ナヴォーナ広場、トレヴィの泉など | ||||||||||||
ナヴォーナ広場 コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りをかなり歩き12時50分頃、細長いナヴォーナ広場の南側に着きました。とりあえず昼食と言うことで、広場中央付近にある四大河噴水近くにある『レストラン・チャンピーニ』(右下側写真)に入りました。ここのテラス席は、広場が左右見渡せ、なかなかの”特等席”でした。 スパゲッティーのフィットチーネなど私はたのみ、歩き疲れも手伝い、なんかいつもよりゆっくり食べ、仕上げはカプチーノを飲みました。会計は、4人で145000リラでした。その前後に結婚式を挙げたばかりの一段が近づいてきました。 また、新郎、新婦を祝福するために大道芸人の歌手二人がカンツィオーネを歌いはじめました。まあ、偶然とはいえ食後にコーヒーを飲みながら、本場でカンツィオーネを聴くのもいいものでした。歌に興味引いたのか、にいさんはビデオをまわし、最後は木戸銭も渡していました。「なかなか、良かったねえ」と口々に言っていました。 私が、この広場にある泉を撮ろうと立ち上がった頃でしょうか、一旦店内に入って出てきたタカちゃんが、段差に転び運悪く捻挫してしまいました。「大丈夫?」「うん」など言いながらも、かなり痛そうでした。歩けると言うことで、あと少し色々見学して早目にホテルに帰ることにしました。 ナヴォーナ広場には、大きな噴水が3つありました。それは、ムーア人の噴水、4大河の噴水(インダス川、ナイル川、ラプラタ川、ドナウ川)とネプチューンの噴水でした。噴水と言うよりは泉と言う感じです。その内の一つは掃除中でした。 それで、私はネプチューンの噴水(右上側写真)を撮りました。写真ではやや分かりにくいですが、ここの後方の建物の壁は湾曲していました。なぜかと言いますと、元々ナヴォーナ広場は古代競技場の跡でした。ドミティアヌス帝が86年に造らせ長さ240m、幅65mと南北に細長いものでした。この広場は時間帯によっては市も立つようで朝から晩まで賑やかな、市民憩いの場所のようでした。
14時過ぎナヴォーナ広場を出てマダマ宮殿(イタリア上院)などを横目に見ながら再びコルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りやデル・プレビスチト通りを再び歩くことにしました。 しばらく行くとコロンナ宮殿(コロンナ美術館)がありました。ここは個人的には中に入りたかったのですが、いつもは公開していなくて、この日は入館できませんでした。このコロンナ宮殿2階の大広間で、映画『ローマの休日』のラストシーンが撮影された所です。私は、この広間のカラー写真を見たことあるのですが、なかなか綺麗な所のようでした。 アン王女(オードリー・ヘップバーン)が記者団との会見の場で、「今回の旅行で、どこの都市が印象に残ったか」の質問に「ローマ!何といってもローマです。(Rome! By all means, Rome.)この地を訪れたことは生涯忘れえぬ思い出になるでしょう」と答えた、あの有名なシーンと言葉の舞台です。 私だけではないと思いますが、ローマを旅行された方は、この言葉の意味がなんとなく分かるような感じがします。外から宮殿入口の写真を1枚だけ撮り、さらに11月4日通りを歩きました。日陰が深くなっていたピロッタ広場前を通り、さらに進むと遠方にポーリ宮殿を背景にしたトレヴィの泉が見えてきました。 トレヴィの泉 14時30分前に朝一回来ていたトレヴィの泉(トレビの泉)に着きました。朝よりは太陽光線が良くなっていましたが、その分、まあ人がウジャウジャいるような状態で人並みをかき分けるようにして一段低い所にある泉に手をつけました。
なお、トレヴィの泉(Fontana di Trevi)の語源ですが、紹介している本によって、1)泉まわりの三叉路(trevio)説(ただし、今はそれ以上に何本かの道あり)と、2)水源の地名説(この泉の何キロか先にあるようです)と主に二つの説あるようですが、私はどちらが正しいのか、はたまた両方正しいのか分かっていません。 ローマ最大とも言われているトレヴィの泉は、まずは背景になっているポーリ宮殿の壁面との一体感が見事です。また、まわり(建物や通りなど)の環境とも良く調和して、しかも、トリトンが操る海馬、貝殻に乗る海神ネプチューンなどの彫刻、さらには、その上には四季を表す女性像などいずれもギリシャ彫刻のように精巧で生きいきとして、一つひとつも素晴らしいものです。 まあ「泉には変わりない」と言えばそれまでですが、その泉にこれだけまるで芸術品のようにしているのが、やはりローマのローマたるゆえんなんでしょうか。この泉に後ろ向きにコインを投げ入れると再びローマに戻って来れるという言い伝えも、人の心を動かしているのかもしれません。 これだけ世界中から年から年中、朝昼晩と沢山の人が集まるのは、ある種日本で観光誘致をで頑張っておられる方はうらやましいだろうなあと思います。約300年前に造られた泉だけで現在一日何万人観光に来られるのか分かりませんが、これだけの活況ですから。幾つかの映画の影響もあることでしょうが、日本で何十億何百億かけて造った上物・箱物は、あまり年月かけない内に下火になっている現実からしても何か考えさせられます。 映画『ローマの休日』で、ジョー・ブラッドレー記者(グレゴリー・ペック)が修学旅行に来ていた子供にカメラを借りようとして引率の先生から注意されたのは、この泉の前でした。また、アン王女(オードリー・ヘップバーン)が髪をショートカットした店は泉の右側で撮られましたが、現在は床屋はないようでした。ヘップバーンカットで闊歩していた路地は、今もそのままでトリトーネ通りに繋がる道です。 ここで、ローマの歴史本(日本語版)を買ったところ、おまけに絵葉書をもらいました。それを小脇に抱えながら、ヘップバーンが歩いた細い路地抜けてトリトーネ通りに向かいました。
