TOP INDEX BACK NEXT

7)地鎮祭と基礎工事

97年8月31日11時から、地鎮祭が挙行されました。隣人の福重さん、母、実兄、義兄、姪、雄建設会社の里社長さんに出席して頂きました。その準備として、兄弟で実家の裏山にある青竹4本と福重さんの山から切った高さ2mの椎の木1本を運びました。福重さんや里さんに教えて頂きながら、青竹は四方に、木は真ん中に立てました。

 式は神主さんによる祝詞から始まり、お払い・お清め、参加者による榊の奉納、私と里社長による鍬入れなど滞りなく進みました。その後、テントの下に入りました。眼下に広がる大村湾や長崎空港を見ながら、弁当を広げ、各々「ここは見晴らしの良かね〜」「出来たら、バーベーキュー大会をやろう」などの話しが続きました。

 9月1日朝から、基礎工事の準備が始まりました。まず、建物の位置を決める縄張りからです。7月時の仮縄張りから、市道側の境界と軒の出の関係から、北西方向に30センチ程変更しました。これで完成後、少しでも庭の有効面積が広がり、建物と自然石の階段の位置関係も良くなりました。その後、四方に杭と板をたて、中心位置に釘を打ち、カラー線をくくり、縄張りは終わりました。あとは重機で田の字型に穴を掘ました。

 9月2日は30 度を越える残暑の中、手の平位のガレキを敷き詰めつめる作業が開始されました。3日からは太さ13ミリの鉄線を張る作業に入り、5日には第1回目、10日第2回目、13日第3回目の生コンクリートの流し込みが行われました。その間には高さ約70・強の木枠が組み立てられました。

 また、この基礎工事と同時進行で電話、テレビ、電力ケーブルの工事も行われました。その理由は折角の眺望のある宅地やログハウスをこのような電力線などで少しでも壊したくなかったためです。それに、後日「野鳥が家に巣を作るため、まず、電線に乗るから、引き込み線がない方が良いとも聞く」と、棟梁さんに教えて頂きました。
 9月18日にはセメントも充分乾燥したため、木枠が外され、天端均し(上野注釈:コンクリートの高さを調整し、水平にする)が行われました。これで基礎工事が完了し、間取りがさらにはっきりしてきました。(記:1998年3月)

TOP INDEX BACK NEXT