ブリュッセル市内観光その2
2013年12月24日(オランダ時間)
前ページには、オランダ・マーストリヒトからベルギーの首都ブリュッセルに日帰り旅行した内容で、その1ページ目でした。主に書きましたのは、駅舎が明るくて独特な造りのりエージュ=ギユマン駅や、ブリュッセル中央駅にあった木製のエスカレーターなどでした。いずれも、これまで見たことがなかった特徴的な駅や設備でしたので、しばし、3人とも話題にしました。
今回のページは、あいにくの小雨交じりに中、グラン=プラス(世界遺産の広場)及び、その周辺観光について書いています。初の本格的なブリュッセル観光ですが、広場やその周辺が世界遺産ですから、第一印象「なるほど、なるほど」と思うものばかりでした。
グラン=プラス(Grand-place、世界遺産の広場)
私達は、ブリュッセル中央駅前の小さな広場から、少し行くとマルシェ・オー・エルフ通り、モンタニュー通りと歩いていたようです。そして、ほどなくヨーロッパ最古のアーケード街ギャルリー・サンチュベールが見えてきました。このアーケードは後刻、軽食を食べに行く予定もあったので、出入り口付近で写真数枚だけ撮りました。さらに、左右に建物が並ぶコリンヌ通りを進みますと、四角形の広場であるグラン=プラス(Grand-place、世界遺産の広場)が見えてきました。
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(写真1) 王の家(広場の北東側) |
(写真2) ブリュッセル市庁舎(南西側) |
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(写真3) ブラバン公の館(南東側) |
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ここで改めて国語辞典の大辞泉より、このグラン=プラスについて引用して、次の<>内通り紹介します。 <グラン=プラス ベルギーの首都、ブリュッセルの中心部にある広場。15世紀に建造されたゴシック様式の塔がある市庁舎、17世紀末に再建されたギルドハウスなどに囲まれる。ビクトル=ユゴーが「世界一美しい広場」と、またジャン=コクトーが「絢爛(けんらん)たる劇場」と称えたことでも知られる。1998年、世界遺産(文化遺産)に登録された。>
右側4枚写真でもお分かりの通り、広場四方には、15〜17世紀に建てられた歴史的な建造物が林立していました。中でも、目立つのがゴシック建築のブリュッセル市庁舎です。(写真2を参照。方角は広場中心地から見て南西側) 中央にある塔の高さは、96メートルもあり全部を写すには相当な広角レンズが必要なくらいです。なお、現在でも市役所として使われているとのことでした。
義兄が市庁舎の壁も撮ろうと盛んにビデオを回していましたが、階ごと窓ごと全て彫刻があるのではないかと錯覚するくらい沢山の彫像が置かれていました。これらの彫像ですが、似ているように見えても、どうも一体いったい違うようでした。フランスの影響を受けている地域らしいと言えばそれまでですが、「このような発想は日本にはないだろうなあ」と思いながら私も見ていました。
あと、先の高い塔が先入観になってしまって他の広場四方にある建物は、低いようにも見えましたが、それは私の間違いで多くが(日本流に言えば)4〜5階建てばかりのようでした。むしろ建築当時(15世紀頃)としては、いずれも高かったのではないでしょうか。
また、建物の多くが、元々ギルドハウス(商工業者などの同業者組合の建物)で、例えば(現在でもベルギービール博物館として使用中の)ビール醸造組合の家、パン職人・大工職人などの商工業者の家だったようです。現在は、そのギルドハウスとして使われているのではなく、「・・・博物館」とか、ホテルあるいはレストランとして使用されているとのことでした。
この広場周辺の建物一つひとつを歴史や特徴点などから説明すれば、それだけで一冊の本が出来るくらいと思われます。私の見た感じ、小雨まじりの天候ながら、むしろしっとりした落ち着きのある雰囲気があるなあとも思いました。また、これだけまとまった壮麗なゴシック建築群は、今まで見たこともなかったのですが建築当時いかに、この周辺の商工業者が繁栄していたかも偲ばせるものでした。
なお、広場の南東側(ブラバン公の館前付近)には、クリスマスシーズンらしく、キリスト生誕を形どった馬小屋(プレゼピオ)が設置されていました。(写真3と4で照明が見える部分参照 )これは、後刻ゆっくり見学しました。
セルクラースの像(Monument,Everard 't a Serclaes)
ブリュッセル市庁舎の南東側の角を回ると直ぐに、シャルル・ビュル通り(私達の進行方向)左側(「星の館」の壁)に彫像がありました。(写真3参照) 私の目測ながら高さは地面から150cm位の位置にあり、横幅は2m位でした。これが、セルクラースの像です。銅像の下側に説明版がありましたが、残念ながら私は英語も仏語も読めませんので、後でガイドブックなどを参照しました。
