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福田さんの写真館

福田さんの写真展バラータ難民キャンプの子どもたち 〜私の中東・パレスチナに寄せられた感想文集
このページは、アルカス佐世保で開催された写真展(2006年1月16日〜1月22日)時、皆様に書いて頂いた感想です。
感 想 文
イニシャル
この写真を見て、改めて、戦争のこわさを知りました。じゅうでたおれたりする写真を見て、心ぞうがぞくっとなったようなきがしました。改めて実感できてよかったです。

4年生

子供達の瞳は澄んでいて潤んでいるのに世界は何故平和にならないのか・・・ 胸が痛んで言葉になりません。

K.K

戦争は絶対に起こしてはならない!多くの人々がいつも思っていることです。戦争の結果苦しむのは一般人特に老人、子供達。今年戦後60年!ここ佐世保でもS20.6.28の未明大空襲がありました。その頃を想い出します。当時9才でした。・・・しかしいつの世でも子供達は明るく元気です。この写真でも美しい瞳に心が打たれます。各々の国々が自国の欲をなくし手をたずさえて、1日も早い平和の訪れを願うのみ・・・・

C.I

子供の笑顔は国籍関係なく澄んですてきです。私が本来忘れている希望があります。世界が平和でありますよう心から願います。

T.T

「豊かさ」とは何か。今の日本は何でしょうか。物にあふれ、食べ物にあふれ、不自由のない生活を誰もがしています。 「生きる」とは何か。平和が当たり前となり、今日この日今の瞬間、生きていて当たり前で「生きる」なんて意識しないかもしれません。

 大きなパネルで車が燃えている前で笑顔でいるパレスチナの子供の姿にショックを受けました。きっと彼らの生活の中には「当たり前」のものとしてなっているのではないでしょうか。車が燃えている周囲に人も集まっておらず、いちいち騒ぐ事ではないのでしょう。彼らは一体何を欲しているのかと写真を見ながら感じました。

 「あれがほしい」「これがほしい」という欲を写真からは感じられなかったからです。服もキレイじゃないし、こんな生活環境の中ではお腹もすいているのではないか?と心配してしまうのですが・・・。

モノクロの写真のなかに瞳が輝いています。カラー写真で日本の子供を撮影して目は輝いて撮れるのでしょうか。

自分が何の為に生きてきたのか
自分が今生きている事に感謝
不自由でない事に感謝
平和な事に感謝

当たり前になって忘れてしまっている事実です。

O.N

戦争の中で笑っている子供、過激派の中でデモに参加する子供。戦争が日常的になっている国。改めて戦争の残酷さがわかり大変悲しく思いました。

K.N
人が人を肴すなんてナンセンスだ

 ルパン3世より

オレもこの写真にうつっている子供のほうが日本の子供より明るくみえた気がする。笑顔がかわいかった。  真の豊かさとは?

・・・・
子供達ひとり一人の写真を見ているだけで涙がこぼれて来る。一生懸命に生きている姿が想像できます。写真は物語っていると思いました。今、日本人でつくづく思う私。この子供達が幸せに大人になってほしいと語りかけ帰ります。

この苦しい激戦の中の撮影、それに子供達の笑顔、写真を拝見していて本当に心の底からジーンと湧いて来るものを感じました。早く一日も早くこの苦しい生活環境が変わって行く事を願いたいものです。

N.K

同じ人間でありながら生まれた場所が違うだけで、こんなにも苦しんでいる人々いる。また、そんな環境の中でありながら一生けんめいに生きぬこうとする子供達の笑顔がある。生きようとする子供達を上から押しつぶしているのは大人たちで、すごくいきどおりをおぼえました。

世界の子供達が日本の子供達がのびのびと幸せに暮らしている。そんな世界を作るために、自分ができる事、何か小さなことでもいいから始めなければいけないと思いました。写真を見てよかったです。ありがとうございました。

・・・・

セバスチャン・サルガドの一連のキャンプの子供達のポートレート・シリーズを思い出しました。とっているものは同じなのに何かが違う。多分それは考えてわかるような事では無いのかもしれないけど、何か勇敢に生きる様が前面に出てくるようなサルガド氏の作品と違って福田さんのものはまるで日本の路道で遊んでいるような子供達の延長線上にあるような自然体としての子供が写っているような気がするからのように思います。

それはやはり福田さんの言うように、子供達は社会の中で弱者であり常に被害者である、という事実が見えてくる。何か感情的に思えるサルガド氏のものとは決定的に違うものがあるからのように思います。そしてその立場は常に大人達の意思によって揺り動かされてしまう。

正に大人達の様々な「悪意」にまきこまれた写真の子供達のニュートラルな表情はその場の状況を浮き彫りにするのだけど、じゃあ大人達の「悪意」がずっと少ない、というかむしろ取りざたされた犯罪によって「善意」で囲まれた日本の子供達は日本の状況を表しているかというとむしろ逆に思う。

大人達の善意(過剰すぎる)はあくまで大人達の基準であって子供からしたらそれは「悪意」であろうが「善意」であろうがそんな問題は無いように思えてくる。いつだって子供達のあり様というのは大人の予測出来ない、遠く神聖なものに思える。一体子供であることと大人であることの境目は何なのだろうか。社会をつくる大人と子供の間には何があるのか・・・

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研究のテーマをパレスチナのインティファーダにしている大学生です。パレスチナの衝突は宗教とか民族だと言われていますが決してそれだけではないと私は考えています。しかし難民や管理権、さらにユダヤ人入植地問題などについてはやはり宗教や民族を尊重して解決していかなければならないと思います。

写真を通して子どもたちの表情には「貧困」や政府の「腐敗」等の目に見えること以外の「寂しさ」、そして「豊かさ」をうかがい知ることができました。

アッサラーム・アライクム、シャローム 両者が早く和解することを祈り、また私も何らかの支援をしていければと考えています。

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子ども達の瞳が澄んでいるのが印象的です。でももう一度行ったとき、この子等が生きているだろうかと思うと彼らの現実が悲しい。

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一人一人子供の顔を見ると涙が流れ、こんな事があるならば7人ぐらい育てて上げたい気持ちで一杯です。早く幸福が来る事を祈りつつ福田さんの勇気に感謝で一杯です。

M.M
掲載日:2006年3月 日

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