覗いてみると、あらら喰っているのである。イスラム教徒であるはずの彼らがアラビアパンに果物を喰っているのである。

 腹が減って気が狂ったかイスラムを捨てたかなどと思いをめぐらせ、訊いてよいものかと恐る恐る訊ねると、答えは単純だった。イラクは午後五時で既に日が落ちているという。

 イラク人の彼らはイラク時間でラマダンしていたのであった。当然、僕もイラク時間に従った。一時間後、ヨルダン人の集団は猛然と喰いはじめた。

 パレスチナの軒先には必ず余分な椅子が並んでいる。話好きの彼らは、暇があれば相手を見つけて世間話を楽しむためである。安静である街の光景だ。

 ふらり歩いていると、いつものように声をかけられてシャイ(紅茶)を勧められる。ラマダン中だからと気を遣い断ると「お前はムスリム(イスラム教徒)か」と言う。「仏教だ」と返す。そのまま家中に入りご馳走にありつける訳だが、イスラムの彼らもまた飲みはじめるのである。「ラマダンはいいのか」と訊くと、「家の中だから大丈夫」、続けて「天(アッラー)からは見えていない」とのこと。愕然とした。

 確かに家の中だから天(空)は見えてはいない。しかし神(アッラー)とはそういうものか、神はすべてがお見通しではないのか。イスラム教徒の名誉のために書き加えると、公然の場では絶対に物を口にしないし敬虔なイスラム教徒は唾でさえ飲み込まないとも聞く。ペットボトルを持って外を歩くだけでも隠すよう注意されることも多々あった。

そもそもラマダンは、飢えの苦しみを分かち合い、貧困に苦しむ人々を思うことを目的としている。

(掲載日:2005年10月23日、文責:福田雅宏さん)


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