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聞いた言葉・第138回目、二十四節気

二十四節気

 昨年末、京都の漬物のお土産を頂き増ました。この漬物の入っていた封筒の表面に今回の二十四節気が刷り込まれていました。(右下画像は、その袋の一部分) 製造・販売されている会社は、錦・高倉屋さん(詳細は、ここから参照)です。当然、美味しくて直ぐに食べきったのですが、私は漬物袋の表面と裏面にも目がいきました。

 まず、その表面ですが、右側画像ととも、しっとりとした落ち着きのある絵などがあり、右下側には「お漬けものと過ごす、束の間の二十四節気」と書いてあります。また、裏面には、店主の書かれた文章があります。(原文は縦書きで、次から紹介する横書きと改行も違っている)その書き始めからには、次に<>内のことが、書いてあります。

 < 京都のお漬物と長年付きあっていますと 季節季節、まるで花が咲くかのように 「今の主役は、わたしだよ」と、 旬のお漬物たちがおいしそうにささやいてきます。

 春には菜の花や、芽しょうが、竹の子の浅漬が店を彩ります。 春から夏にかけては、やわ肌で果実のような水茄子や青瓜の浅漬、 風鈴や蚊取線香が出る砥園祭の頃には 少し漬かり気味の胡瓜や茄子のドボ漬が風物です。  (あと約20行ほど省略) 年月はいとも簡単に過ぎてまいります。店主敬白 

 なるほど、改めて漬物作りと季節との関係が密接不可分であることが良く分かりました。また、この文章は、単に季節との関係だけでなく京都の歳時記と言いますか伝統行事も絡めて、さらりとその時季にできる漬物名を紹介してあり、なかなか良くできた文章だと思いました。

 二十四節気を調べようと、国語辞典の大辞泉を紐解くと、その解説として次の「」内ことが書いてあります。「十四節気=太陰太陽暦で、季節を正しく示すために用いた語。1太陽年を太陽の黄経によって24等分し、その分点に節気と中気を交互に配列し、それぞれに季節の名称を与えたもの。正月節は立春、正月中は雨水などと表す。立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒。二十四節。二十四気。節気。 」

 この二十四節気の一つひとつの言葉自体にも、例えば「雨水=2月19日ごろ。水ぬるみ、草木の芽が出始めるころの意」と解説されています。もちろん、雨水と同じように国語辞典には24全ての用語解説がしてありますが、このページでは掲載を省略します。また、当然のことながら大辞泉と右上側画像の用語は同じものです。ただし、元々の二十四節季の言葉の成り立ちからして、季節ごとの温度変化や風景の変わり目に合って根拠付けされたものではないようです。「あー、それやったら、何事にも鈍感な私でも大丈夫やなあ」と、一人合点もしています。

 あと、世界の国や地域では、私もカリフォルニア旅行中に見たアメリカのアリゾナ砂漠、行ったことありませんがアフリカ砂漠などを挙げるまでもなく、例えばいつ冬で、いつから春になったのか、気候の変わり目が分かりにくい所もあるようです。私は、学校卒業後25年間、大阪に住んでいました。もちろん大阪でも通勤途上の道路周辺に桜、紅葉や花などもありましたから季節感は、その都度知っていました。また、居酒屋で鱧(はも)が出されたら夏、秋刀魚(さんま)を食べたら秋、おでんや土手焼きの美味しいのは冬などと、やや別感覚の季節感も味わっていました。

 しかし、1997年に再度、田舎に住むようになって、まわりの風景、草花や農産物などを見て改めて驚いたことがありました。それは、四季だけでなく、例えば春の始め、春の真ん中、春の終わりから夏の始まりの頃と、ほぼハッキリと分かる季節感でした。つまり一つの季節で3つ〜4つ位の変化が見えるような、そんな雰囲気です。

 若かった学生時代も同じ風景を見たのでしょうが、大阪から田舎に戻り、このような季節の細やかな移ろいが少しでも分かるようになったのは、別の面で歳とった、中年になったと言うことでしょうが、いいことだったかもしれません。ただ、今回のテーマの二十四節季の変化までは、さすがに私は感じとれません。

 いずれにしても日本列島は南北細長く、台風、集中豪雨、地震、津波、火山など自然災害も多いところです。しかし、温帯地帯にあって他の国では、あまり例をみないほど季節感が味わえる国だなあと、この二十四節気の言葉を調べながら、そう思いました。

 あと、「自然は美しい」、「自然は素晴らしい」と言いながら、誰も利用しないような無駄な公共工事などしたり、「安全神話」の結果おこった原発事故による放射能拡散を発生させたりしています。日本の先人達は、大災害をも起こす自然に対し、畏怖を抱きつつも自然を敬い、感謝する気持ちで常に接してきました。

 未来の人々から、この自然をたまたま現在預かって生活させてもらっている現代人が、まるで自分だけのモノのごとく扱うのは許されないし、そのような行為を続ければ自然も黙っていないでしょう。季節の変わり目の良く分かる美しい日本を、このままの姿で、さらには良い状態で未来に引き継いでいくのは先人からの変わらぬ務めとも思います。

(記:2012年2月20日)
  

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