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ベルサイユ宮殿(ヴェルサイユ宮殿)など
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ベルサイユ宮殿
1996年9月3日その
地下鉄の駅
 7時になりパリでの初の朝食を
ホテル・ラ・ツール・ノートルダム地下の洞窟風でフレスコ画に似た柔らかい装飾がしてある食堂でとりました。今日はベルサイユ宮殿に行くのが、まず第一の目的でしたから8時過ぎにはホテルを出発しました。

 地下鉄サンミッシェル駅で切符を買おうとしたら紙幣が大きく、駅員から「お釣りがない」と小銭を要求され、みんなの財布から出し合い、なんとか購入できました。やはり日本感覚では万事通用せずですから、小額紙幣や小銭は帰国直前まで現地通貨を持っておかなければならないなあと反省しました。

 地下鉄サンミッシェル駅からオルセー駅まで行って、乗り換えのため、どの電車に乗ったらいいのか、4人で検討しました。ホームに近づいてくる電車を途中何本かみましたが、長距離用の2階建ても見ました。ヴェルサイユ駅への電車を1台見落としてから、次のに乗りました。この時間帯はいくつも本数はあるようでした。

 その間、駅の構内の四角の鉄の柱なども見たのですが、その柱にも花の模様の彫刻が施してありました。日本なら駅構内と言えば、のっぺらぼうの柱か何の飾りもない壁がでしょうが、なんかちょっとした飾りでも思わず見上げてしまいました。

 私たちが乗った電車は、少し古い形式でしたが車内は乗客が少なく各々バラバラに座りました。08時40分に オルセー駅発車を出発し、最初地下を走り、途中から地上を走るため、景色も楽しみながら9時10分には目的のヴェルサイユ駅へ到着しました。

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カルト・ミューゼ
ベルサイユ宮殿で購入したカルト・ミューゼ
 駅を出て、宮殿に通じる並木道や石畳を約1キロ近く写真を撮りながら歩きました。ルイ14世の騎馬像のある王の広場には、既に何十人かの観光客あるいは、何か売ろうとして近づいてくるおもちゃ売りなどがいました。

 まだ窓口が開くには時間あるようでしたから、私は近くにあるトイレ(有料)へ行ったのですが、金額表示が最初分からず、少なく入れたらおばちゃんに「ダメ」と言われました。私だけかもしれませんが、有料のトイレ自体にも慣れていないせいか抵抗感あるに、金額もなかなか分かりずらいので、苦手です。

 受付で「カルト・ミューゼ(美術館などのフリー・パスポートみたいなもの)を頼むが、窓口をたらい回しされた。しかし、結局、外に出て受付とは反対側の案内所に行くことになりました。ここの案内所では、ヴェルサイユ宮殿の案内書(日本語版)があり、分かりやすい内容でした。ここでも結局「カルト・ミューゼは反対側の販売所にある」とのことでした


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ルイ14世の騎馬像
 また、最初の切符売り場に向かいました。今度「カルト・ミューゼがなかったら、ヴェルサイユ宮殿単独切符でもいいから買おう」と言うことにして、右側の窓口に行くと、カルト・ミューゼが4枚買えました。「どうも、担当者が遅刻したか、ここの窓口だけオープンが遅かったのかもしれないね」と言ってました。まあ、これで美術館その他気にすることなく入れるし、切符売り場で小銭を気にすることもなくなり、ほっとしました。

 ヴェルサイユ宮殿は、この時購入した本によると、1624年にルイ13世が、この地に狩猟用の館を建てさせたのが始まりと書いてありました。その後ルイ14世の頃、増改築が頻繁におこなわれ1682年には行政機構もこの宮殿に移しました。つまり首都となりましたが、ここはフランス革命まででした。

 フランス革命後、ヴェルサイユ宮殿は人が住めないような状態もあったようですが、その後修復され、世界史の舞台でも度々登場してきます。特に、有名なのが第一次大戦後の講和会議(ヴェルサイユ条約)が、鏡の間(鏡の回廊)でおこなわれました。