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(写真5) セルクラースの像(「星の館」の壁) |
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名前の由来になっているセルクラーク(Serclaes)は、1356年にルイ・ド・メールのフランス軍に、この周辺含めて攻められたのですが、その攻撃からブリュッセルを守ったのが、このセルクラークとのことのようです。
後世になり、セルクラークの像は、「幸運をもたらし、像に触れる全ての人の幸福や願いをかなえてくれる」と地元の人達でいわれようになりました。そして、いつしか観観光客も、この像の近くに来ると必ずといって良いほど、像を触っておられるようです。
私達も当然、触ってきました。年間、何十万人、何百万人の観光客が、こちらへ来て触っておられるのか私は全く知りませんが、像がピカピカに光っていました。この像は、私達がこれから行く「小便小僧」見学後の帰り道にもなっているため、先を急ぎシャルル・ビュル通り通り、エチューヴ通りを進みました。これらの通り左右には、お土産店が沢山ありました。
この土産店には、さすが世界的に有名な小便小僧の反映か、多くの店にミニチュアの置物などが飾ってありました。また、白い建物の壁には、だまし絵みたいに階段が描かれてもいました。エチューヴ通りは、土産店以外のもブティックなどの明るいショーウィンドーも所どころにあり、なかなか目を楽しませてくれました。
小便小僧の像(Manneken Pis)
先ほどのセルクラースの像から5分も歩いたでしょうか、エチューヴ通りとシェンヌ通りが交差する角((私達の進行方向左側)に小雨の中でも、その周辺だけ人だかりが見えました。ここが、世界中の方が良くご存じと思われる小便小僧の像のある所でした。
白い建物が、像のある所だけL型の空間になっていて、通り側には半円の鉄柵がありました。また、像のある上部には、私の目測ですが高さ5mほどの位置に半円状の屋根があり、その下側(地面から4m位)に小便小僧の像がありました。像本体の大きさは、高さ約60cm、横幅30cm位のようでした。
改めて国語辞典の大辞泉より、この小便小僧について引用して、次の<>内通り紹介します。 <小便小僧=ベルギーの首都、ブリュッセルの中心部、ブラバント州庁舎近くにある、放尿する少年を模した彫像。1619年、彫刻家ジェローム=デュケノワが製作。2度の盗難に遭っている。由来には諸説あるが、ブリュッセルを包囲した敵軍が城壁を爆破しようとした際、少年が導火線に小便をかけて火を消し、町を救ったという伝説が知られている。マヌカンピス。マネケンピス>
あと、この日はクリスマス・シーズンと言うこともあったのか、(写真6)の通り、小便小僧はサンタクロースの衣装をしていました。さらに壁周辺には、ツリーとイルミネーションまでしてあり、青白い色で点滅していました。これらは、このシーズンだけでしょうから、ある意味なかなか珍しい写真が撮れたのかもしれません。
あと、像の前で話しをしておられた内容を聞きますと、この「ジュリアン君へは世界各国から衣装が贈られる」そうで、その数は何百着も持っているとのことでした。像の前にある説明板下部にも、その一部のみですが衣装例がありました。やはり、小便小僧は、なかなかの人気者のようです。
ただし、小便小僧の像は、世界的に有名な割に実物があまりにも小さいため、「世界3大ガッカリ名所」の一つにも挙げられてもいるようです。ここで代わるがわる写真を撮って、さらにシェンヌ通り界隈を少しウロウロしました。
ただ、アーケード街ギャルリー・サンチュベールにある目当ての喫茶店も、もう店を開けているだろうとの時間帯になってきました。そのようなことから、再度先ほど歩いて来たエチューヴ通りやシャルル・ビュル通りに戻り、グラン=プラス経由でアーケード街へ行くことにしました。
11時近くの時間帯の関係からか、来た時よりも人通りが増えていました。私達は、グラン=プラス南東側(ブラバン公の館前付近)には、キリスト生誕を形どった馬小屋(プレゼピオ)があり、その大きさは普通の車庫2台分以上のようでした。藁(わら)小屋や人形などを写し、広場に別れを告げながらモンタニュー通りを進みました。
(掲載日:2014年10月27日)
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(旅行メモ)
2013年12月24日(オランダ時間)
ブリュッセル市内観光その2
10時00分、ブリュッセル中央駅に到着、木製のエスカレーター撮影
10時20分、市内観光、グラン・プラス(世界遺産の広場)と周辺の建物、セルクラース像、小便小僧など
10時50分、ヨーロッパ最古のアーケード街ギャルリー・サンチュベールを歩く
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