15時前にトリトーネ通りのほぼ中央にあるバール・トリトーネの奥のテーブル席でゆっくりしました。以前にも紹介しましたが、このホテル・トリトーネは私が1986年2月始めて海外旅行で最初に泊まったところでした。その時私は写真は撮っていなかったので、そのことも兼ねてこの店に入ったのでした。 あと私はローマのバール(BAR)は、いいなあと思っています。日本で言うバーでもないし、もちろんレストランでもないし、どちらかと言うと酒からソフトドリンクから食事まで出してくれる喫茶店と言う感じでしょうか。味の方も、あまり当たり外れもないし、店自体が気楽でのんびりできるところがいつもいいなあと思っています。 この店は外国人慣れしておられるのか、オーナーと先ほどのお土産屋さん、ソニーのラジオ、ビデオの件などで話しが盛り上がりました。”歩けあるけ観光”をしている私たちにしては、珍しく1時間近くも休んだので35000リラの会計を済ませ、外に出ることにしました。 タカちゃんの足が気になるので、トリトーネ通りからクワトロ・フォンターネ通りまで行かずに途中から右に折れ長いトンネルを通って近道してホテルに戻ることにしました。私たちに叫び声を浴びせてバイク野郎が前車輪をサーカスのように上げて通りを過ぎて行きました。「どこにでもアホな連中はいるものだ」と言いながら、先を急ぎました。 湿布薬と夕食 16時30分、ホテル・ボローネーオに到着し、早速早速、フロントマン捻挫を説明し、湿布薬や冷やすためのスプレーを求めたがアスピリンしか常備薬はなかったので、タカちゃんは風呂場で足を冷やすことにしました。その間、私とヨーコちゃんとはカヴール通り近くのファーマシア(薬局)があったのを思い出し買いに行きました。 しかし、ここの青い制服を来た女性店員さん、英語が全く通じず首を傾けてばかりでした。結局、湿布薬は手に入らず、手にしたスプレーは店を出た後調べてみたら何とデオドラント・スプレー(消臭剤)でした。それならばと言うことで、テルミニ駅の構内にある薬局に行こうと言うことになりました。 ヨーコちゃんの「フォー・コールド、スプレー(冷やすためのスプレーを下さい)」などの英語を駆使して、何とかスプレー(クリオ・スプレー)は買えました。ただ、紙を半分に折ってを足に当てた私の身振り手振りの”迷演技”で湿布薬のことは分かってくれましたが、肝心の薬はなかったようでした。横で注射針を買う男がいたので「多分、あれは覚醒剤か何か自分で打つのでは」とヨーコちゃんと話ししながら帰ってきました。部屋に戻り、タカちゃんに渡すと使い道は良く知っていて「日本でもスポーツの時に使う」とのことでした。 19時過ぎタカちゃんがが歩きつらいので、夕食はできるだけ近い所しようと言うことで、ホテルから100mもない『レストランテ・レスクィーノ』に行き、奥のテーブル席に着きました。真横の壁沿いにパンを切る装置があり、興味深かったです。。ビール、白ワイン、ボンゴレなどで4人合計163000リラの夕食でした。その後ホテルに帰り21時前には、各自寝るようになり今回旅行でローマ最後の夜となりました。 |
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(旅行メモ) 12:20 コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りを歩き、ナヴォーナ広場へ向かった。 12:50 ナヴォーナ広場に到着し、『レストランテ・チャンピーニ』で昼食を食べた。 新郎、新婦を祝福するために大道芸人がカンツィオーネを歌っていた。 13:30 ナヴォーナ広場の大きな噴水3つを見学し撮影した。 14:00 ネプチューンの噴水を見た後、再びコルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りなどを歩いた。 14:10 コロンナ宮殿の入口付近をカメラに納めた。 14:25 トレヴィの泉に到着し、しばらく休憩や撮影をした。 14:50 トレヴィの泉近くにあるトリトーネ通りのほぼ中央にある『バール・トリトーネ』の奥のテーブル席でゆっくりした。 15:45 店を出て、近道コースを取り、長いトンネルを通ってホテルに向かった。 16:30 ホテル・ボローネーオに到着し、その後薬局に行った。 19:00 ホテル近くの『レストランテ・レスクィーノ』行き、夕食を食べた。 20:30 ホテルに戻り各自就寝した。 |
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(掲載日:2006年6月15日) |