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パリ到着、ノートルダム寺院など
1996年9月2日その
猛烈なスピード・タクシー
 朝7時、移動日の朝食は、これまでより早目に済ませ30分後には
『ホテル・ボローネーオ』のチェックアウトをしていました。頼んでいた黄色いタクシーに乗りホテルを出発しました。私は助手席に乗って「どこに行くのか」みたいに尋ねられたのですが、最初何言っているのか分かりませんでした。

 後部座席からヨーコちゃん、タカちゃんが「フィウミチーノ空港」と言ってくれたので、運転手も「あー、分かった」みたいにして返事していました。カヴール通りなどの石畳の道路は、ガタゴトとスピードも出にくいのですが、高速道路に入ると猛烈なスピード狂に変身したのかと思える位でした。スピードメーターは、軽く120か130キロを越えていました。

 私はイタリアの車種などは全く知りませんが、たぶんにフェラーリか何か低床のスポーツカータイプに似ていました。1時間もかからずにレオナルド・ダ・ヴィンチ空港(フィウミチーノ空港)に着きました。降りた後「助手席に乗るのは怖かった。ベルトを握り締めていたよ」などと言っていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ空港
 ターミナルビルに入り、まずは湿布剤がわりにタカちゃん用のスプレーを薬局で購入し、まだ、時間があるのでバールで小休止しました。その後各自で、日本へ電話したり買い物したりして、登場口のあるB4番ゲートへ向かいました。

 10時過ぎに搭乗案内が始まり、約40分後に飛行機はレオナルド・ダ・ヴィンチ空港を離陸しました。 途中、気流が少し悪く揺れだす時間帯もありましたが、11時15分頃にはもう昼食の時間となりました。パスタ、肉、チーズを食べていましたら、 横の席の男女カップルからワインをもらい、少しだけ話もしました。イマイチ天気も良くなかったですが、色々と雑談しながらの時間は速く過ぎました。

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ホテル・ラ・ツール・ノートルダム
ホテル・ラ・ツール・ノートルダム
 
12時半頃にはシャルル・ド・ゴール空港着陸し、いつもの通関手続き、両替やトイレなどを済ませ、タクシーで市内のホテルに向かうことにしました。タクシーは、メルセデスベンツで、やはり高速道路では120Km以上出ていましたが、安定感がありました。到着前に運転手さんから「その地図見せてくれ」みたいに言われたので見せたところ、バッチリとホテル玄関先に車をつけてくれました。

 
ホテル・ラ・ツール・ノートルダムのフロントでは一人ひとり名前の確認があり、しばし時間かかりましたが、各々の部屋に向かい、私は16号室でした。この部屋の天井(梁みたいに見える)は木も使ってあり、質素な造りながら全体落ち着いた感じで、窓辺には花もありました。窓下にある大通りの騒音もガラス戸を閉めると、そう気になりませんでした。

 あと、次の日の朝から利用したのですが、食堂は地下にあり、シックな色調で落ち着いた家具など、そんなに広くはないもののいい感じでした。このホテルは、カルチェラタンの中心部にありソルボンヌ大学やクリュニー美術館などは真横みたいな位置にあります。また、名前の通りノートルダムやシテ島にも近く、観光や買い物にも便利で、地下鉄駅も周辺にいくつかありました。

 遠出しない場合、カフェも夕食も総てこの周辺で私たちは済ませていましたので、後日「初めて利用したのに、なかなか便利な所で良かったねえ」などと話をしていました。

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ノートルダム寺院
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ノートルダム寺院
ノートルダム寺院
 14時半頃になり、まずはノートルダム寺院の観光に向かいました。途中サンジェルマン大通りやセーヌ川を渡る前に、いずれ行くかもしれない店なども「あそこもいいかなあ」などと言いながらチェック怠りなく歩いていました。

 ノートルダム寺院は、これで私は3回目になりますが、この寺院はどこから見ても絵になるなあと思っています。観光客の多いのは当然広場や塔のある方ですが、その逆からも、これまた、なかなか写真的にも構図といい、安定度いい、緑の木立との調和といい、後ろ側から見た外観もいいなあと思います。