鏡の間鏡の回廊
 10時過ぎになりやっとヴェルサイユ宮殿内部へ入りました。ほぼ順路に沿って行ったつもりでしたが、あっちに行ったり、戻ったりしてましたので、正確性に欠けますが、王室の礼拝堂、ヘラクレスの間、王の居室、鏡の間、王妃の間などを見て宮殿の裏庭に出ました。いずれも”豪華絢爛”と言うことばしか思い浮かばない状況でした。

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鏡の間
 まず最初は礼拝堂を見ました。ここは王室用でしたので今まで見てきた教会(礼拝堂)よりはやや小さい感じはしましたが、天井が高いなあと思いました。また、その天井には、フレスコ画みたいな柔らかい感じの宗教画が描かれていました。なお、この礼拝堂で1770年ルイ16世とマリー・アントワネットは結婚式を挙げました。

 その後、ヘラクレスの間、豊穣の間、ヴィーナスの間、ディアナの間、マルスの間、メルクリウスの間、アポロンの間、戦争の間などがありました。このヴェルサイユ宮殿での一番の人気スポットは、やはり鏡の間(鏡の回廊)と思われます。ここは元々は庭を見るためのテラスでしたが、その後1678年から1686年にかけて工事をおこない、鏡の間となりました。

 アーチ型の大きな鏡が17枚あるとのことでした。天井画もいいし、シャンデリアも豪華でいいのですが、とにかく観光客の方が多く、見るにもカメラ構えて写真撮るにも一苦労しました。「ここでヴェルサイユ条約も結ばれたし、ミッテラン大統領時代には、サミットも開催された所よ」と言いながら、ここを後にしました。

王妃の間
 ここは、全体がゴージャスと言う感じ、王の居室より豪華な作りでした。特に、目につくのがマリー・アントワネットも使用したと思われるベッドとその上の天井みたいな飾りで、しばし足を止めました。その後、壁に飾られているマリー・アントワネットの母子の絵などを見ながら「なかなか、優しそうに描かれているね」など言いながら見ていました。

 最後の方になり、ダヴィドの描いた『ナポレオンの戴冠式』の絵もありました。「この絵と同じものが、ルーブルにもあるけど、ちょっとだけ違っていて、立っている女性の服の色が一人だけ別の色になっているよ」と言いながら見ていました。また、私は、ここで1993年にガイドの方聞いた話を受け売りしました。

 「あの絵は、歴史上の事実と違う箇所が一つだけあり、それはナポレオンのお母さんが戴冠式に出ていないのに描かれている。理由はお母さんがナポレオンの嫁さんであるジョセフィーヌを嫌っていたから。どこの国でも、どんな偉いさんでも「嫁と姑の関係は永遠難しいのだなあ」と説明していました。

 宮殿の裏庭に出る前に私の中型カメラのフィルムが切れたので装填する間、しばし小休止しました。この時、鏡の間だけでも撮れていればなあと思っていました。後でリバーサルフィルムを現像してみたのですが、暗いながらもかろうじて1枚がマアマアでした。

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ベルサイユ宮殿の裏庭
ベルサイユ宮殿の裏庭
 11時前に宮殿裏庭に出ました。この庭から宮殿を見る方が日本では(化粧品メーカーなどの宣伝の影響もあるのか)有名な風景でした。良く手入れされシンメトリー風に刈り込まれた庭木、花壇一杯に咲いている花など見事でした。この花壇などを前景にして宮殿を背景にすれば、まさしく絵葉書風でした。

 これまで宮殿内部を歩いて、外に出た開放感もあるのか、けっこう4人とも色々なポーズでにぎやなかに写真を撮りました。その後、どこまで続いているのか分からないような広大な敷地(森のような木立)が見渡せる泉に行きました。ここは『ラトナの泉水』で彫刻が施されていて、このあたりから一直線に見た方向に大運河が静かな川のようにも見えました。

