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サンピエトロ寺院など
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サンピエトロ広場とオベリスク
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ヴァチカン宮殿
1996年8月31日その
サンピエトロ広場と白い点は
 11時頃にヴァチカン美術館を出て、右に折れる方向に通りを歩いて行くと柱がたくさん並んでいる回廊が見えてきました。「ここは人間の左右の手が広場を丸く包み込むようにして両翼に伸びている感じで出来ているよ」などと言いながら、その下に入りました。

 この回廊の下は、日陰になっていましたが、広場に足を踏み入れると、さすがローマの日差し(正確にはヴァチカンの日差しだろうか)暑いものでした。他の観光客の方も、各自で汗をふきふき色々なポーズで広場にいました。

 我慢して歩きながら「ここがクリスマスのミサなどで何十万人か入れるベルニーニ設計のサンピエトロ広場(直径240m)、大きいねえ」と言いながら歩いていました
。また、「あそこの白い点に立つと、4重の柱が1本のように本一直線に見えるように設計してあるよ」などと説明しながら、その白いマークを探しました。

 左右の回廊の四重になって立っている柱が合計284の列柱が、なるほど、今までバラバラに見えていましたが、重なって1本に見えました。また、この柱の回廊の屋根には、ベルニーニの弟子たちによる140人の聖人像がありました。

 このサンピエトロ広場中央には、高さ25mのオベリスクがあり、カリグラ帝の命令によりエジプトから運ばせ競技場に設置してあったものを、さらに16世紀末にこの広場に移したと案内書には書いてありました。また、このサンピエトロ広場は、クリスマスミサなど開かれる時には、20万人くらい来場されるようです。

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スイスの衛兵
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サンピエトロ寺院内部
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奥の祭壇
 あと、この広場から寺院向かって右側には、ヴァチカン宮殿が見えました。この奥が、今まで私たちが見学していたヴァチカン美術館やシスティーナ礼拝堂のある建物方向でした。ヴァチカン宮殿の中央辺りの窓から、サンピエトロ広場に集まる信者たちに法王が語りかけます。この次にサンピエトロ寺院に向かって左方向に歩き出した。

スイスの衛兵
 11時30分前くらいに寺院左方向に行くと、そこにはミケランジェロのデザインといわれる縦じま柄で青・黄色それに赤色の非常にカラフルな制服をまとったスイス衛兵が立っていました。右手には身長の高さよりも、さらに長い槍を持っていました。(右側の写真)

 私は、以前の1986年に来た時には、冬の夕方近くであまり見えなかったのですが、今回はこの派手な制服が良く見えました。物珍しさもあってか、近くに行った観光客が写真撮ろうとしていたところ、ちょっと怒られた雰囲気でした。「じゃあ、あまり近寄らず、この辺から」と言うことで写真は階段から撮りました。

 このスイスの衛兵は、その昔ここの教皇を戦の時に守ったので、それからずっと守備しているとのことです。毎回見ても同じように背の高い、若くて男前の衛兵がいましたので、けっこう選別されて、ここに来ておられるのかなあと思いつつも、この時季、暑いだろうなあと同情もしました。


嘆きのピエタ
 階段を登りきると中は、サン・ピエトロ寺院です。「右側に”嘆きのピエタ”像があったはずだから見に行こうか」と言いながら進みました。「あそこにあるみたい」などと言いながら近寄ると、白亜の大理石でできているミケランジェロの傑作が見れました。

 ただ、かなり離れていて、しかもこの周辺は薄暗いため、カメラで撮りにくいものでした。亡くなったキリストを抱いて悲しんでいる聖母マリア像なのですが、顔が美人なのはいいのですが、なんかキリストよりも年齢的に若すぎる顔立ちに見えてしまいます。ミケランジェロの制作意図が込められているのかもしれません。

サンピエトロ寺院
 さらに進んで行くと太陽光が差し込む空間が見えてきました。このサンピエトロ寺院は、この寺院はブラマンテやサッガロのプランもありましたが、その多くはルネッサンスの巨匠ミケランジェロの設計と言われています。完成までに約150年の歳月を要し、法皇の依頼により、ベルニーニも含めその時代の偉大な美術家、装飾家、建築家などが当たっています。

 段々と寺院中央部になってきましたが、内部の広さが改めて実感できます。6万人も入れる空間ですから、大きい、巨大と言う感じに違いはないのですが、ただそれだけの表現ではなく、違う感じもしました。

 つまり、大きい中でも隅からすみまで不思議な静寂感、荘厳さ、さらには意匠の統一感(内部全体の一体感)などがあるので、一言でいえばまとまりがある、そんな感じさえするのかもしれません。

 上の方にラテン語何かで、文字が書いてあり「あの字だって相当大きいよ」と言いながら見ていたのですが、残念ながら4人ともラテン語らしき文字は読めなかったので、意味は分かりませんでした。さらに進むと奥に祭壇が見えてきました。

祭壇とクーポラ
 この祭壇も、大きく感じました。右上写真の下に白シャツを着た人が3人写っていますが、このサイズ対比でも大きさは充分お分かり頂けると思います。この祭壇の地下に、聖ペトロの墓があると言うことでした。この付近をぐるりとまわり、また、クーポラ下の回廊に戻ってきました。

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クーポラ

 このクーポラ頂上には登れるようでしたが、私たちは時間の関係から行きませんでした。この回廊の至る所には、クーポラ下周辺の明かり取りの窓から、光が降り注ぎ、その光もまるで空港にあるサーチライト(探照灯)か舞台のスポット照明みたいにも見え、見る人によっては「天国からの光かなあ」と想像する方もおられるかもしれないと考えながら、寺院を後にしました。

 寺院を出ると近くにあったヴァチカンの郵便局で、記念に切手などを買いました。夏の炎天下、より一層大きく広く感じるサンピエトロ広場を今度は出口方向に歩いて行くと、泉がありました。ここで、しばしの涼を求めて、各々手や顔を洗いました。近くで寺院をバックに、この旅行中たった1枚だけでしたが、旅行者の外人さんから4人一緒の写真を撮ってもらいました。

コンチリアツィオーネ通りで昼食
 サンピエトロ広場を出ると、次はコンチリアツィオーネ通りに出ました。この付近にはお土産店などあり、絵葉書などを買いました。また、もう12時40分過ぎていましたので、「昼食にしよう」と声かけていました。私は1986年2月ここに来た時に参道にあったバイキング形式のカフェテリアで食べました。「あの店は、まだあるかなあ」と思いながら探していたところ、参道の中ほどにありました。

 このカフェテラスはレシートに書いてある名前を見ると、『S・A・B SRL』でした。皆で思いにおもいにピッツア、サラダ、コーヒー、コーラなどを頼み、合計で66,500リラでした。「まあまあ、おいしいねえ」と言いながら、朝からずっと歩き続きでしたので、よく話も弾み、お腹にもピッツアなどが入っていきました。

(旅行メモ)
11:15 サンピエトロ広場と両翼に伸びる列柱の回廊。
11:30 サンピエトロ寺院の見学。
12:10 サンピエトロ寺院からサンピエトロ広場へ再び出た。人での記念撮影を外人さんから撮ってもらった。
12:20 参道のお土物屋さんで葉書を買った。
12:40 セルフサービス式のカフェテラス『S・A・B SRL』で昼食、合計66,500リラだった。
(掲載日:2006年5月17日)

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