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4)阪神大震災を経験して

 大阪の池田市、95年1月17日早朝、まだ外は暗く、私は布団の中でした。目はあけ「今日は公休日だけど、もう起きようかな」と思った時、畳の下から突き上げるような、やや大げさな言い方をすれば天井が顔につきそうな位の大揺れでした。寝ているのに体が勝手にあちこちに動きました。同時に食器棚、テレビ、ビデオ、ラック式の本棚など、ガチャ・ガチャン、ゴトンと物凄い音をたて倒れました。幸い、怪我はどこもなかったせいか、まわりは気になっていましたが、以外と冷静で「地震直後もう一回戻しの揺れがあるからこのままの方が良い」と思い、布団の中で両手広げたような状態で待ちました。

 割れた食器や棚などが片づいたのは昼前でした。落ちたチューナーやテレビも直して、ニュースで報道している神戸の火災は目を覆うばかりの惨劇でした。地震直後朝のラジオで神戸は私が住んでいた所よりも震度数が高いと報道していたので被害は大きいだろうと思ってはいましたが、まさかこんなヒドイとは信じられませんでした。

 仕事の関係もあり、やっと1週間後、登山用のアタックザックに水、米、乾燥麺などを詰め、神戸市灘区の知人宅を目指しました。歩きながら途中で見た決壊した高速道路、3〜4階が一緒になって腰折れたビル、いたる所に爆弾が落ちてペシャンコになったとしか思いようもない民家、地割れやブロック石垣の倒壊、さらには救急車やパトカーのサイレンの音など、さながら戦場のようでした。

 このような経験から、あまり今まで考えていなかった「家の強度」についても関心を持つようになりました。実際、奥尻と阪神の地震時ログハウスはどうだったか、興味深く色々なデータや専門誌を読みました。結果、普通住宅より、ログハウスは地震に強く、神戸にあった家はわずか数ミリ程度の動きでおさまったとの記述もありました。その後のログハウス展示場巡りで、営業スタッフの方へこの「家の強度は?」との質問が加わったのは言うまでもありません。

 この地震があろうがなかろうが、100%ログハウスで建てようと思っていましたが、もうこれで120%作ろうと決心しました。それに、家と言うのは見てくれや格好ではなく(色々と複雑にデコレーションすれば弱くなりやすいので)、堅牢強固(極シンプルに地震だけでなく、風、雨や湿気対策を充分に考えた頑丈)な家に作らなければならないと思うようになりました。

 また、この地震後、問題になったのは補償の件です。関西人は関東人より、地震がないものとの先入観からか保険に加入している人は少なかったと言われています。私の同僚はたまたま農家出身で農協の共済保険に加入していて、そこから被害の補填をしたと聞きました。早速、「家の補償」と言う観点からも自分が建てた時も同様にしようと思いました。

 以上のように、あの大震災から少しの被害もありましたが、逆に今後の家作りについて、多くの勉強をしたのも事実です。(記:1998年3月)

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