 ただ、真夏の日中なのに、先ほどよりもさらに寒くなってきた感じでした。私は薄い夏用の長袖をはおっていたのですが、皆さん半袖の以外何もなかったので、後日風邪気味になりました。

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プチトリアノン
プチトリアノン
 少し時間も気になりかけてきたので、これからは、プチ・トレイン(ミニ・トレイン)で回ろうと言うことになり、宮殿横の待合場所に行きました。ここで切符を購入し、プチ・トレインに乗りました。座ったままなので、さらに冷え込みがきつく感じられましたが我慢して、まずは庭園を眺めながら進みました。

 泉や花壇、さらには川なのか運河なのか分かりませんが、水鳥、野鳥や動物などもいました。しばらくこの電気自動車に揺られていますと、プチトリアノン、グランド・トリアノン、大運河などを巡って、また、元のベルサイユ宮殿横に戻ってくるものでした。

 プチトリアノンなど3ヶ所くらいある発着場から降りて、その後ゆっくり散策される観光客の方もおられました。私たちは時間の関係上、写真を各所で数枚づつ撮ったものの、次の発車時間に合せて、また、同じとレインに戻ってきました。

 このトリアノンとは、1668年ルイ14世がベルサイユの敷地にするため買い上げた村の名前に由来しているようです。プチトリアノンやグランドトリアノンにしても、同じベルサイユ宮殿敷地内に宮殿があるようなものですから、当時の王政の大きさをまざまざと見る思いがします。

 両トリアノンは、ベルサイユ宮殿に比べたら、どちらとも規模は小さいですが、それにしても、決して小規模の建物とは言えない大きさでした。プチトリアノン近くには、マリー・アントワネットが建てさせた農家風の村里があるようでしたが、今回は時間の関係上見学できませんでした。

 どこまで行っても続いているような広大な敷地は、このプチ・トレインに乗って見て行っても実感するもので口々に「広いね、先が見えないね」などの会話が続いていました。

ヴェルサイユ駅近くで昼食
 12時15分過ぎにトレイン発着場に戻ってきました。これから昼食を食べに行こうと、ベルサイユ宮殿を出たのですが、その前のアルムの広場では、朝よりさらに人が増え、それを目当てに玩具の飛行機を売る人などが一杯でした。昼食は駅近くで済まそうと言うことになり、ブラッスリーの『バル・ラ・テルミニュ』に入りました。

 店内は、時間的に賑わっていましたが、外も見える席でそれから1時間近く食べたり、コーヒー飲んだりしながら、
ベルサイユ宮殿で購入した本などを見ながら話が弾みました。13時30分近くになったので、ベルサイユの駅から次の目的地のオルセー駅に向かいました。

(旅行メモ)
07:05 ホテル地下の洞窟風食堂で朝食。
08:05 ホテル出発、地下鉄サンミッシェル駅で切符を買う。
08:20 乗り換えのためオルセー駅まで行った。、
08:40 ヴェルサイユ駅行きの電車は、オルセー駅発車した。
09:10 ヴェルサイユ駅へ到着し、宮殿へ歩いて行った。
09:20 トイレなど済ませた後、ヴェルサイユ宮殿の窓口で「カルト・ミューゼを頼むが、たらい回しされた。
10:00 やっとヴェルサイユ宮殿内部へ、礼拝堂、王の居室、鏡の間、王妃の間、ナポレオンの戴冠式の絵(ダヴィド作) などを見学した。
10:55 花や植え込みの素晴らしい宮殿の裏庭へ出た。
11:25 プチ・トレイン(ミニトレイン)の待合場所で切符購入、乗車した。トリアノン庭園へ向かいプチ・トリアノン、グラン・トリアノン、大運河などを見学し、途中降りて写真数枚づつ撮った。
12:15 プチ・トレインから降車して、ベルサイユ宮殿を出た。
12:25 駅近くの『バル・ラ・テルミニュ』で昼食、223フランだった。
13:21 ヴェルサイユ駅からオルセー駅へ向かった。

(掲載日:2006年7月11日)

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