 ノートルダム寺院は、フランス・カトリックの総本山です。1163年シェリー司教の発案により着工して1345年に完成しました。つまり、200年近くかけて完成させたものです。二つの塔の部分の建築が年数かかったと言われています。ヨーロッパは石造りが多いからでしょうが、大きい建物は大抵数百年かけて、中に500以上かけ建てる例が珍しくありません。日本は木造建築が多いから完成が速いですが、欧州の尺度からすれば築百年なんか新しい建物と言えます。

 ノートルダムの意味は「我らが貴婦人」で、聖母マリアに捧げられたものです。塔の頂上からの景色は眺望抜群と聞いていましたが、私たちは時間の関係上登りませんでした。寺院内部へは最後の審判門など三つの入口があり、壁面にはびっしりと彫刻が施されています。彫像には色々な意味がありますが、私は忘れてしまって説明できませんでした。

 (ここでもらったパンフレットによると)寺院の大きさは正面幅45m、奥行き127.5m、高さ33m、通路幅12.5m、塔の高さ69m、尖塔の高さ96mなどと書いてありました。寺院内部に入ると、大きさ通りやはり堂々たる風格があります。目を引くのは左右(南北)の大きいバラ窓だと思います。特に、南側の放射状にのびた形のステンドグラスは、写真を撮りたいなあと思うものでした。

 あと、このノートルダム寺院は、数々の歴史の舞台にも登場していましたが、特に有名なのが、ナポレオン・ボナパルトの戴冠式です。後で行く予定のルーブル美術館にダヴィドによる戴冠式の大きい絵がありますが、あの絵に描かれている式典は、ここで執り行われました。(この絵のことについて、あとのルーブル美術館のページで詳細に書く予定にしています)

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フランスの道路の基点
フランスの道路の基点(ポイント・ゼロ)
 ノートルダム寺院前の広場には、いつ行っても観光客の方が多いですが、中でもその一角に足元を見ている人の輪があります。そこがフランスの道路の基点(ポイント・ゼロ=Point zero des routes de France)が地面に埋め込まれています。(右写真参照)

 この標識は、例えばパリから北へ何キロみたいに表す時のフランスの道路の基点です。日本では言えば東京日本橋の日本国道路元標と同じようなものでしょう。また、なぜここに人が集まるかと言えば、まあ道路の基点自体が珍しいと言うこともあるのでしょう。

 それにプラスして真偽定かではありませんが「このポイント・ゼロを踏めば、再びパリに戻れる」みたいな言い伝えがあるようで、それで多いのかもしれません。私たちも人が途切れた時を見計らって早速写真を撮り、代わるがわる基点の上に立ってみました。

 ひとしきり広場も見終わったので、次の目的地のコンシュリジュリ方面に向かいました。

(旅行メモ)
07:00 朝食
07:25 『ホテル・ボローネーオ』をチェックアウト
07:45 黄色いタクシー、ホテル出発
08:10 約1時間でレオナルド・ダ・ヴィンチ空港到着
08:25 タカちゃん用のスプレーをファーマシアで再び購入
08:30 バールで小休止、合計8000リラ日本へ電話
08:45 各自買い物
09:40 B4番ゲートへ向かう 09:50 B4番ゲートで待機
10:05 機内へ搭乗開始
10:40 レオナルド・ダ・ヴィンチ空港離陸
11:15 昼食パスタ、肉、チーズ 横の席に男女カップルにワインをもらった。
12:20 ランディング・ギアー(着陸脚)ダウン、ファイナル・アプローチ(最終の着陸体制)。
12:25 シャルル・ド・ゴール空港着陸、通関、両替など。
13:10 タクシーで市内に向け出発
13:40 ホテル・ラ・ツール・ノートルダム到着しチェックインした。
14:25 ホテル出発、シテ島へ、ノートルダム寺院の見学し、広場で道路の基点なども見た。
15:00 コンシュリジュリに向かった。
(掲載日:2006年6月20日)

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